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 暖かな日差しが振り注ぐ昼下がり、由美は回廊から覗く美しい青空に目を細めた。

 この世界に由美が連れて来られて約一ヶ月が過ぎた。フェルトを始めとする神達に連日この世界について、そして世界の調律に関してのやり方を学び、毎日めまぐるしく変わる周囲の環境に馴染むのに、おおよそ二週間を費やした。

 由美は自身でも、比較的環境の変化に馴染みやすい人間だと思っているが、それでも、この世界の常識等を学び、日常として落とし込んでいくのには時間が掛かった。

 ここは、由美の居た世界とは全く別の理で動いている。だから由美は、この世界が実は夢の世界で、自身の現実とは違うのだと、そう思い込もうとした時期もあった。

 けれどそう、やはりこの世界の現実は、由美自身の現実なのだと、この一ヶ月を通してまざまざと思い知らされた。


 だから今いるこの場所が、由美にとっての居場所なのだ。


「シリン」


 由美はその呼び掛けに振り向いた。

 白地に梅が描かれた曲裾を纏う由美の幅広の袖がばさりと翻る。

 今日は朝からキリス神殿に赴いていた由美は、管理者であるジャルタにお願いし、キリス神殿本来の意味やその周囲の施設などを案内して貰っていた。最近はこうして、一人で出歩くことの多い由美の隣に、フェルトの姿はない。

 出歩く際、一々大げさにしたくはないという由美の願いを聞いてくれているのだ。

 その気遣いは、時折思い出す、女神へ向けたものとは少し違う。何処か寂しさを感じさせるもので、由美はいつも内心動揺してしまう。

 フェルトは、何を恐れているのだろう、と。


「エンラさん」


 藤黄色の朱子深衣を纏ったエンラは、長い紫色の髪を高い位置で一つに縛り、手には桐箱を持っている。アメジストの瞳がきらきらと輝き、エンラはにこりと微笑んだ。

 他意のない笑顔に由美はぱちぱちと瞬きし、手招きするエンラにそそくさと近寄ると、仄かに花の香りが鼻腔を掠めた。

 エンラが纏う花の香りは、柔らかな春の香りにも似ている。

 それらが以前、とても古い時代に女神から贈られたものだという話はこの世界では有名な話なのだとフェルトが教えてくれた。

 エンラ自身は何も言わないけれど、この世界の神々同様に、エンラもまた女神の存在に深い敬意と愛情を持っていることは、部外者である由美にも察せられた。

 生真面目で職務に忠実なエンラは、いつも何処か遠くを見ている。それは由美を視界に入れている時でさえ、由美を通して別の誰かを見つめているのだ。それが誰を指しているかだなんて、言うに及ばない事だろうけれど。


「どうかしたんですか、エンラさん」

「ええ。これを渡そうと思って探していたのですよ」

「そうだったんですか! ごめんなさい」

「構いませんよ。急ぎではありませんでしたからね。さあ、どうぞ」

「ありがとうございます。開けても良いですか?」

「ええ」


 由美の手に渡された桐の箱を開け、そっと息を呑んだ。

 桐箱の中には美しいリガードネックレスが入っていた。それぞれの宝石の名を冠したリガードネックレスは、大粒のルビー、エメラルド、ガーネット、アメシスト、ルビー、ダイヤモンドが連なり、美しい輝きを放っている。

 なんて綺麗なんだろう。

 そう思う気持ちを抑え、由美は慌ててエンラを振り仰いだ。


「エンラさん、これは…」

「これは私達からのプレゼントですよ。勿論、身に着けて頂けますね?」

「でも、こんな高価なもの、頂けません」

「シリン、あなたは世界の調律者なのですよ。それに相応しい宝飾品だとは思いませんか?」

「それは…」


 困惑気味に目を伏せた由美に、エンラは含みのある笑顔を浮かべた。


「これはあなたのものです。使ってくださいね」


 由美は何処か遠くを見るように視線を投げるエンラに、戸惑いながらも頷く。胸に抱いた桐箱をきゅっと握り締めれば、その重みがぐっと増したように感じる。

 本当に、私が持っていて良いものか分からない。

 けれど…。


「ありがとう、ございます」

「どういたしまして」


 エンラは満足そうに微笑み、「では私はまだ仕事がありますからこれで。フェルトによろしく伝えて下さい」と静かに去っていった。

 由美はその背に一礼し、私室を目指した。


「シリン、お帰り。視察は済んだ?」

「はい。ジャルタさんが案内して下さって、スムーズに視察できました」


 にこにこと椅子を勧めるフェルトは、手際よくお茶を淹れてくれる。


「あっ、エンラにそれ、貰ったんだ?」

「はい」

「良かった。きっとシリンに似合うよ。貸して。着けてあげる」


 有無を言わさぬその雰囲気に気圧され、由美は素直に桐箱を手渡した。

丁寧な手つきで由美の髪をサイドに流し、リガードネックレスを着けてくれたフェルトは、正面に回ってしげしげと観察し、にこりと微笑んだ。


「うん、とても良く似合っているよ」


 姿見を出してくれ、由美の前にそれを置くと、鏡の中に色鮮やかな宝石を下げた女性の姿が浮かび上がった。


「綺麗ですね…」


 ほう、とため息を溢しネックレスを撫でる由美に、フェルトは頷いた。


「うん、とても綺麗だね」

「ありがとうございます、フェルトさん」

「どういたしまして」


 それから、お茶が済んだ由美は、フェルトを伴って次の目的地へと急いだ。

 今日は後二件、視察がある。といっても場所自体は然程離れていないし、視察自体も簡易的なものだから、それほど疲労感を伴わない仕事だ。

 元々視察というのは建前で、様々な地域を見、そしてそこで働く人々へ女神の娘をお披露目する。

 そんな意味合いの強いそれらは、由美にとって気負う必要のない仕事でもあった。


 大切なことは、女神の代行者として、それらしく振舞うこと。

 エンラやクラウスはそう言って由美を鼓舞する。

 世界の調律者とは、そこに居る、在ることが仕事なのだと由美に諭すのだ。

 それもそうかと思う。実務的な仕事はすべて、神である彼らがしてくれている。由美自身にして貰う必要のある仕事など驚く程少ないのだから。


 だからこそ迷う。

 私は本当にここに居ても良いのだろうかと。

 きっとフェルトもクラウスもジャルタも、皆それこそが必要なのだと言うのだろう。けれどそう、ここで求められている“女神”の肖像に、由美は少しずつ耐え切れなくなっていた。

 心の奥底に沈めた澱が少しずつ溜まっていくように感じられ、由美は我知らず沈鬱な息を吐いた。

 まさかそれを、フェルトが注視していたことなど、由美は知る由も無かった。


「お疲れ様でした、シリン。今日はもうゆっくり休んで貰って良いからね」

「ありがとう、フェルト。お休みなさい」

「お休み、シリン」


 視察を終えて帰って来た由美は、服を脱ぎ下着姿でベッドに潜り込んだ。

 疲労を訴える身体が心地よく深い眠りに誘ってくれる。由美はゆっくりと、意識を沈めていった。





『女神』

『あらフェルト、どうかしたの?』

『また雲隠れしちゃったのかと思った。ここに居て良かった。探す手間が省けましたよ、女神』

『あらあらごめんなさい、フェルト』

『別に良いんですけどね、女神。それで、どうしてこんな所に居たんですか? 大方、エンラから逃げていたのでしょうけど』

『……』

『それで、どうして逃げているんですか? 女神』


 静かに問うフェルトに、イスカヴァルは淡く苦い笑みを浮かべた。


『エンラに、月光石を貰ったの。月光石の指輪ね』

『それが、どうかしたのですか?』

『私には、貰う理由がないもの』

『女神、エンラは渡したくてしているだけで、』

『分かっているわ。でも、私には何もお返しするものがないのに、貰うのも失礼でしょう?』

『お返しするものなんて。僕達は沢山のものをあなたから頂いているんですよ?』

『でも私は、何も返せないから』

『女神……』

『気持ちは嬉しいのよ、本当に。でも、私にはそれだけで十分なの』


 イスカヴァルは立ち上がり、ふわりと裾を揺らした。

 明るい日差しの中、光沢のある白い襖裙が色鮮やかに光を跳ね返す。その美しさにフェルトは目を細めた。


『フェルト、私はね。何も要らないの。あなた達が健やかに、この世界がすくすくと成長し、安穏の中で皆が過ごしていられれば、それだけで十分』


 イスカヴァルはそっとフェルトの頬を両手で包み込んだ。


『だから、私に返せないものを、贈らないで。私は、あなた達の行く末を、ただ穏やかに見つめていたいだけなのよ』

『女神…』


 フェルトはイスカヴァルの手に自身の手を重ね、『分かりました』と呟いた。


『愛しています、女神』

『私もよ、フェルト』


 にこやかに、イスカヴァルはそう答える。

 言葉の意味がすれ違っていることなど、イスカヴァルは知りもしないのだろう。直ぐに返ってきた返事に、フェルトはそっと心の中で嘆息する。

 認識のずれが、女神と自分達の関係を、いずれ壊してしまうかもしれない。

 ぼんやりとそう思いながらも、フェルトは微笑を返した。


 今は言葉だけで十分だ。女神にとって僕達が家族でしかないことを、僕達はよく分かっている。思いを返してもらいたい、そう思うこと自体が間違っているのだろう。

 でも、いつかは――。


『女神、戻りましょう。皆待っていますよ』

『ええ、分かったわ』


 手を繋いで私室に戻る道すがら、フェルトはそっと女神の横顔を伺った。

 いつか、いつか自分達の本当の気持ちに女神が応えてくれることを、願っている。

 その時が、早く来れば良い。

 フェルトはそう願った。





 由美は、ぱちりと目を開いた。

 あの記憶の扉を開いてからずっと、毎日こうして夢を見る。

 女神の記憶、思い出、そしてその周囲にいる神達の心情。第三者として見るそれらは、強烈に由美の意識に刷り込まれ、そして無意識の内から由美を変えていくようだった。


 私はここに居る。

 ぎゅっと自身を抱きしめることで、由美は自身の喪失感に耐えた。

 木崎由美という意識が、どんどん薄れていく。日々、心が女神自身へと同化するように、あちらの世界で過ごしていた記憶が消失し、その空いた穴を埋めるように、女神の記憶が由美自身の中に体験した出来事として落とし込まれていく感覚。


 怖い…。まるで私が、消えていくようで。

 由美はベッドの上で蹲るように身を縮め、必死に木崎由美としての思い出を辿った。

 一つも忘れることのないように心に刻み込みながら、由美はフェルトが部屋をノックするまでずっと、身じろぎすることなく、自身を搔き抱いた。


 私は、ここに居る。

 由美は何度もそう言い聞かせ、自身を宥めていった。





『やめてっ!』

『どうして拒むのです、女神』


 エンラは心底不思議そうにイスカヴァルを見た。その視線から逃れるように、イスカヴァルは後ずさる。

 思いがけない言葉の数々に、目の前に居るエンラがまるで別人に摩り替わったかのように感じ、イスカヴァルは悲鳴のような声を上げた。

 美しい青空色の曲裾が乱暴に翻る。エンラが纏う光沢のある白梅色の直裾がいっそ毒々しくイスカヴァルの目を焼いた。


『私はあなたを、あなた達を、()としてしか見た事は無いわっ』

『私はあなたを、女神、あなた自身を祖神()として見たことはありません』


 エンラは淡々と言葉を返し、一歩ずつ女神に近づいた。

その歩数だけ後ずさるイスカヴァルは、信じられない言葉の応酬に耳を塞ぐ。


『私はあなたを愛しているのです、女神。私達を創った祖神おやとしてではなく、一人の存在として、女として――』

『もう止めて! 聞きたくもないっ』


 イスカヴァルはいよいよ蹲り、嫌々と首を振ってその言葉を否定する。

 けれど残酷な聴覚は、耳を塞いでも尚、エンラの言葉を正確に拾い上げてしまう。


『愛しています、女神。この思いを受け取る必要はありません。ですが、この思いだけは、否定しないで下さい』

『あなたを愛するこの心だけは、嘘偽り無い、私自身の思いです』


 エンラは言葉を重ね、そして仄暗い情欲を秘めた眼差しをイスカヴァルに向けると、ぎゅっと目を瞑るイスカヴァルの前にそっと跪いた。


『女神…』


 手を伸ばしてくるエンラを拒み、イスカヴァルは絶叫した。


『出て行って! お願い、一人にして頂戴!』


 美しい銀糸の髪を振り乱し叫ぶイスカヴァルを痛ましい眼差しで見つめたエンラは、『分かりました』と立ち上がり、静かに部屋を出て行った。

 エンラが去った室内で、イスカヴァルはす啜り泣く。

 どうして、こうなってしまったのだろう。どうして。どうして…。

 イスカヴァルは頭の中を反芻する言葉の数々に、ぎゅっと目を閉じて現実を逃避した。


 事の始まりは数日前、イスカヴァルが突然ジャルタにキスをされた事から始まった。

 いつもと変わりない日常が、イスカヴァルにとって悪夢の始まりとなった。



『今日はとても綺麗に星見が出来るわね、ジャルタ』


 夜も更け、瞬く星空が美しいキルス神殿の回廊で、イスカヴァルは隣に立つジャルタを振り仰ぎ、にこりと微笑んだ。


『とても綺麗…。ジャルタ、あなたもそう思うでしょう?』


 にこにこと夜空を見上げるイスカヴァルに、ジャルタはそっと寄り添った。


『ええ』

『この星空が永遠に美しく輝くようになれば良いわね』


 ほうとため息を吐いたイスカヴァルにジャルタは頷き、そしてそっとイスカヴァルの頬を包み込んだ。


『女神…』

『何、ジャルタ…んんっ』


 突然唇を塞がれ、イスカヴァルは目を見開いた。慌てて離れようともがくイスカヴァルを逃すまいと、ジャルタは腰に手を回し、後頭部を固定する。

 イスカヴァル視線にジャルタの艶めいた視線がぶつかり、イスカヴァルは愕然とした気持ちとなった。焦る思いのまま身を捩るが、筋肉質で頑丈なジャルタの腕力に、なよやかな女の身体を持つイスカヴァルが叶う筈もなく、更に深い口付けを仕掛けられる結果となった。

 ジャルタの視線は、あの日暴挙に及んだクラウスと寸分違わぬものだった。


『んんっ、ふっう…ジャ、ルタっ』

『女神、』


 息継ぎの合間に呼びかけるイスカヴァルの声を無視し、ジャルタは厚い舌で容赦なくイスカヴァルの咥内を犯した。熱い吐息が頬に、顔に掛かり、唇の上で時折囁かれる蕩けるような呼びかけに、イスカヴァルは全身に電流が走る。

 腰に鈍く重い、快楽の炎が宿っていくのを感じ、イスカヴァルは全力でジャルタを振りほどいた。


『なっ…で、なんでこんな…』


 イスカヴァルは戦慄く唇を押さえ、素早く距離を取った。


『女神、』

『触らないで!』


 伸ばしてきたジャルタの手を叩き落し、イスカヴァルはさっと身を翻した。


『女神っ!』


 駆け出したイスカヴァルの背に、焦ったようなジャルタの声が掛かる。それに応えることなく、イスカヴァルは裾を蹴り上げ、自身の私室へ戻るべく神殿を抜け、風に乗ってその場を離れた。

 濡れそぼった唇が、火照った頬が、冷たい夜風で急速に冷やしていく。

 袖口で乱暴に拭った唇がひりひりと痛むのを無視し、イスカヴァルは急降下して私室の窓に飛び込んだ。


『どうかしたんですか、女神?』


 寝具を整えていたらしいフェルトに問いかけられ、イスカヴァルは俯いて『なんでも無いの』と呟いた。


『早く眠りたいわ。申し訳ないけれどフェルト、出て行ってくれる?』

『分かりました。お湯の用意をしておきますから、また起きた時にでも入って下さいね』


 今夜は、冷えますから。

 そう言うフェルトに頷き返し、イスカヴァルはベッドの中に潜り込んだ。


 今夜は何も、考えたくなかった。





『それで? どうしたというのですか、女神。二日も部屋に籠もっておいでなんて』


 詰問するエンラから視線を逸らし、イスカヴァルは努めて冷静に応える。


『別にそういう日があっても問題はないでしょう?』

『問題はありませんが…何かあったのですか?』


 そう問いかけてくるエンラの探るような視線に居心地悪く思いながら、イスカヴァルは膝の上できゅっと拳を握り締めた。


『別に何も無いわ』


 真っ赤な嘘であることは、言わなくとも分かったのだろう。

 エンラと、そして側に控えるフェルトは渋い顔でイスカヴァルを見つめた。

 その時ふと部屋をノックされ、エンラの招く声と共に誰かが部屋へと入ってくる。

 イスカヴァルの寝室の続き間となっている居室で行われた話し合いという名のイスカヴァルへの査問会は唐突に途切れる。

 そこに、見たくはない黒髪を見つけイスカヴァルは衝動的に立ち上がった。


『話は済んだわね。私は寝室に下がるわ』

『まだ話は終わっていませんよ、女神』


 続いて立ち上がったエンラを一瞥し、イスカヴァルは踵を返した。


『女神、』


 その背に掛かる低く甘い声音に、イスカヴァルはびくりと肩を揺らした。


『女神』

『その名を呼ばないで』


 イスカヴァルは背を向けたまま、ぴしゃりと呼びかけを遮った。


『女神、ジャルタと何かあったのですか?』

『何も……』

『俺が女神の唇を奪った。ただ、それだけだ』

『ジャルタっ!』


 堪らず振り返ったイスカヴァルに、あの夜と同じ艶めいた視線が交わる。

 イスカヴァルはぎゅっと手を握り締め、唇を噛んで俯いた。


『クラウスに続いてジャルタ、あなたもですか…』


 ため息を吐いたエンラに、ジャルタは真摯な言葉で返す。


『俺は女神を愛している。無理やりだったことは申し訳ない。だが、俺の思いが迸ってしまった。それは申しわけないと思う。だが、』


 逃れるように床に視線を落とすイスカヴァルに、ジャルタは甘く優しい笑みを向け、畳み掛けた。


『俺は女神を愛している。その気持ちは本当だ』

『ジャルタ、あなた…』


 絶句した様子でジャルタを見るエンラは、一礼して去っていくジャルタの背を追い、部屋を出て行った。

驚愕に目を瞠っていたのは、何もエンラだけではない。フェルトは震える身体を抑えこみ、イスカヴァルに近寄った。


『本当なの、女神?』


 否定も肯定もしない。そのイスカヴァルの態度に、フェルトは愕然とした面持ちとなった。


『気づかなくてごめんね、女神』


 そう謝るフェルトに首を振り、のろのろと視線を上げ、淡い笑みを浮かべる。


『ごめんなさい、フェルト。もう少しだけ、寝室に籠もっていても良い?』


 頷いたフェルトは、極力イスカヴァルを刺激しないよう配慮して、寝室へ向かうイスカヴァルの背を見つめた。

 心の中で沸き立つ嫉妬の炎に身を焼きながら、それでも自身だけは女神の心の拠り所でありたいと願うフェルトは、寝室のドアに吸い込まれるように消えたイスカヴァルをじっと見送った。


 何かが、狂い始めている。

 どこかで絡まった歯車は、歪な現実を作り上げ、イスカヴァルを身も心も追い込んでいった。


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