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R15注意

『これはどういう事なの?』


 イスカヴァルは厳しい表情でクラウスに詰め寄った。


『なんの事です?』


 そう聞き返すクラウスは飄々とした表情でイスカヴァルの目を見つめ返した。

 宥めるように肩に触れたクラウスの手を振り払い、イスカヴァルはその眼差しを鋭くする。

 恍けるとは良い度胸ではないか。


『まあまあ落ち着いて、女神』

『これが落ち着いていられるものですか!』


 珍しく怒りも露わなイスカヴァルに、フェルトとクラウスは顔を見合わせて苦笑する。その様に、イスカヴァルはぎゅっと拳を握り締めた。


 あの刺殺未遂事件から半年が経ち、イスカヴァルの周囲は漸く日常が戻りつつあった。あの事件を受け、元々過保護であったクラウスを始めとする神達は、殊の外過保護にイスカヴァルの周囲を警戒し、行動を制限していた。

 それらを宥めるのに一ヶ月を要したイスカヴァルは、幾つかの誓約を取り付けて漸くいつも通りの自由を獲得した。


 それから更に二ヶ月もの間、世界の中央に位置するここクロトロス神殿と、そこから少し離れた場所にあるキリス神殿、その周囲しか出歩くことを許されなかったイスカヴァルは皆の過保護振りに辟易していた。

その間、あの人間の娘の処遇をどうしたのかと問いかけることはしなかった。何故なら皆の前であの人間の娘の話は禁句となっていたからだ。

 恐らく手荒な真似は控えているだろうと考えてはいたが、凡そ半年が経とうとしていたほんの数日前、イスカヴァルは驚愕の事実に直面する。


『人間の娘たちをここから排除して、あまつさえトマス領に隔離するだなんて、何を考えているの?!』


 語気を荒げるイスカヴァルに、クラウスは振り払われた腕をそっと下ろし、まるで幼子に諭すかのように優しく、けれど淡々と事実を伝えた。


『あの女はあなたを殺そうとした。女神、人間の女は危険なのですよ? いつまたあなたを殺そうとする者が現れるかもしれない。これは当然の措置です』

『皆がそうなるとは限らないでしょう! 第一、私は許すと言った筈です!』

『ええ、あの人間の女はお許しになると仰いましたね。ですが、他の人間は別です』

『クラウスっ!』

『これは皆の総意でもあるのですよ、女神』


 そう言うクラウスに、イスカヴァルは勢い良く振り返り、フェルトを見つめた。

 肩を竦めながらも否定はしないフェルトに、イスカヴァルは怒りで身を震わせる。

 皆の総意、だなんて。何てことなの!


『あなた達は自分達が何をしたのか分かっているの?!』

『無論分かっていますよ。未来の危険因子を排除した、ただそれだけです』

『女神、僕達の気持ちも分かって。あなたを失うことは、あってはならないことなんだよ』

『クラウス、フェルト…』

『それに、排除したと言っても、今までと同等の生活が送れるよう配慮しています。トマス領は広い。その領内だけでなら移動も禁じていませんし、なにより人間の男達の行動は制限していません。今までと変わりませんよ』

『そうだよ。それに皆、豊かな土地に移動することは世の常でしょう? 人間の女子どもも喜んでいたし、問題はないよ』


 宥めるようにそう言う二人に、イスカヴァルは後ずさった。

 何故分からないのだろう? 私が怒っているのは、そんなことではない。何故、なぜ分からないのだろう?


『それが自分達にとって正しいのだと、本気でそう思っているのね?』

『当然です。なにか問題でも?』

『……そう。もう良いわ。少し一人にして頂戴』

『それならばフェルトをお側に置いていてください。何かあってからでは遅い』

『別に何処へいこうというのではないわ。部屋から出るつもりは無い。だから、一人にして頂戴』

『分かりました、女神。僕は隣の部屋に居るから、何かあれば呼んで下さいね』


 クラウスとフェルトが去った室内で、イスカヴァルは長椅子に崩れ落ちた。

 きっと二人は、直ぐに他の神達に先ほどのことを伝えるだろう。けれどイスカヴァルの思いに、その本質にあるものに気づくことはない。


 どうして、こうなってしまったのだろう?

イスカヴァルは一筋の涙を流した。心の中の澱が急速に溜まっていくのを感じ、イスカヴァルは目を瞑り、意識をトマスへと向けた。


 イスカヴァルの心眼は、正確に、色鮮やかにトマスの現状を映し出す。

 どう諭されたのかトマス領に移った女達、そしてその子ども達は、和気藹々と開拓に乗り出し、農作業や放牧に励んでいた。

 皆それぞれに家を与えられ、各々自由に過ごしているその表情に、一点の曇りも見えない。それ所か、どこか生き生きとして、生命力に溢れているようにも見える。

 意識を自身の体に戻したイスカヴァルは、ため息を吐いた。

 どうあっても、これが元に戻ることなど有り得ないのだろう。きっと神達は、この現状を伝え、イスカヴァルを丸め込み、これを承認させるつもりだ。それが例え、イスカヴァルの本意にそぐわなかったとしても。


 イスカヴァルは目元を手のひらで覆い隠し、深い眠りに就いた。

これが始まりだなんて、誰が想像しただろう? ここからイスカヴァルの真の苦しみが始まった。





 由美は、ゆっくりと意識を浮上させた。

 長い長い夢を見ていたようで、少し痛む頭を撫で、そっと体を起こした。


 いつの間にか部屋のベッドで寝かされていたらしい由美は、深く息を吐いた。由美が見ていた夢は、まるで今この瞬間に現実として起こったことかのように、鮮明に思い出すことが出来る。

 多量の記憶を再生した由美は、その情報量の多さに眩暈がするようだった。


 記憶が確かだとするならば、あれが女神なのだろう。私と瓜二つの、銀の髪とアメジストの瞳を持つ、美しい女神。

 だとするならば、あれが本来の由美ということになる。


 だが可笑しい。由美は女神の娘だと言った。だとするならば、由美が女神自身として存在していたあの記憶は、どう説明すれば良いのだろう。

 感情の揺れ動き、触れられた手の熱さ、温かな言葉の数々。それらはすべて、女神自身が体験し、体感した記憶の筈だ。ならば本来由美がそれらを直に体感するのは可笑しいではないか。


 …あれではまるで、由美自身が女神そのものだと言っているようなものだ。

 浮かんできたその考えを、由美はすぐさま振り払った。


 クラウスは由美を女神の分身でもあると言った。その力の一部を分け与えられているのだと。恐らくは、そういうことなのだろう。

 由美はそう考えて、けれどはっきりと違和感を覚える感情に蓋をした。真実はきっと、自ずと見えてくるものだろうから。


「あっ、起きた?」


 すたすたとベッドに近寄ってくるフェルトは、柔らかそうな金の髪を揺らし、手に持った茶器をテーブルの上に広げた。


「喉が渇いてるでしょう? お茶を持ってきたから飲んでね」


 甲斐甲斐しく世話をするように由美に手を伸ばしたフェルトの手を借り、由美はベッドから降りてテーブルに着いた。そっとお茶を口に含むと、花のような香りが口一杯に広がり、鼻腔を擽った。


「美味しい…」

「でしょう? これは花茶って言って、女神の好物だった品だよ。喜んで貰えて良かった」


 女神、という単語にどきりと胸の鼓動を早めた由美は、平静を装って膝の上に置いた手をきゅっと握り締めた。


「自分の真名は、思い出せた?」

「ええと…はい」

「そう。なんて言うの?」


 由美の変化に気づくこともなく、にこやかにそう尋ねた。由美は茶器をテーブルに戻し、素早く頭を回転させ、答えた。


「シリンと、シリンというんです。それが私の真名」

「シリンか…良い名前だね。ああ、まだゆっくりしていていいよ。エンラもクラウスも皆、後からここへ来るだろうから」

「そうですか」

「うん。ベッドで寝てても良いし。僕は少し席を外すね。皆に報告して来なきゃ」

「…ありがとうございます」


 由美はフェルトが出て行ったことを確認し、ベッドに舞い戻った。

どさりとベッドに横たわれば、柔らかなシルクが由美の体をゆったりと包み込む。


 あの記憶を見た後では、皆にどう接して良いか分からない。きっと直ぐにボロが出るだろう。だからフェルトの配慮は本当に有り難かった。

 由美はぼんやりと宙を見つめ、記憶を整理し、記憶の続きを見るために目を瞑った。

そこに広がる情景を、決して忘れないように、由美は意識を沈めていった。





 どさりとベッドの上に投げ出され、イスカヴァルは驚いた表情でクラウスを見つめた。


『何をするの、クラウス』

『分かりませんか? 女神』

『分かる筈もないわ。だってあなた…』


 イスカヴァルはクラウスのただならぬ表情に、ベッドの上で後ずさる。

 それを許さないとばかりにベッドに乗り上げたクラウスが腕を引き、ベッドの上にイスカヴァルを縫い付ける。


『ずっと、こうしたかった…』


 首筋に顔を埋めたクラウスに、イスカヴァルは首を振って抵抗する。

 どうして、何故。

 そんな言葉がぐるぐるとイスカヴァルの脳裏を駆け巡り、クラウスが触れた場所から焼けるような羞恥の念が胸を占めた。


『クラウス、クラウス、やめ…っ』


 ぬるりと熱いものが、イスカヴァルの首筋を歯這い、イスカヴァルは息を呑んだ。


『女神…』


 吐息すらも奪うような口付けに、イスカヴァルはいやいやと頭を振るが、それすらも許さないというように激しさを増し、濃密に絡み合う咥内に、イスカヴァルは強張っていた体がゆるゆると解けていくように感じた。


 これはなに? どういうことなの?

 言うことを聞かない体にイスカヴァルは戸惑った。こんなことは、初めてだった。


 抵抗しなければいけない、そうしなければならないのに、全身に手を這わされると、より快感を得ようと無意識に強請ってしまう。

 情欲に濡れた瞳が、舐めるようにじっとイスカヴァルを見つめる。

 その恥ずかしさに、イスカヴァルは涙を零した。


 なんて浅ましいんだろう? ()にこんなことを願うだなんて。

 イスカヴァルは靄がかかったように快感に飲まれつつある脳内で、自身を罵った。こんなこと、止めさせなければいけないのに。


『女神』


 熱く情欲に濡れた瞳がぎらりと輝き、イスカヴァルのすべてを翻弄し、快楽の波に浚っていく。

 その快感を味わったイスカヴァルが、それ以上の行為を止めることなど、最早出来なかった。





 イスカヴァルは、その日鈍く走る痛みで目を覚ました。体が酷く重い。腫れぼったい瞼が、眦がひりひりと痛み、慣れない体勢を強いられた身体は節々が悲鳴を上げているように感じる。

 ベッドに手を着いて身体を起こすと、隣に居たクラウスの姿は既に無い。

 何処へ行っているにせよ、顔を合わせずに済だ事にひどくほっとする。


 昨日の今日で、どんな表情で顔を合わせれば良いのか…。

 イスカヴァルはそっとため息を吐いた。


 昨日様々な体液を浴びた身体は、どうやらきちんと後処理がなされていたらしくさっぱりとしている。眠っている間に着付けられた白い下着も、昨晩の物とは違い真新しいものだ。

 節々の痛みさえなければ、昨晩の出来事は夢の中の出来事として処理していただろう。

 けれどこれは夢ではない。現実だ。


 昨晩の情事を思い出すと、かっと身体が熱くなる。羞恥心に身を焦がし、イスカヴァルはベッドを降りた。ひんやりと冷たい大理石の床が、ぼんやり鈍い頭を冷ましてくれる。

 まだ部屋の主が戻ってくる気配はない。部屋の主が普段愛用している長椅子に掛けられた黒の褙子を羽織り、イスカヴァルは部屋を出た。


 夜明けを迎えたばかりの神殿内は静寂に包まれている。誰にも会わずに済むことが、今はひどく心地よかった。

 今でも鮮明に蘇る情景に体の芯が疼き、イスカヴァルは深く息を吐いてその熱を逃がした。


 ここクロトロス神殿は、普段イスカヴァルが居住とする建物が複数あり、その中にクラウスを始めとする神々の私室を設けている。クラウス達はそれぞれに領を持ち、それを治めてはいるが、何事かが無い限りは神殿内の私室に留まり、政務に励んでいる。

 昨晩連れ込まれたクラウスの部屋もその一つで、イスカヴァルが寝起きする私室からは少し離れた場所にある。人目を避けるように壁伝いに歩くイスカヴァルは、身体の気怠さにため息を吐いた。

 一刻も早く、部屋に戻らなければ。

 その思いだけで必死に足を動かした。


 私室の周りに誰も居ないことを確認し、イスカヴァルはそっと部屋に滑り込んだ。明かりを灯していない室内は薄暗い。足元に気をつけながら、イスカヴァルは漸く自身のベッドに身体を投げ出した。

 吸い込まれるように、意識がゆらゆらと沈んでいくのを感じ、イスカヴァルはそっと意識を沈めて行った。


『……は、で…か!』


 騒々しい叫び声に、イスカヴァルはゆっくりと意識を浮上させる。

 どうやら誰かが続き間となっている居室で騒いでいるらしい。どこか聞き覚えのあるそれに顔を顰め、身体を起こす。意識を飛ばす前よりも、身体が軽くなっているのを感じ、安堵の息を吐いた。

 着たまま眠ってしまったからか、少し皺が入った黒の褙子を撫で、イスカヴァルは居室のドアを開いた。


『どうしたの?』


 気怠げに立つイスカヴァルに、居室に居たらしいフェルトとクラウス、エンラの視線が集中した。


『女神!』


 怒った様子で詰め寄るフェルトは、顔を顰めてイスカヴァルを見つめる。その様子に首を傾げたイスカヴァルは、フェルトの目を覗き込んだ。


『フェルト、一体どうし…』

『女神、身体の具合は如何ですか?』

『問題無いわ』


 真剣な表情でそう問うエンラに、イスカヴァルは答えた。その言葉とは裏腹に、憂いを帯び匂い立つ色気を滲ませたイスカヴァルの姿に、三人は息を呑んだ。

 エンラの肩越しに見えるクラウスの姿。その口がゆっくりと動き、言葉を発しようとしたその瞬間、フェルトがイスカヴァルの腕を掴んだ。


『女神、どうしてクラウスに抱かれたの?!』

『……』

『女神、無理やりだったのですよね?』


 気遣わしげに、けれどどこか怒りを秘めたエンラの目に、イスカヴァルは目を逸らした。

 羽織ったままの褙子がやけに重く感じ、自身の肩をぎゅっと握り締めた。


『フェルト、暫くクラウスと会いたくないわ。私が良いと言うまで、クラウスを私室へ入れないで』

『っ! 女神…!』

『分かりました、女神』

『エンラも、そのようにしてくれる?』

『それで良いのですね?』

『…いいわ』

『分かりました。ではこれで、失礼します』


 悲痛な表情で叫ぶクラウスを、エンラが羽交い絞めにして部屋から引きずり出す。それに、イスカヴァルが視線を向けることは無かった。


『女神…』

『フェルト、もう暫く寝ていても良い? 次に起きたときには何かフルーツを用意していて』

『…分かりました。おやすみなさい、女神』

『お休み。フェルト』


 イスカヴァルは身を翻し、寝室に舞い戻った。その背に刺さるフェルトの視線を拒絶しながら、イスカヴァルは堅く目を瞑った。





「お待たせ。皆を呼んできたよ」


 すたすたと由美の座る長椅子に近寄ってきたフェルトは、にこりと微笑んで由美を立たせた。記憶の中と重なるその軽やかな仕草に、由美は内心苦笑する。


「思い出したのですか、すべてを」

「…すべてではありませんが、少しだけ、思い出せました」

「真名は、」

「シリンと言います」

「思い出せて良かったですね、娘。いや、シリンですか」

「シリン、良い名前だね」


 イリスがにこりと快活そうな笑みを浮かべる。

 その後ろで、ガルとツイ、そしてジャルタが頷いた。


「シリン、これからよろしくな!」

「よろしくお願いします」

「これからあなたには、世界の調律者となって頂く。その為にも一日も早く、世界を調律しなければ」

「焦る必要はありませんが、クラウスの言う通り、一日も早く立派な調律者となってくださいね。なぜならあなたは、」


 あなたは、女神の娘なのだから。


 そう続くエンラの言葉に、由美は深く頷いた。

 エンラやクラウス、ツイ、ジャルタ、フェルト、ガル、そして最後にクラウスを見つめ、由美は「よろしくお願いします」と頭を下げた。


 分からないことは、まだ沢山ある。

 私自身のことだって、まだ思い出せていないのだ。女神の記憶が確かならば、私はこの神達と同等…いや、それ以上の存在として振舞わなければならないのだ。

 楽しげにこれからのスケジュールを語るフェルトを横目に、由美はちらりとクラウスを見る。

 女神はクラウスに抱かれ、クラウスを遠ざけた。自身に愛情を向けるクラウスを恐れるように拒絶したのだ。


 きっと思い出せていない記憶の中に、その答えが眠っている。

 それを思い出したくはないと、本能が叫んでいる。けれど同時に、思い出したいと願う心が、由美を突き動かした。


「これから、忙しくなりますね」


 目を細め、柔らかく微笑むエンラに頷き、由美はこれからのことに思いを馳せた。


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