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『見つけた、  の娘―――』

「えっ?」


 由美は地面を掃いていた竹箒を握り締め、声のした方へ振り返った。

 一陣の風が、枯れ葉を巻き上げ結っていた髪が視界を遮った。瞬間的に目を瞑り、次に目を開けた時には、不思議な光沢をした青い衣を纏う青年がまるで最初からそこに居たかのように立っていた。

 その衣服は、何処か古い時代の文官のような出で立ちで、ひたとこちらに視線を向ける青年の表情には昏い笑みが浮かんでいる。

 この人は、何?

 その異質さはまるで、青年の周囲だけが空間が歪み、似て非なる鏡の世界を投影したかのような、不可思議な悪寒が背筋を走った。


「あの、あなたは……」


 青年が腕を上げ、手を一振りした時、由美はぐらりと地面が揺れるのを感じ、背中から地面に叩き付けられた―――筈だった。

 まるで宙に投げ出されるように、由美は支えるものもなく深い奈落の底へ落ちていく。視界は暗く、何処までも続く深い奈落は恐怖を煽り、得体の知れない何かがひたひたと迫ってくる。由美は混乱の中、身を硬くして意識を手放した。





 木崎由美。それが、由美の本名だった。今年で数えの20歳を迎える由美は、高校卒業後、家業である木崎神社に巫女として奉職し、日々勤めに励んでいた。

 由美の住む町は近年都市化が進み、長閑な田園風景が続いていた町は田畑を潰し、数多くの分譲住宅や高層マンションが乱立する地域で、それに伴い大型団地には新しい小学校が建設されていた。

 町を一望する小高い丘に建てられた木崎神社は、町の総鎮守として古くから信仰を集めていた由緒ある神社だ。

 社家として生まれた由美は三人兄妹の末っ子で、上二人の兄は父の後を継ぐべくそれぞれ神道系の大学に進み、今現在は他県の大きな神社に奉職し、仕事を学んでいる最中だった。


 幼い頃に母を亡くした由美は、父子家庭で育ち、ほんの小さな時から兄共々家の手伝いをして来た。だから由美が高校を卒業すると同時に奉職したのは、自然な流れとも言える。

 基本的に神社に休みはない。けれど、大祭や例祭がある日、週末を除くと神社に訪れる人は驚く程少ない。だから由美は平日の、お日柄が良い日を除いて毎月僅かな休みを貰い、町の中心地へ遊びに行ったり、買い物をして楽しんでいた。

 巫女という仕事は、雑用が殆どだ。神社によってその役割は違い、複数の巫女を擁する旧官幣大社等の神社では、複数の部署に分かれて授与所、社務所、祈祷受付所等に配置され、日々参拝者の接遇や社報の作成、舞の奉仕に務めていると聞く。けれど田舎町の民社とも呼ばれる木崎神社では、一人で色々な仕事をこなさなければならない。ある意味、一人で何役もこなしているような状態だ。

 とはいえ、木崎神社を普段から訪れる人は少ない。だから大祭やそれぞれのシーズン毎にくる、繁忙期にだけ力を入れれば良い。

 そんな理由もあって、由美の普段の仕事は境内の清掃や電話応対、祈祷受付などとても緩やかでのんびりとしたものだった。


 その日も由美は早朝から、父である木崎神社宮司、木崎典久(きざきのりひさ)と朝拝を済ませ、御日供祭を行う父の声を背に、境内の清掃に勤しんでいた。

 ―――その、筈だった。


「ここは、どこ?」


 由美は寝転がっていた床に手を付き、そっと身を起こした。

 周囲に人の姿はない。きょろきょろと周りを見渡すが、そこは由美の知る何処とも似ても似つかない異空間だった。

 まず白い床、大理石のようにひんやりとしたそれが見渡す限り続いている。由美が立つ左右に、パルテノン神殿を思わせる石柱が幾つも並び、見上げた天井は高く、精緻な彫刻が施されていた。奈落の底に落ちた、と思っていたけれど、自身に怪我等は見当たらない。けれど握り締めていた筈の竹箒も、あの青い衣を着た青年もどこにも居なかった。

 ともかく現状把握のため、石柱に向かって歩いていくと、そこから眩しい程の陽の光を感じ、由美は目を細めた。明るい太陽のすぐ傍に、丸い月が浮かんでいる。恐らく今は昼間だというのに、その月は不可思議な鈍青色に染まり、ぽっかりと空に浮かんでいる。


 おかしい…こんなにはっきりと月が、しかも鈍青色をした月が見えるだなんて、あり得ないことなのに。

 由美は思わず後ずさり、前方から人の気配を感じて踵を返し、我武者羅に走り出した。

 どこに行けばいい? 誰か、助けてくれる人は?

 由美は泣きそうになりながらも縺れる足を必死に動かした。後ろから、ばたばたと大きな足音が聞こえ、得体の知れない恐怖から頭が真っ白になる。

 とにかく、隠れるところ!

 走っている途中に見つけた石扉の影に身を隠し、由美はばくばくと鳴る心臓を押さえ、気配を殺して足音が去るのを待った。

 怒声と共に聞こえた複数の足音は、由美の居る石扉の前を通り、何処かへ走り去っていった。ほっと息を吐き、少しだけ時間を置いて由美はそっと石扉の影から出た。そろそろと周囲に目を配る由美は、ゆっくりと近づく気配に気づかなかった。


 もう、大丈夫かしら。

 恐る恐る一歩踏み出すと、急に腕を掴まれ、引きずるように引き寄せられる。

 その勢いで厚い胸板に顔を押し付けられ、由美の心臓は竦み上がった。かろうじて上げかけた悲鳴を飲み込んだのは、一重にまたあの足音に見つかるのではないかという恐怖が勝ったからだ。


「見つけた、  の娘」


 頭上から降ってくる声はひどく穏やかで優しい。温かな腕は決して由美を断罪するような、そんな強引さはない。腰に回された腕が、密着した体を更に引き寄せられ、まるで軽い荷物を持つかのように抱き上げられた。

 視界が高くなり見下ろす形になったその腕の主は、褐色の肌に黒い髪、黒い目を持つ男性だった。彫りが深く、些か顔立ちは強面に過ぎるものの、纏う雰囲気はとても穏やかで、不思議な魅力を持っている。

 柔らかく目元を緩ませたその男性は、由美を抱えたまま何処かへ向かって歩き出した。


「あのっ、おろして!」


 由美の制止も聞かず、男性は暴れる由美をそっと押さえて進んでいく。

 もう、何がなんだか分からない。  の娘って、なに? 私はどうしてこんな訳の分からない場所に居るの? どうして私を連れて行こうとするの?

 様々な疑問が浮かんでは消え、由美は回らない舌を呪い、言葉を飲み込んで身を硬くする他無かった。


 同じ景色が続くかに思われたその場所は、ある石柱を抜けると、広大な緑豊かな大地と石造りの民家が由美の眼下に広がっていた。

 その美しい景色に、由美は圧倒された。

 思わず息を呑んで食い入るように景色を見る由美に、由美を抱いた男性は満足そうに笑みを浮かべる。その表情に慌てて顔を引き締めた由美は、それでも目の前に広がる美しい景色に目を奪われ、そこかしこに視線を走らせた。

 石畳を歩く男性は極力揺れないよう細心の注意を払ってくれているのか、由美が不快に思うことはなかった。というよりも、とても丁寧に扱われている気がするのはどうしてだろう? 由美は、ここに迷い込んだ異人だというのに。

 いつのかにか目前に迫っていた石造りの建物に、男性は躊躇なく入って行った。入り口に立つ警備兵らしき青年達は、由美を抱く青年を見てぎょっと目を剥いていたものの、職務に忠実なのか、男性が二、三言付けると、顔を引き締めて頷き、困惑する由美を見送った。


「遅いじゃないですか、ジャルタ」

「すまない。見つけるのに手間取っていた」

「だと思いましたよ」


 建物の、ちょうど中央にあるらしい広間の一室に、上質な服を着た長髪の青年が待っていた。長髪の青年は、由美を抱き上げた男性、ジャルタと呼ばれる男性に非難を浴びせ、それに淡々とした声で答えたジャルタは、腰に手を当ててため息を吐く青年の目の前に由美を下ろし、青年の隣に並んだ。

 どちらも整った顔立ちの男性に見つめられた由美はその視線に怯え、僅かに後ずさる。

 こんなにも強い視線を向けられたのは、生涯で初めてのことでは無いだろうか。


「お帰りなさい、  の娘。私は、クラウス。あなたを此処にお呼びした、張本人です」


 クラウスと名乗った青年は、よく見ると、確かに木崎神社の境内で見た青い服の男だった。


「私は、どうしてここに? お帰りなさいって、どういう意味ですか? それに、  の娘って、どういう…?」

「そう焦らないで。ちゃんとお話しますから。まずは座ってください」


 部屋の中央にある円卓の椅子を勧められ、由美は戸惑いながらも従った。それに習うように、クラウスもジャルタも椅子に座った。直ぐに差し出されたお茶は、薄いピンク色をしていて、由美が手をつけることはなかった。

 警戒するように見る由美の視線をどう感じたのか、クラウスはそっと寂しげな笑みを浮かべ、口火を開いた。


「まずは何処から話しましょうか、  の娘」

「あの、その  の娘って、なんですか?」

「  が分かりませんか?」

「はい」

「女神、ですよ」

「……えっ?」

「あなたは、女神の娘です」


 思わずぽかんと口を開いた由美に、クラウスは真剣な眼差しで答える。


「女神って、あの、冗談ですよね…?」

「まさか。私は嘘がつけませんから、冗談ではありませんよ」

「理解し難いだろうが、まず受け入れろ。そして、私達の話を聞いて欲しい。女神の娘」

「…………」

「それでは、これまでの経緯からまずお話しましょうか」


 クラウスは、呆然とする由美に構わず話を進めた。

 クラウス曰く、ここはシュレールという国、いや世界らしい。由美の居た世界とは別物。平行次元に存在する、全く別の世界。その世界を創ったのが女神、イスカヴァル。イスカヴァルは世界を創ると同時に様々な神を生み、大地を作り、獣や人を生んだ。女神は世界を慈しみ、愛し、様々な力と恵みをその世界の住人に授けた。世界は豊かに繁栄し、その素晴らしさは永遠に続くかに思われた。

 しかしある時、女神は自身が作った世界から離れ、世界を誰かに託すことに決めた。女神はこれを神と人に伝え、世界は混乱の中に陥る。

 女神が世界を託す調律者を決めて数十年、一人の子が生まれた。


「それがあなた、女神の娘。あちらの世界の名では、木崎由美。そう、あなたです」


 女神は子を別の世界へ移した。世界の調律者であるその子どもは、まだ不安定で、世界を支えるには未熟であったから。


「そして、あなたの力が満ちた今日、この世界にお連れしたのですよ」

「そんな夢みたいな話、あるわけ…」

「娘。お前のその姿こそが、これが現実である証ではないのか?」


 豪華な姿見を由美に向けるジャルタは、うっすらと微笑んで驚愕する由美を見つめた。


「なに、これ。わたし、私じゃ、ない…?」


 見慣れた白い白衣に緋袴、これは変わらない。けれど視線を上へ上へと辿っていく内に、由美は固まった。艶やかな白銀の髪に、透き通る白い肌、ぽってりと赤い唇、アメジストの瞳。そこに映る由美は、見慣れた黒髪黒目の自分とはかけ離れた存在だった。がたりと椅子から立ち上がった由美に、クラウスは満面の笑みでこう言った。


「お帰りなさい、女神の娘」


 由美は、顔から血が引いていくのを感じ、へたり込んだ。





 あれから放心状態の由美を見て、「とりあえず今日は部屋でお休み下さい」とクラウスに案内され、声を上げる間もなく大きく広い部屋に押し込められた。

 どういう仕組みなのか、鍵穴は見つからないのに、部屋に入ってからドアノブを押しても引いてもびくともせず、由美はこの部屋から出られないことを悟るしかなかった。

 落ち着いた印象の部屋には、天蓋付きのベッドが一つ置かれ、一目で高級品と分かる飴色の文机と上質な布が張られた椅子が置かれていた。

 窓から見える外の景色は、美しい緑と色とりどりの花々で美しい。

 何ていうのだろう、ヨーロッパのアルプスを思わせる雄大な景色の広がりに、ただ息を飲むしか無かった。


 ……なんで私は、ここに居るんだろう?

 地球へは、もう帰れないのだろうか?


 部屋の中をつぶさに見て歩く気にもなれず、由美は袴を脱いで白衣の帯を緩め、そっとベッドの中に滑り込んだ。思った以上に疲れていたからか、由美はそのまま深い眠りの中に落ちていった。


 翌朝、由美はまだ外が薄暗い夜明けと共に起床した。部屋の中には明かりとなるランプが置かれていて、由美は傍にあったマッチで火を入れてランプを灯した。

 白衣に半襦袢、それに下着しか着ていない今の姿は、端から見ればあられもないに違いない。けれど緋袴を着る気にもなれず、由美は壁際に置いてある衣装棚を恐る恐る開いてみた。

 もしも衣装棚に由美が着れそうな服がなければ、着替えは諦めていたかもしれない。

 衣装棚には、女性物の衣服が綺麗に収納されていた。


 昨日、クラウスとジャルタが着ていた衣服を見て感じてはいたけれど、こちらの世界の衣服は、日本で言う漢服に似ている。

 衣装棚に収められていた衣服もすべて、中国を思わせる衣装だ。

 それらは襖裙と呼ばれる上下に分かれた衣服と褙子と呼ばれる上衣がセットになっていて、ざっと見ただけでも十組は収納されているようだった。

 この衣服だけで、幾ら位掛かるのだろう…。コスプレ染みた薄っぺらい衣服ではなく、厚みがあって絹のような滑らかな手触りと精緻な刺繍が施されたそれは、それらの衣服に馴染みのない由美でも一目で高級品と分かる。

 それらを借りて着るのは、些か勇気が必要だった。


 でも、このままでは外へ行くことだって出来ない。

 よし、後で事後承諾を貰おうと、由美は腹を括った。


 見た限り、襖裙も褙子も、有難いことに紐で結ぶタイプの衣服のようだから、由美一人でも着付けが出来る。

 由美は迷わずその中の一つを手にとって白衣と半襦袢を脱ぎ、身につけた。


 下着となる真っ白な服を纏い、その上から金糸で刺繍が施された白縹色のスカートを穿き、光沢のある白藍色の上着を纏う。更にその上に桜色の袖口の広い褙子を羽織って胸元で結べば完成だ。

 部屋の奥にあった姿見で自身の姿を確認し、思いがけず鏡を覗き込んだ。昨日は衝撃でよく見れなかったけれど、改めて自身の姿を見ると不思議な感情が沸き起こる。


 まるでこれが、本来の自分の姿だったのではないかと、思うのだ。

 今までの由美ならば笑って「夢でも見ているのよ」とばっさり切り捨てたそれ。けれど今は何故か自分の中ですとんと腑に落ちた、馴染んだ容姿だと思うのだ。


 ……私が女神の娘なんていう大層な存在かどうかは分からない。でも、この世界は確かに私にとって“本当の世界”なのだということは分かった。

 由美は裾を払って部屋の椅子に座り、ぼんやりと宙を見つめた。


 これから、どうなるのだろう。何が起こるのだろう?


 そう考えると、自分のこれからが酷く怖いものに思えてくる。クラウスは由美を世界の調律者だと言った。ならば自分は、この世界にすべてを捧げなければいけないのではないか。女神の娘として。


 そして、世界の調律者として…か。


 由美は漠然とした不安を抱えながら、そっと意識を手放した。


 数十分後、コンコンと部屋の扉がノックされる音で、由美は意識を浮上させた。もうすっかり陽が上り、窓からは明るい日差しが差し込んでいる。気候が良いからか、思いがけずぐっくりと眠ってしまっていたらしい。


「娘、ご起床されていますか? クラウスです。入室してもよろしいですか?」

「はい、どうぞ」


 入室したクラウスは、由美の姿を目に入れると目を見開いて驚いていた。そんな顔も出来るのだと、由美はくすりと笑う。さっと表情を引き締めたクラウスは、「ご自分でお着付けになられたのですか?」と由美の着用する衣服にさっと目を配りそう尋ねた。


「はい、そうです。お借りしてしまいました。似合いますか?」


 冗談めかして笑う由美に気を抜かれたのか、クラウスは満面の笑みを浮かべた。


「とてもよくお似合いですよ。本当にお美しい。ああ、これらの衣装はあなたのために用意したものです。勿論、使っていただいて構いませんよ」

「…ありがとうございます」


 由美は恥ずかしさでさっと目を伏せた。まるで愛しいものを見つめるかのようなその視線は、由美のすべてを見透かしているかのように感じて、きゅっと褙子の袖を握り締めた。

 それにクラウスが気づくことはなく、クラウスは部屋の外に合図を送った。


「お腹がお空きではないですか? お食事をお持ちしました」


 ワゴンを押して入って来たのは、見慣れない年若の少年だった。

 部屋の隅に置かれていた丸い円卓を広げ、その上に上質な布を掛けて食事を並べる少年は、由美と視線を合わせることなく、準備が整うと一礼しドアの傍に控えた。


「さあ、お召し上がりください。お口に合うかは分かりませんが」


 少年の事が気にはなったが、由美はクラウスに頷いて、レンゲを手に取りスープを頂く。様々な料理が所狭しと並び、由美はこれをすべて一人で食べるのかと驚く。残さないようにしなければと、由美はそっと息を吐いた。


「美味しい、です」

「それは良かった」


 次々と食事に手を付ける私を立ったまま見つめるクラウスは、萌黄色の直裾に深緑の褙子を羽織っている。黙って立っていれば、文官のような出で立ちだ。藍色の髪にサファイアの瞳を持つクラウスには、とても良く似合っている。

 この世界にはもしかすると、顔立ちの整った人しかいないのかもしれない。

 そんな馬鹿げた考えが浮かぶほど、この世界の人たちは揃いも揃って美形だった。きっと平凡な顔立ちの人がこの世界に迷い込んだのならば、劣等感を余すことなく擽られるだろうと思うほどには、こちらの世界の容姿レベルは高いのだろう。


「私の顔に、なにか付いていますか?」

「…いいえ。気に障ったのなら、ごめんなさい」

「別に構いませんよ。こちらの人間の顔は、珍しいでしょうから」

「そう、ですね。こちらの世界の衣服も、私が知る、あちらにあった伝統的な民族衣装にとても良く似ています」

「そうでしょうね。女神は、あなたが居た世界にも間接的に接触したことがあるそうですから」

「そうなのですか?」

「ええ。女神はそう仰っていましたね」

「そうですか…」


 女神はどうして、自身が作ったこの世界を離れようと思ったのだろう? 女神はクラウスにとって、どんな存在だったのだろう?

 由美は食事の手を止めて考え込んだ。それを見透かしたかのように、クラウスは「食べないと冷めますよ」と声を掛ける。それに慌てて食事の手を再開すると、クラウスは今日の予定について話し始めた。


「今日は、あなたが居るべき場所へお連れします」

「居るべき、場所?」

「正確に言えば、女神の居るべき場所ですね。つまり、あなたが居るべき場所でもある」

「ここは、そうではないのですか?」

「ええ。こちらは、あなたが最初に到着なさった場所を守る衛士達の詰め所です」

「なら、この部屋は?」

「衛士達を纏めるジャルタの部屋ですよ。まあ、あなたを迎えるに当たって、仮の住まいとして改装しましたが」

「ジャルタさんの…」

「ええ。まあ、この世界のものすべてがあなたのものですから、特段気にすることはありませんがね」


 申し訳なさに眉を寄せる由美に手を振り、軽い口調でそう言ったクラウスは、「食べたのならば、食後のデザートを用意させましょう。良いですか?」とドアの傍に控えた少年を呼び、食器を下げさせた。


「ありがとう」


 そう声を掛けると、少年はびっくりした表情で由美を見つめ、次いではにかんだ笑みを浮かべて手早く食器を片付ける。それにほっと笑みを返すと、少年はクラウスと由美に向かって一礼し、ワゴンを引いて部屋から出て行った。それに渋い顔をしたのがクラウスだ。


「あまり、下々のものに気安いのは、些かよろしく無いですね」

「いけませんでしたか?」

「…いえ、まああなたは世界の調律者だ。自由に振舞って頂いて構いませんよ」


 それにしては非難するような口ぶりのクラウスに、由美はそっと顔を伏せてため息を吐いた。

 私は女神じゃない。単なる木崎由美で居たいのに。そう言って衝動的に部屋を飛び出したくなる。けれどそうさせないクラウスの雰囲気に気圧され、由美は縮こまった。由美の意思に反して、この世界では女神の娘という存在は大きく、そして高いのだろう。

 それでも、自分にはどう振舞えば良いかだなんて由美には分からなかった。


 デザートを食べ終えると、クラウスは直ぐに由美を部屋から連れ出し、上等な馬車に乗せた。


「本来ならばわざわざ馬車を使う必要も無いのですが…」


 ちらりと由美を見たクラウスはそう言って言葉を濁し、馬車を出発させた。

当然のように同じ馬車に乗り込んだクラウスは、由美が乗りやすよう手を貸した。服の裾を払って座ると、滑らかに馬車は動き出す。

 暫くぼんやりと馬車の外を流れる景色を見ていると、クラウスは昨日の話の続きを話し始める。


「あなたはこの世界の何たるかを知らない。そのままでは、女神から託された本来の力を奮うことは出来ないでしょう」

「力、」

「そう。昨日は色々と端折りましたが、あなたは女神の一部を授かった。即ちあなたは女神の分身でもあると言えるのですよ」

「分身、」

「ええ。女神の力、女神の声、女神の容姿…あなたはそのどれをも受け継いでいます」

「私はっ」

「あなたは女神の娘だ。それに変わりはありません。ですからもう、あなたは木崎由美という異世界人ではない。こちらの世界の女神の分身、女神の娘です」

「でも、私は……」

「木崎由美という存在はまやかしの存在でした。本来のあなたではない」


 私は木崎由美よ、そう叫びたい由美の心が手に取るように分かるのか、クラウスはばっさりとそう切り捨てた。

 今までの自分を捨てよ。それは仮初めの姿。それは肉体が、精神が纏っていた殻だと、クラウスはそう言うのだ。


 怖い。私が、私ではないと、そう断言されるのが。

由美はぎゅっと目を瞑り、この現実から逃避した。

 その拒絶を感じ、クラウスはそれ以上由美を責めることはせず、沈黙の中、馬車は目的の場所へとひた走った。



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