10-①練習復帰
「お前、もう十周走ったのか」
校舎の外周走でヘバる先輩たちを尻目に、控え組で先着したユウキに門で待っていた監督が声を掛けた。はい、と歯切れよく返事をする彼は珠のような汗が滴ってはいたが、息はさほど上がっていない様子だ。
「まだラストが来るまでは時間が掛かりそうだな」
周回遅れの部員に檄を飛ばす間に吉川は呟く。
「設楽、お前まだ走れるよな」
その質問にもユウキは小気味良く返事をした。
「だったらなにしてんだ。突っ立ってないでもっと走れ! サボった分取り返さねぇと承知しねぇぞ!」
お尻を蹴る真似をして監督はまくし立てた。
外周が終わると全体でキャッチボールと素振りをし、その後はポジションごとに別れて練習メニューをこなした。小学生から毎日のように続けた練習は、僅かな期間を休んだだけなのに全てが新鮮に感じられ、心から楽しむことができた。今のユウキにはつらい走り込みや地味な素振りでさえ心地よく思えた。
ああ、やっぱ俺、野球好きだわ。そして彼はそんなことを思い、自分に対する野球の占める大きさを再認識したのだった。
「設楽、隣使えよ」
ブルペンで玉拾いをしていると、思いがけずエースである佐久間からマウンドに招かれた。エースは先に振りかぶり、キャッチャーの構えたところにズバリと投げ込む。ユウキも負けまいと続いて投げ込み、ストレートがミットを叩いた。
「スライダー、投げられたよな」
十数球放ったところで佐久間はそう言い、自らキャッチャーにスライダーを投げる旨のジェスチャーをし、振りかぶる―――ボールはまたしても狙ったところに切れ味鋭く曲がりながら吸い込まれた。ユウキもまた投げ込むが、今度はなかなか狙い通りの低めに行かない。
「まだ曲がりがだらしないな。第一、コントロールが全然だ」
真顔で言われ、ユウキはムキになって投げ込む。が、バッターのいない状態でもスライダーの制球は定まらなかった。
「どんな握りしてんの」
しばらく見ていた佐久間が寄ってきた。ユウキが自分の握りを見せると、エースは代わりに自分の握り方を見せてくれた。彼の握り方は一通りではなく、三種類を場面や調子によって使い分けているとのことだった。
「教科書通りもいいけど、合う合わないがあるからいろいろ試した方が良いぞ」
そう言い残してブルペン練習を終えたエースの背中に、ユウキは帽子を取り、精一杯の礼をしたのだった。
その後、ユウキは記憶したそれらの握りを球数制限いっぱいまで試した。コントロール重視と言っていた握り方にすると、曲がりは弱くなるが球速が上がり、何より制球が格段に向上した。
「いいじゃんこの球」
球を受けていた寺内もそんなことを言いながらボールを返してくる。他の二種類は実践で使うには程遠いレベルだったが、制球と球速の上がる握りには手ごたえがあった。変化球の制球に難があると自認していたユウキは、その球に大きな可能性を感じたのだった。
全体練習後、日が暮れるまでユウキは居残りで投げ込みを行った。
「付き合ってもらって悪いな」
「何言ってんだよ。今までサボった分、取り返すんだろ?」
「お前、聞いてたのかよ」
軽口を叩く寺内に苦笑いでユウキも応えるが、部室前で彼はふと立ち止まった。
「この前、サンキューな」
「なになにいきなり、なんのこと」
とぼける相方に彼は感謝を伝えずにいられなかった。野球を続けられるようになったのもお前のおかげだよ。ユウキは心の中でそんなことを呟いた。
「別に」
でも、口に出すと照れくさいから代わりに肩を叩く。
「何それ、意味わからん」
そう言って寺内も彼の肩を抱いて応じたのだった。
軽口を叩きあいながら部室のドアを開けると、一瞬で空気が凍り付くのがわかった。
「お疲れ様です」
二人が挨拶しても中條たち二年生グループは反応しなかった。上級生が緩慢なしぐさで着替えをする中、二人はそそくさとユニオームを脱ぐ。ユウキは何か言われるのを覚悟していた。が、中條は彼の一挙手一投足を蛇のような眼差しで監視しつつも、とうとう何も言ってこなかった。
「おおヤバかったなぁ」
逃げるように部室を出ると、寺内が身を縮めて声を絞り出した。
あの調子だと吉川に呼び出しを受け、きついお灸をすえられたのだろう。相方は帰り道、上級生についてそんなことを言いほくそ笑んだ。ユウキは曖昧に頷きながらも、先輩の視線に胸騒ぎを覚えていた。陰湿な中條が大人しく、ただ張り付いて離れないような視線を向けていた。彼にはそれがなぜだか脳裏から離れなかった。