9-②それもまたあいつらしい
間も無くマウンドに上がったユウキを見て、アカネは一つため息をつく。
あいつ、ドタキャンのこと反省してないし。そう思うが、今はそれどころではないと思い直し、戦況を見守ることとした。
改めて状況を見てみると、依然、フルベース。内野が前進守備を敷いているところからツーアウトでもないらしい。ゴロで本塁ホースアウトか、あわよくばダブルプレーを狙う場面だ。打たれたら大量失点は免れない。遠くに見えるスコアボードには、四対四と書かれていた。試合は終盤。ユウキがここを切り抜けられるかどうかが勝敗のカギを握っていると言っても過言ではない状況だった。
「あいつ、こういう場面であんな顔するかな」
遠くからでもわかるくらい、彼の表情は明るかった。まるで最高のおもちゃを手に入れた子供のようにユウキは白い歯を見せて自らを奮い立たせているのだ。
マウンドでのピッチング練習が終わり、打者がバッターボックスに入る。ユウキは一転、闘志をむき出しにして打者を睨みつける。走者にはまるで気が行っていないのではないかと心配するが、そんなことはお構いなしとばかりに彼は大きく振りかぶった。
———どの球種を放ったかはアカネの場所からは定かではなかった。しかし直後に弾き返される鋭い音がしたかと思うと、次の瞬間にはユウキのグラブが乾いた音を響かせていた。
一瞬アカネが息を呑んだのもつかの間、彼は俊敏に身を翻し、矢のようなボールをファーストに送球した。
「アゥッ!」
遠くで塁審がコールするのを聞いて、静まり返っていた場内が一気に沸いた。
ぞろぞろと野手がベンチに引き揚げてくる際、ユウキは何人かにグラブタッチで祝福された。頭を小突かれる手荒い歓迎にも、彼はいつものヘラヘラ顔に戻って応えていた。こちらに気付いたユウキがグラブを上げたのを見て、アカネはどういうわけか無性に恥ずかしくなり、試合の行方も見ないままその場を離れたのだった。
「どうして最後まで見てかなかったんだよ」
夜、ささやかな誕生日パーティーが終わり、自室に引き揚げた後、ユウキから珍しく電話がかかってきた。
「別に私はあんたの試合を観に行ったわけじゃないもの」
「え、そうなの?」
「そうだから」
間の抜けた彼の声にため息交じりに応える。
試合はあの後、自軍が点を重ねて勝利したこと。自分が勝利投手になったこと。最後まで抑えきったことなどを彼はゆるく報告してきた。興味がない風を装いながら、アカネは電話越しで微笑んだ。まあ、野球のことを話しているときが一番、こいつらしいな。そしてそんなことを思うのだった。
「そう言えばさ」
「なに」
「今日はドタキャンになっちゃって悪かったな」
急に謝られると返す言葉に困ってしまう。アカネは咳払いで動悸をごまかす。
「だからじゃないけどさ。今度の大会の日、部活休みだからちょっと付き合ってくれよ」
またしても予想外な展開に彼女の鼓動はリズムを忘れた。
「じゃあ、考えておいてくれよな」
そして幼馴染は返事を聞かぬまま一方的に通話を遮断してしまったのだった。
自分勝手な物言いに憤ったが、新たな誘いに胸躍る自分も否定できない。
「それにしてもあいつ、今日が私の誕生日ってこと、すっかり忘れてたな」
改めてひとりごちると急に腹立たしくなり、アカネは傍にあった枕に拳を押し付けた。
「でもまあ、それもまたあいつらしいんだけどね」
そしてそんなことを漏らして弱く笑うのだった。