依頼/AM10:00
古ぼけた天井に紫煙が染み付いていく、天井や壁はニコチンで汚れていないところを探すほうが難しいほど汚れている。そんな廃墟と見紛う建物の中、僕と少女は対峙していた。もしも、僕の表情を一言で表わせと言われたら「鬼」と表現するだろう。それぐらい不機嫌さを隠そうとしていない。僕は気持ちを切り替えて目の前の少女を見据える。その少女は肌と髪が病的に白く、瞳が血のように赤い。世間一般的にアルビノと呼ばれる姿だった。一回大きくため息を吐き出し、僕はもう一度問いかけた。
「それで、もう一度聞くぞ。君の依頼は一体何だ」
彼女は覚悟を秘めた瞳で、先ほどと変わらぬ口調で言った。
「私の、私の父を探してください」
僕は大きなため息を吐き出し天井を仰いだ。
あれはいつぐらいの事だろうか、この街に奇妙な噂が流れ始めた。曰く、顔のない男がいる、性格が変わった人間がいる。奇妙なカエルの化け物を見た、人がタールのように溶けた。長い間この街にいればいくらでも聞く与太話だ。僕は意図的にこの話題を頭から外していた。しかし、そんなことお構いなしにハリケーンのような強引さで僕を巻き込んだ女がいた。それがこの眼の前にいる少女だ。
「なあ、もう一度言うけどさ、そういう人探しは警官の仕事だ。僕のような三流探偵にいうことじゃない」
「で、でも。この街の警察はみんな汚職に手を染めていて誰もまじめに探してなんてくれません。他の事務所では断られて、あなただけが頼りなんです」
少女は必死に頼み込んでくるが、正直迷惑だ。こっちは毎日生きるのに精一杯な貧乏三流探偵。こんなことにかまけている時間は無いに等しいのだ。
「受けてあげればいいじゃん。どうせいつもと同じようになるさ」
二階に続く古ぼけたドアから眠そうな声が聞こえてくる。本当に厄介なときに、僕は目の前の少女に聞こえないよう小さくつぶやく。同居人であり、相棒。それがこの声の主だ。
「ショーン、あんまり無責任なことを言うな。それとも、コーヒーが飲めなくなる生活を送りたいのか」
古ぼけたドアが軋みながら開いていく。その女は眠そうな目をしており、髪型はショートボブ、男ウケしそうな見事な身体が無造作にさらされていた。
「おい、依頼人もいるんだぞ。服ぐらい来たらどうなんだ」
「ごめん、ごめん。昨日の夜は寝苦しくてさ。それとコーヒー入れてくれないかな」
僕はしぶしぶ立ち上がりサイフォンのそばまで行く。ショーンはリリリリリリと奇妙な笑い声を上げながら朝刊を流し読みしていた。
「えっと、その。ショーンさん、依頼を受けてくれませんか」
アルビノ少女は僕からショーンへと標的を変えたようだ。ショーンは一瞬目を向けたが、興味なさげに視線を紙面に戻した。ショーンは基本的に僕の害になることや、自らの命が危険にさらされない限り積極的に行動はしない。
「無理だよ、あいつは基本的に他人に興味ないから。君も諦めてさっさと帰りなさい」
僕は少女に向かって優しく忠告する。社会の厳しさを教えるだけが大人ではないと思ったからだ。そうこうしている内にコーヒーが出来上がった。やはり僕はコーヒーを入れる達人だ。……紅茶のほうが好きだけども。
ショーンの目の前にコーヒーを置く。もちろんシュガーとミルクも忘れずにだ。彼女はビンに入っているシュガーをすべて入れ、さらに、ミルクをぶちまけた。それを愛おしそうに、美味しそうに飲んだ。やはり彼女の趣向と僕の趣向は相容れない。
「ありがとうございました。他をあたってみます」
アルビノの少女が残念そうな顔をして頭を下げた。それを見たショーンが朝刊を机に置き彼女を見据える。
「そういえば君の名前は何て言うんだい? 彼のことだから聞き忘れていると思うけど」
余計なお世話だ、そう思いながら少女の名前を聞き忘れていたことに気がついた。まぁ、こんな閑古鳥が泣いている探偵事務所に来るぐらいだ、一時間もしないうちに名も無き少女Aとなるだろう。
「クラリッサ、ロズウェル・クラリッサです」
ロズウェル・クラリッサ?僕の頭に電撃が走る。そうだ、ロズウェル、その名前には聞き覚えが、いや、見覚えがある。僕は机に置かれた新聞をちらりと盗み見る。そこにはデカデカと「ロズウェル製薬会社社長、ロズウェル・バートン氏が行方不明に」そう書かれてあった。
それを見た瞬間、僕は一瞬でアルビノ少女との距離を詰める。彼女は少し怯えてしまったが今はそんなこと重要じゃない。僕は床板を割る勢いで頭を下げる、俗にいう土下座だ。そして出来る限り丁寧に、それでいて全力で声をあげる。
「その依頼謹んでお受けさせて頂きます!」
それを見た彼女の顔は現状について行けず呆けており、ショーンの奇妙な笑い声だけが虚しく事務所に響いていた。