覗く男
ガチャガチャという音と共に素早く扉が開かれ、忙しくなく閉じられる。少しの時間の後、部屋の電気がつく。そして、あの女、仲久仁美が十畳のワンルームに姿を現す。俺が部屋に入ったときには余裕がなくてじっくりと見れなかったが、こうして明るい中で彼女の部屋を見渡すと、白いテーブル、シンプルな木製のスタンダードベッド、小さめの液晶テレビ、冬物の服がかけられたハンガーラックという女子大学生にしては質素な部屋が彼女らしさを伺わせる。そんな誰が見ても彼女の部屋とわかるような場所にいるにも関わらず彼女は落ち着いた様子をみせず、何かに怯えているように見える。
仁美はきょろきょろと部屋を見渡して、安堵の表情を浮かべる。荷物をテーブルの側に置き、ベッドに腰を下ろす。その直後につく深いため息からここ数日の彼女の心労が伺える。まあ、正体不明の相手に付け回される恐怖がどれ程のものかなど想像するのも難しい。付け回している俺が言うのもなんだが。
仁美とは、大学二年生の夏に知人の紹介で出会った。口数が少なく、ミステリアスな雰囲気に、影を感じさせる儚げな容姿。俺は一瞬で恋に落ちた。
彼女と少しでも接点を持ちたくて、同じ授業をとり、同じサークルに入り、同じバイトをした。様々な話題を用意して話しかけて、その度に玉砕して悶え苦しんだ。彼女と話せば話すほど彼女に惹かれていき、彼女のことしか考えられなくなった。段々と話していくうちに彼女も話をしてくれるようになった。ようやく彼女も俺のことを意識してくれたのだと感じ、俺はすぐに彼女に告白をした。だが、彼女はそれを断った。
彼女は、俺の覚悟を簡単に踏みにじり、俺に恥をかかせた。殺してやろう。それも徹底的に追い詰めてから。その瞬間そう思った。
それから彼女に対するストーカー行為を繰り返した。バイト先から帰る彼女を暗闇の中で追いかけたり、差出人不明の手紙を毎日のように送り続けたり、深夜に彼女の部屋をノックし続けたり。俺の予想通り、彼女は誰に相談することもなく、一人で抱え込んでいった。
そして今日、俺の仁美に対する復讐が終わる。仁美を殺すことで。
俺は仁美が大学に行っている間に、仁美の家に侵入し、クローゼットの中に隠れた。クローゼットに片づけられた衣服から香る彼女の香りに包まれて、彼女に対する怒りを持ちながらも、幸福を感じるという、矛盾した時を過ごした。
仁美がようやくベッドから立ち上がった。包丁を強く握りしめ、慎重に仁美を殺す機会を伺う。
彼女は深く深呼吸をすると、テレビの方に近づいていく。テレビ台は恐らくカラーボックスなのだろうが、その中に何が入っているのかはカーテンによって仕切られており見ることができない。仁美はそのカーテンを横にずらす。
「……っ!!」
思わず小さく声が漏れた。急いで口を噤む。幸い仁美にはバレていないようだが、心臓の音はなりやまない。
予想通り、テレビ台は白のカラーボックスだった。仁美がカーテンをずらすと、その二段目には小型のカメラが設置されていたのだ。
恐らく仁美は精神的不安から家にいる間も安心できなくなっていったのだろう。そのカメラで自分の不在中の部屋の様子を録画することで、自分の部屋の安全性を確かめたいのだろう。
だが、その映像中には仁美より先に部屋に入り、クローゼットに身を隠す俺の姿が映されている。仁美がそんなものを見れば、彼女を殺す計画が……いや、それでもいいか。
怖い話とかでよくあるじゃないか。部屋に設置したカメラの録画映像を見ていると、男が部屋に入ってきた後に、自分が入ってくる。あれ、実際に経験したらどんな表情するのかな。
最後に仁美を最上級の恐怖に曝してから殺してやろう。
仁美はカメラの映像をテレビに映し出した。
残念ながらクローゼットとテレビの間に仁美が座っているため、録画映像や彼女の顔を見ることはできない。が、不安からか小さく震える彼女は、それだけで価値のある光景だった。
「えっ……なんで……」
恐怖に震える仁美の姿に興奮する。が、まだだ。まだ、殺すわけにはいかない。その後に部屋に入ってくる自分の姿を見て、絶望する彼女を目に焼き付けないと。
「……う、嘘……早川君がこの部屋に……」
今だ。最後に恐怖に満ちたその顔を俺に見せてくれ。
俺は勢いよくクローゼットを開けて、仁美の元へと駆け寄った。
ーーーーーーーーーーー
「……ふぅ」
想像していたよりも人を殺すなんて呆気ないものだな。確かに計画したり良心が生きている間は壮絶なもので、生半可な覚悟じゃできなかった。
でも実行するのは本当に簡単なことで、手に持つ包丁を仁美に突き指すだけで、彼女の命は失われた。
「それにしても間抜けな最後だったな」
俺を見た瞬間の仁美は、恐怖や後悔、焦りや嫌悪など負の感情に満ちていた。仁美もあんな顔をするんだな。
逃げる余裕も与えずに、一撃で殺せたことはよかった。これで外にでも逃げられたら、彼女を殺すのはまず不可能だったから。だが、欲を言えばもっとゆっくりと嬲るように殺したかった。彼女の恐怖に怯える顔を存分に眺めて、冷めぬ興奮の中で殺したかった。
「まあそれは……この録画映像でチャラにしますか」
俺は包丁をそこらに放り投げ、白いテーブルの前に座る。
すぐ隣に自分が殺した相手が横たわっている中で、その殺す映像を見るなんてそうそうできる経験じゃない。
「……んっ!?」
違和感を覚える。
そこに写っているのは怯えながら部屋に入ってくる仁美だった。
……おかしい。何故だ。
殺している途中にリモコンに当たってしまったのだろうか。いや、そんな記憶はない。
何か嫌な予感がする。
よくよく考えると彼女の発言も少し違和感があった。
「……まさかな」
何かの勘違いだろうと自分に言いかけつつ、録画映像を逆再生する。
「……なっ!?」
そこには自分がクローゼットから出てくるシーンが映っていた。これは逆再生だから、経時的に考えると俺がクローゼットに隠れてから彼女が部屋に入ってくることになる。
これ自体は問題ない。俺自身先ほど体験していた状況だから。
問題はそこではない。では、彼女は何を見て二回驚いたのか。
「……つ!? 嘘だろ……」
俺は慌てて先ほど放り投げた包丁を探す。が、ベッドの近くに投げたはずのそれはどこにも転がっていない。
投げた結果、ベッドの下にでも転がり込んだのか、あるいは“拾われた”か。
録画映像を逆再生し続けると、そこには、ベッドの下から現れて部屋を物色する男の姿が写されていた。
はい、ということで何の罪もない女性を殺してしまいました。
ちょっと良心が痛みましたね。別にこんなに詳しく女性について書かなくても、良かった気がしてきた……。
まあ、そんなわけでこの後早川君かどうなろうと私には知ったこっちゃありません。自業自得です(笑)