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スクープ


 「まだウラはとれねぇのかよ!徳永辞任で打てるのか!?もう締め切りまで時間ねぇぞ!」


  デスクの耳をつんざくような怒声が受話器越しに響いた。携帯を持つ右手は汗ばんでいた。


  海浜球場の地下駐車場。試合を終えて2時間が経ち、選手の愛車はほとんどなくなっていた。ほとんどの新聞記者も原稿を書き終えて30分以上前に球場を後にしていた。電話が切れると、左手首につけた腕時計に目をやった。


 午後11時半。出稿時間の締め切りまで残り5分を切っていた。




 打つべきか、見送るべきか―――――


 




千葉市内の海浜球場を本拠地に置く海浜タイガースは9月15日現在で49勝82敗2分。クライマックスリーズ進出の可能性は2週間前に消滅し、残り11試合で5位の名古屋ベアーズとも6.5ゲーム差と4年連続最下位が確実な状況だった。


 チームが弱いと、新聞記者に求められる原稿も試合の記事ではなくなってくる。監督の交代、コーチ人事、選手の引退、解雇…ストーブリーグ取材といううやつだ。この手の取材に監督、コーチ、選手、現場でなく人事権を持つ球団社長らフロントも一様に口が堅くなる。 

 

 

 情報が新聞から漏れたら球団の信用問題に関わる。ごく一部の人間しか情

報を共有せず、箝口令も敷かれるため、スクープを打つのは記者の培った人脈、取材力が試される。


 

 東和スポーツの水野翔平は海浜タイガースの担当記者を務めて2年目。スポーツ紙が6紙いる中で担当記者は最年少の28歳だ。


 


  海浜タイガースの一番の注目は監督人事だった。

 



 徳永恭三監督。48歳。現役時代はタイガース一筋で22年間、通算打率・302で首位打者も3回獲得した左の強打者だった。現役時代から口数は少なく、マスコミ泣かせでも知られていた。同学年で通算312本塁打を獲得した中原雅史はお立ち台のマイクパフォーマンスで観客の心をつかむのとは対照的だった。


 寡黙な職人気質。身長185㌢、82㌔と恵まれた体格だが声は聞き取れないほど小さい。実力の割には全国的な知名度が今イチだったことからファンの間では「日陰の徳永」と揶揄されることもあった。


 

 だが、翔平は野球を始めた小学3年生から徳永が大好きだった。どんなコース、どんな球種もレフト、センター、ライトにいとも簡単にはじき返す。徳永の一本足の打撃フォームに憧れ、雑誌の付録についていた打撃フォームの連続写真を拡大コピーして家の部屋にセロテープで貼り付けていたときもあった。


 徳永が京浜タイガースの監督に就任したのは2年前の2011年。選手を引退後に2軍打撃コーチを3年、2軍監督を2年務めてからの内部昇格だった。


 前監督のマーク・ハドラーが派手な印象が強かっただけに、地味な監督交代劇は否めなかった。確かにハドラーが監督だった2年間は紙面も大きな扱いを飾ることが多かった。


 開幕スタメンをファン投票にするアイデアで世間の度肝を抜いたり、CS進出した際は六本木のクラブを貸し切って選手と豪遊すると宣言した。最も公約は2年連続最下位で達成されず、解任が決定的だった監督最終年の秋にはベースを投げたり、相手の選手を蹴飛ばして退場とおかしな方向で目立ち、選手も冷めた表情で見つめていた。

 

 だが、結果は出せなくても、話題を次から次に提供してくれたハドラーはマスコミの評判も良かった。



 その分、徳永が新監督として就任すると落胆は大きかった。

 

 「大きなことは言えません。優勝は約束できません。地道にコツコツとやるだけです」


 会見場は重い沈黙に包まれた。徳永の会見が終わった後に毎日スポーツの番記者・佐藤悟記者が「ハドラーのありがたみを知ったよ。徳永さんは地味だしチームも弱いままだろ。これじゃ紙面も大きくなんねぇよ」とつぶやいた。誰も否定しない。新聞記者の総意だった。



 そんな中で唯一、徳永新監督誕生に心を躍らせていたのが翔平だった。


 整理部から記者になって1年目。プロ野球担当は12球団、どこに配属されるか分からない。徳永新監督の京浜タイガースで番記者に配属されたことに勝手な運命を感じていた。


 徳永の監督会見は11月上旬に京浜球場で行われた。

 

 会見後、駐車場の愛車に向かう新監督に記者がぶら下がる。


 一列に並んだ他社の先輩を見て最後に並び、徳永と名刺交換した。


 「東和スポーツの水野翔平です!よろしくお願いします!」


 足が震えていた。手も震えていた。


 徳永は翔平を一瞥すると、「お、よろしく」と素っ気ない表情で差し出された名刺を受け取った。


 監督会見から車に乗り込むまで笑顔をまったく見せなかった徳永がエンジンを吹かせて球場を出た。


 足早に駆け去った白いベンツの後ろ姿が無骨な徳永とダブった。


 各社の記者が球場に隣接する球団事務所の記者室へ戻る中、翔平は駐車場の隅で会社に電話した。デスクから伝えられた原稿の行数は新監督就任の記事とは思えない小ささだった。


 

「わかんねぇよな。素人に徳永さんの魅力は…」


 独り言をブツブツ言っていると、白いベンツが滑り込むようにして駐車場に入ってきた。


 「あ…」


 徳永の車だった。


 他に記者は誰もいない。その場で立ち尽くすと、徳永は翔平を一瞥して球場に戻り、数分後に再び車に戻ってきた。


 「財布」


 「え?」


 「財布忘れた」


 「あ…なるほど!そうだったんですね!」


 喉がカラカラになっていた。


 「じゃあな」


 「はい…あの…!」


 「ん?」


 運転席のドアを開いた徳永が半身のまま姿勢を止めて見つめた。


 翔平を見ているのか、翔平の目の先を見ているのかわからない視線だった。


 「あの…自分、徳永さん、いや徳永監督の現役時代から大ファンで…!あの広角に安打を打てるバッティングに憧れていまして。だからあの…監督になられて、こうやって何ていうんですかね…。海浜タイガースの担当記者になれたのがうれしかったんで…よろしくお願いします」


 彫りの深いロシア人のような顔立ちの徳永と目線が合った。焦点が定かでなかった目線が初めて合ったような気がした。


 言い終えた翔平の背中に一筋の汗が流れた。




 徳永から返ってきた返事は予想外の言葉だった


  「…でもファンじゃだめなんだ。おまえは仕事で記者になった。今日からおれのファンは卒業だ」。



 だが、不思議に冷たさはない。ぶっきらぼうだが温かさがこもっていた。




 「…ま、頑張れよ、水野」





 水野?今、名前を呼んでもらえたのか。新聞、テレビの記者、フリーライターを含めて20枚以上の名刺を数分前に受け取ったばかりなのに名前を覚えていた。




 「…は、はい!頑張ります!」


 翔平の言葉に反応せず、徳永は前を向いたままエンジンを入れて走り去った。


 


   

 

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