第1話
随分と間が空いてしまいました…
龍神とその眷族が支える新体制の伊勢にとって、和国に住まう妖と接触して友好関係を築き、さらに自陣営に取り込む事は課題の一つである。
だが、彼等の多くは潜んで生活している為、所在を掴む事は難しい。
殆どの妖は人間を補食しなければ生きられない為、討伐を警戒して隠れ住んでいるのだ。
個の能力では人間よりはるかに優れていても、数で押し切られたり、計略にかけられる、あるいは人間が使用出来る法術具を使われる等すれば討たれてしまう事もある。
また、贄を補食するにも、隠れていた方が都合が良い。
徒党を組んで贄となる人間を強襲する者達や、集落に祭神として奉じられて人身御供を得る者もいるが、あくまで少数派である。
今回女が訪れたのは、その様な少数派に属する夜叉が、祭神として住まうという農村である。
主目的は商売ではなく、龍神の使者として夜叉と接触する事だ。
「そこのお前様」
「ひ、ひいい!」
村の入り口で目に付いた村人の一人に、道を尋ねようと声をかけると、泡を食った様に逃げ出してしまった。
他の村人達も、決して女と目を合わせようとせず、顔をそらしてしまう。
基本的に薬種商は歓迎される存在だ。
信仰上の敵、あるいは明らかな利害の対立という事でもなければ、ここまで露骨な態度を示される事はない。
伊勢の神宮から分社を受けている街や村落では、一揆衆や龍神に対する警戒心があって当然だが、この村は違う。
村人達が馬車を遠巻きに見る中、一人の老人が馬車の前に立ちはだかった。
「あんた、伊勢の薬売りかね?」
老人の頭は禿あがっており、顔の皺は深い。
腰も曲がっていて杖をついていたが、口調はしっかりしていた。
「そうさ。お前様は?」
「ここの庄屋じゃよ」
「それは丁度いい。挨拶に出向かなきゃと思ってたんだ」
「申し訳ないんじゃが。今、村は立て込んでおってな。行商にはお引き取り願いたいんじゃ」
「立て込むというと、もしかして、”祭”が近いのかい?」
庄屋は頷き、彼女の推測を肯定した。
一般に祭礼とは、神仏に感謝の念を示すと共に、村人の娯楽行事でもある。
だが、妖を奉じる村にとっては、繁栄の代償として村人の誰かが犠牲になる、忌まわしい日なのだ。
「近隣はそれを知っておるから、この時期にはこの村に近づかないのが不文律となっておる。逆に、村の者が外に出るのも控える事になっておるのじゃ」
「そりゃ、贄が逃げ出すのを手引きしないとも限らないからねえ」
「祭の邪魔を企てる輩が出ないとも限らんでな」
夜叉が住まう村落は不作知らずで、それ故に村外からは妬みを受けがちである。
また、贄にされた者の遺族の内には、夜叉を憎悪する様になった者もいるだろう。
夜叉に直接立ち向かうのは困難にしても、贄を逃亡させる事で一矢報いようと企む者がいてもおかしくはない。
「伊勢の衆を疑う訳では無いのじゃが、特別扱いにすればきりがないでな」
「そうかい。でも、あたしがここに来たのは商いは二の次でね。ここの夜叉に会いに来たのさ」
「それこそ、余所者なんぞを鎮守様に会わせる訳にはいかん! 出て行ってくれんかのう!」
「龍神様の使いでもかい?」
「りゅ、龍神様じゃと?」
女の要件を聞き、庄屋は口調を荒げて退去を要求したが、龍神と聞いて態度を怯ませた。
「庄屋様も知ってるだろう? 伊勢の一揆衆は、天竺から来た龍神様が加護してるのさ。あたし達の様な伊勢の行商人は、その使いを命じられる事もあるんだよ」
「何故、こんな田舎の鎮守様に…」
「龍神様の眷族には結構な数の夜叉がいてね。和国の同族とよしみを通じたいって訳なんだよ」
「同族という事は、あんたは… い、いや、あなた様は! ご無礼の程、平にご容赦を!」
”同族”の言葉を聞き、女の正体を夜叉と悟った庄屋は、慌てふためいてその場に平伏した。
周囲の村人はあっけに取られたが、慌てて庄屋にならう。
村の祭神と同じ夜叉に、無礼があってはならない。
掌を返した様な庄屋達の態度に、女は内心で”またやらかした”と後悔した。
自分の迂闊な一言のせいで、せっかく人間を装っているのに、あっさりと正体を暴露されてしまった。
相応に霊力を消費するのでなるべく避けたかったが、村を出る時には村人達の記憶を封じる必要がある。
霊力の浪費は、次に贄を食べねばならない時期が縮む事につながってしまうのだがやむを得ない。
一度ならず二度までも、迂闊な一言で正体が露見し、法術による力技で糊塗する羽目になった事を国元の夫や師が知れば、今回の様な正体を伏せての巡行も難しくなるかも知れないと、女は思った。
「一寸、頭を上げとくれよ!」
女の言葉に、庄屋を初めとした村人達は恐る恐る顔を上げた
「あたしの事は、そうだね。客扱いしてくれりゃそれでいいよ」
「しかしそれでは!」
恐れ多いと言おうとした庄屋の声を、女は手を挙げて制した。
「ここじゃ神扱いかも知れないけどね。伊勢じゃ夜叉やら羅刹なんて、他州の士分程度の扱いなのさ。いくら人間にない力を持ってるっても、龍神様の従者に過ぎないんだからね」
「はあ…」
庄屋や村人はまだ釈然としない様だったが、女は構わず話を進める事にした。
「とりあえず、ここの夜叉に会わせておくれよ。色々、話さなきゃならないからね」
「それがですな。鎮守様は元々、滅多に村人の前にはお出にならないのじゃが、ここ暫くはお社に籠もりきりなのですじゃ」
「自分から出て来なくても、こっちから出向きゃいい話じゃないか」
「いや… お社に近づこうとしても、敷地の中に足が進まんのです」
「結界だね」
住居に結界を張っておくのは妖ならごく当たり前の事で、女の馬車にも施されている。
ここの夜叉は、結界についての説明を村人にしていなかったらしい。
優位性を保つ為、村人に余計な知識を与えない様に心がけていたのだろうかと、女は推測した。
「結界と言われると、厄除けの様な物ですじゃろうか?」
「概ねその通りだね。まあ、あたしなら破れなくはないけどさ。扉を蹴破る様なもんだから、それは止めておくよ。祭の時には結界は解かれるのだろう? いつだい?」
「実は、今夜となっておりますのじゃ」
「なら話が早いねえ。余所者を祭に関わらせたくないだろうけど、あたしは問題ないね?」
「は、はい…」
微笑みながらも女の眼光は鋭く、庄屋はただ頷くしかなかった。