第6話
「儂等はこれから、どうなるのでしょうなあ…」
庄屋の現実的な嘆きが、女を我に返らせた。
死んだ者は仕方がない。
残された者は、これからの事を考えなければならないのだ。
「夜叉の加護を失った田畑は、半年も経たずに荒れ果てるね。数年は不毛の地だよ」
「そ、そんな…」
女が冷たく言い放つと、庄屋はがっくりと膝をついた。
「お前様、これからどうしたい?」
「そ、それでは出来ましたら…」
庄屋の言葉を、女は手を上げて遮った。
「庄屋様に言ったんじゃないんだ。あたしはこの子に聞いたのさ」
「ぼ…僕ですか?」
涙ぐんでうなだれていた青年は、腕で目をぬぐうと顔を上げた。
「そうさ。お前様、もうこの村にはいられないんだろう? 伊勢へおいでよ」
庄屋の後継として相応しくないとされた青年は、贄をまぬがれたとしても村に身の置き所がない。
この村の夜叉が自害してしまった今となっては、青年の今後だけが女の気がかりだった。
加えて、伊勢には教養のある人材が不足しているという事情もある。
「実の処、早まった真似をしなければ、二人とも伊勢に連れ帰るつもりだったんだよ」
「その…咎を…受ける為にですか?」
青年が恐る恐る発した問いを、女は訝しんだ。
「咎?」
「だって、書き置きには、落城の時に逃げ出したから咎められると…」
「ああ、その事かい。件の戦はとっくに和睦が成ってるし、那伽摩訶羅闍、龍神と言った方が解りやすいかな。龍神様も代替わりしてるから。今上の龍神様は、大昔の事は気にしないよ」
「では、鎮守様は赦されるのですか?」
「ああ。そもそも、この村の夜叉が、まさか補陀洛の元女官とは思っていなかったしね。別に、捕らえに来た訳じゃないのさ」
「そうですか…」
女の答えに、青年は安心した様だった。
「出来れば、龍神様の元に帰参させたかったのだけれど。こんな事になっちまって残念だよ」
「それで、僕の方はどうして?」
「伊勢は教養を備えた者が全く足りなくてね。龍神様に召し抱えられる様に計らうけど、どうだろう?」
「僕が、ですか?」
「お前様は同胞に良く尽くしてくれたからね。それにはきちんと報いるよ」
「お言葉ですが、倅は大事な跡取り…」
「贄にしようとしといて、今更何を言ってんだい! 跡取りだって? 尾州領家から養子を迎える事になってんだろう!」
「ひいい!」
女の勧誘に庄屋が口を挟んで来たが、怒声を浴びせられ、怯えて縮こまってしまった。
「いえ… 多分、養子の話は破談になると思うのです…」
「どうしてそう思うんだい?」
青年の予測の根拠に、女は興味を持った。
「尾州領家は鎮守様が恐ろしいから、見張る為に身内を村に置く事にしたのではと思うのですよ。必要がなくなれば、百姓身分との縁組なんて反故にするでしょう」
「お前様、”と思う”って事は、自分で考えたんだね?」
「はい」
「流石に、元の宮中女官に育てられただけあって、御政道をきちんとわかってるねえ。でも、龍神様の元での仕官を袖にするのは勿体なくないかい?」
「この村は苦しくなって行きます。見捨てる訳には行きません」
「お前様。線が細いからって、村の衆から小馬鹿にされていたんだろう? しまいには村の為に殺されかかったんだ。それでも義理立てするのかい?」
「…鎮守様は、僕の事だけでなく、御自分の咎に村を巻き込まない様、自害なさいました。ですから、僕も村に報いなくては」
「成る程ねえ… けど、夜叉の加護を失ったんだから、村の窮乏は免れないよ。どうする気だい?」
女は青年の覚悟に感心したが、それだけでは称賛には値しない。
この村の現状を維持するには、伊勢から新たな夜叉を招請するしかないのだ。
女は、青年がそれを望むなら、彼の仕官と引き替えに応じるつもりでいたのだが、彼の答えは意外な物だった。
「一応、備えはあるのですよ」
青年は書棚から、一冊の本を取り出した。
「これは?」
「鎮守様に何かあって加護が途絶えてしまった場合の案です。村の富が残っている内に、それを元手にして、機織りや牛飼いを主な稼ぎとするのです」
「誰の案だい?」
「鎮守様と二人で考えたのですよ。耕作に牛を使っているのも、自分達で使うだけでなく、殖やして売る為でもあるのです」
「成る程ねえ」
「牛を使って、他村での耕作を手伝ったり、牛方として荷役を担う事も考えていますよ」
女はあてが外れた物の、出された案に感心した。
この村の夜叉が子作りを考えていたのは、自分の寿命が尽きた後の加護を引き継がせる為であっただろうが、子種を得ても孕まない事も有り得た。
次善の策を用意しておくとは周到である。
「難点として、機織りの糸も、牛の餌も余所から仕入れなきゃいけなくなるけどね」
「綿や麻、藁も、育たない訳ですからね」
「まあ、伊勢が便宜をはからないでもないよ」
「対価は、やはり赤子ですか?」
「わかってるじゃないか。余った赤子は売っとくれよ」
「そうですね。新しい稼ぎが順調になっても、これまでの様に裕福とは行かないでしょうから…」
「困りますな、勝手に話を進められては」
話が進んだ処で、庄屋が再び口を挟んで来たので、女は不快を露わにした。
「もう一つ条件だ。お前様、隠居して倅に跡目を譲りな」
「ええっ!」
「お前様の倅は立派な考えを持ってるよ。あたしの同胞が見込んだだけの事はあるねえ」
「ですが、村の衆から軽んじられている倅に、庄屋が勤まるかどうか…」
諦めきれない様子の庄屋に、女は業を煮やして襟首をつかみ、隠していた角と牙を露わにした。
「龍神様の名において命じるよ。これ以上グダグダ言うならお前様、八つ裂きにして晒してやるからね!」
「ひ、ひいいっ!」
庄屋はへたり込んだが、青年は庇おうとせず、哀しげな目で見つめるだけだった。
「鎮守様のお弔いですが、どうしたら良いでしょう?」
「遺骸が腐らず、ずっと固まらない様に法術をかけてあるから、ここに祭壇でも造って、即身仏の様に祀ってやっておくれ。それが墓の代わりさ」
この夜叉が勤めていた宮殿は香巴拉側の手に落ち、奪回がならぬままに和睦が成立している。
遺骸を送り返す事が出来ぬ以上、故人に縁がなかった伊勢よりは、この村こそが葬る場所として相応しいと、女は考えたのである。
翌日、庄屋と青年は村人を集め、祭神が自害した事を告げた。
経緯はやや曲げて、これ以上村から贄を出すべきではないという、祭神の”遺言”を公表した。
訝しむ者もいたが、夜叉である女が証人となった事で納得した。
また、田畑への加護が失われるという事でかなり騒然となった物の、農耕から紡績と牧畜へ村の産品を移行させる方策を青年が示し、女が伊勢としても支援する旨を表明した為、落ち着きを取り戻した。
女は自分の正体について、村人の記憶を封じない事にした。
他の村と違い、この村には夜叉の存在が根付いており、伊勢の妖にも相応の敬意を払っている為、口止めすれば足りると考えたのである。
* * *
「色々と有り難うございました」
「こちらこそ、同胞の慰めになってくれていたお前様には感謝しきれないよ。ただ、」
村を出る女の馬車を見送る青年に対し、”出来ればお前様を伊勢に招請したかった”と言いかけたが、女は言葉を飲み込んだ。
「どうなさいましたか?」
「何でもないさ。達者でやっとくれよ」
女は手を振り、馬車を走らせ去って行った。
第4章完了です。
次話ですが、仕事と私事の絡みで、年末年始に執筆時間がなかなか取れないと思いますので、一月中旬頃になるかと思います。