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森の中で

 一面の蒼が見えた。

 最初はそれが川底の風景かと思ったが、気道を通って入ってきた空気を肺で感じ取りここが水中ではないことに気が付く。

 青い空と緑の木々が地平線の彼方まで上下に切り分けた美しいコントラスト。雄大な大森林はどこまでも壮観であり、犬一は自身の置かれた状況も忘れてその見事な光景に見入っていた。

 だが、それもほんの数秒だけ。


「――ってちょっと待て! もしかして落ちてるぅぅぅっ!?」


 犬一は絶叫を上げた。

 彼が放り出された場所は上空数十メートルに位置する青空のど真ん中。何の装備も持たずにそんな所にいては、背中に翼でも生えていない限り落下するしかない。


「ああ――――っ! くそっ! ちくしょう! まだ彼女もいないのにこのまま死にたくない! 誰か助けて――――っ!!」


 人には無駄と知っていても叫ばずにはいられない時がある。

 澄み渡った青空に悲痛な嘆きを木霊させながら、森の一角へ向けて全速力のスカイフォール。犬一は目を瞑ると、咄嗟に身体を丸めて子犬を庇う姿勢になった。

(俺は無理でも、せめてこの子だけは守る――――!!)

 そして地面との距離が縮んでいき、ついに樹木の先端と皮膚が触れ合った。


「うわあっ!?」


 全身に緩やかな衝撃が伝わる。

 大樹の枝は犬一がぶつかった瞬間、その太さにはありえないしなやかさでゴムのようにグニャリと折れ曲がった。

 それも一本だけではない。森中の木が寄り添うように枝を重ね合わせて犬一の身体を受け止め、大地に激突する直前まで落下の勢いを減速させていく。


「なんだなんだなんだっ!? 一体どうなっているんだっ!?」


 そうして無数の木々に身体を包まれるようにして無事に着地した。犬一が足を着けると、森の樹木は役目を終えたかのように最初の位置へとゆっくり元に戻る。


「えっと、助かった……のか?」


 犬一は困惑した様子で辺りを見渡す。

 見覚えのない風景だった。高さ数十メートルにも及ぶ巨木の群生林は堂々たる存在感を放ち、その一本一本が途方もない生命力に溢れていた。木の根元では小動物が落ちた木の実を頬張っている。外見は栗鼠(りす)や兎に似ているが、所々に違和感がある。例えば、背中に黄色い花が咲いていたり、尻尾が四本も付いていたりなど、全体のフォルムはかわいいがその常識外な姿を見てしまえばどう反応すべきか判断に困る。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、どこまでも穏やかで温かい空間がそこには広がっていた。

 眩しい陽光に照らされる草花の花弁が舞い散る様は幻想的な雰囲気を醸し出し、犬一はもしここで死ねるならそれもいいとさえ考えてしまう。

 それは現在までに至る過程で失われた、一つの楽園(エデン)の再現だった。

 

「――それどころじゃない! 早くこの子を助けないと!!」


 つい見惚れていた自分に活を入れると、犬一は胸に抱いていた子犬を地面に寝かせ容体を確認する。

 体毛は全身きれいな黒一色。幼いながらもどこか風格を匂わせる凛とした顔立ちが特徴の子犬だった。犬種はおそらくコーギーの一種だろうか。目を閉じてグッタリしており、まるで眠っているかのようにピクリとも反応しない。


「まずいな、水を飲み過ぎて呼吸ができなくなったのか。こういう時は確か……」


 犬一はすぐに子犬の腰をもち、身体を上下逆さまにして胸を軽くトントンと叩く。


「こうして呑み込んだ水を吐き出させればよかったな。あの時みたいにうまくいけばいいけど」


 さらに十数回、子犬を揺すりながら胸と背中を交互に叩いていく。

 やがて子犬は苦しそうな呻き声を上げ、その小さな口から僅かばかりの水を吐き出した。ほっと笑みを浮かべると、再び子犬を寝かせて様子を見る。


「呼吸は戻ったな。意識、脈も問題なさそうだ。後は体を温めてゆっくり休ませるしかないが……医者に見せようにも、こんな場所じゃあどうしようもないか」


 子犬をそっと撫でながら今までに起きたことを整理する。

(確か、この子を助けようと川に飛び込んだけど泳げなかったから俺も一緒になって沈んだよな。そしたら急に大きな渦ができて吸い込まれて、気が付けば見たこともない巨大な森の真上に出ていて、それからおかしな木が俺を守るように受け止めてくれて、今ここで座っているわけだけど)

 なんとも奇妙な話だ。クラスの同級生に話せば夢落ちだと言って笑われるだろう。

 それでも、実際に体験した事実は覆らない。


「どうしよう、そもそもここはどこだ? こんなでかい森、日本どころか世界中探しても見つかるかどうか。人の住んでる気配もないし、このままじゃ遭難して最悪死――」


 嫌な思考に陥りかけた犬一を誰かがクイクイと引っ張る。見ると先程意識を取り戻した子犬が舌を出しながら犬一に擦り寄って来ていた。


「おっ! お前もう大丈夫なのか?」


 子犬は元気に尻尾を振りながらズボンの端を咥えこむ。予想よりも随分早く回復した子犬を見て犬一は驚きを隠せない。そのまましゃがみ込んでコーギーの小さな頭を撫でてやると、目を細めながら気持ちよさそうに身を任せていた。


「ハハハッ! 気持ちいいのか? それにしても、まさかもう動けるなんて小さいのにえらく元気な奴だな。こんな場所に俺一人なら不安だったけど、お前が一緒に居てくれて助かるよ」


 子犬は活発に何度も鳴き声を上げ、それにつられた犬一の表情も楽しそうに綻ぶ。

 その様子がお互いに嬉しかったのか、一人と一匹は時が経つのも忘れてしばらくの間笑い合っていた。




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