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THOUSAND統一正史  作者: KOKA
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八.隣国




 滅ぼさねばならない。

 ウルフの王コルモは常々そう思っている。

 怪物のことである。

 最も古い文献が伝えるには、大陸に人が住み文明を営みはじめたころ、すでに怪物たちは存在していたという。大陸の人間たちの歴史は、凶悪な怪物たちから文明を守る防衛の歴史といっていい。

 コルモはその人間たちのなかでもとくに、怪物たちがもたらす災厄を、いや怪物そのものを忌み嫌っている。

 ウルフはワーブルグの北西、小さな山々を越えたところにある。北方に海を臨み、南方は開けている。川は海に流れ込む手前で集まり、大きな流れに集約される。そのあたりに首都ウルフがある。半分は陸地に、半分は川の上に作られ、王宮は川の側にある。穏やかな川の流れがその中に都市を抱くことを許容した。大陸最古の都市の威容はいまだ衰えず、最も美しい都市と言えば、だれもがウルフの名を口にする。他国の王族、権力者が一度はウルフに訪れ、その壮麗さと治安の良さ、行政の安定を記憶に刻んで帰国した。

 コルモ・エトーア・ウルフは現ウルフ王であり、善意王と呼ばれている。隣国の窮状に惜しみなく援助を行ったためだ。財政の逼迫した国には王庫から資金を提供したこともあったし、またワーブルグには蛮族討伐のための魔術師団の派兵をしたりもした。代々のウルフ王が閉鎖的であったのに比べ、開放的で見返りを求めないその姿勢は、だれしもが賛美した。

 しかしかれは決して凡愚ではない。善意はかれなりの計算でもある。かれの眼は、助けるに値する国をしっかりと見分けていた。ワーブルグがその後に諸国を併合し大国となったことも、かれには見えていたかもしれない。

 世襲をつづけるウルフが大過なく存続できているのには、ひとえに魔術師団の存在がある。大陸最強の軍事力、とうたわれつづけて幾年が経ったろうか。古代、国の成立には怪物から人々を防衛する軍事力が不可欠であった。今では、堅牢な城壁や防衛のための兵器が充実しており、兵士の数が足りなくとも怪物を撃退することくらいはできる。しかしまだその技術がなかった時代には、郊外に出、徒歩の戦力をもってあたるしかなかった。

 装備の貧弱な古代にあって、魔術師の力は特に有用であった。

 魔術師は天変地異を操ることができる。具体的に言えば、局所的に地を揺るがせたり、突風を巻き起こしたり、水の流れを変えたり、火を灯したりできる。一人の力ではその範囲や効果は大きくはないが、多数集まることで大きな脅威となる。

 たとえば、各国の軍に属する少数の魔術師は、弓兵隊に随行して風の流れを変えることで戦況を有利にする。あるいは、防衛戦において敵兵の足場を崩すために地を揺るがす。魔術師の絶対数の少ない軍においては、かれらの役目はあくまで他の戦力の補助的な役割でしかない。

 ウルフ魔術師団は異なる。その名のとおり、かれらは魔術師だけの集まりで、大陸広しといえど他に類を見ない数である。その数、千。他国にはせいぜい十数人程度の魔術師しかいないことを考えると、ウルフにはほとんどの魔術師戦力が集中していると言える。

 かれらの能力は驚嘆の一言に尽きる。

 平野をゆく敵軍があったとする。周辺は見渡す限りの平原である。もしそこでウルフ魔術師団が地を操ると、どうなるか。たちまちに敵軍はそそり立つ岩壁に進路を阻まれ、その行軍を止めざるを得ないだろう。そして四方を囲まれ、敵軍は押し込められる。断崖絶壁の上から射撃を行うか、あるいは火を投げ入れればかれらはたちまち混乱の渦に落とし入れられるだろう。

 河川を渡る小隊があったとする。水の流れを急速に早めれば、装備も人も馬も流され、激流に身を裂かれることだろう。山道をゆく小隊とて同じ。鉄砲水を呼び寄せて、その威力でかれらをばらばらにしてしまう。

 森に潜む敗残兵がいたとする。かれらの周囲の木々はたちまちに高熱にさらされ、自ら発火し、かれらを焼いてしまうことだろう。

 あるいは、火あぶりにされている城があるとする。魔術師団がひとたび魔法を解き放てば、突風により城の火は鎮火され、城壁に取り付いていた敵兵は一人残らず吹き飛ばされてしまうだろう。

 魔術師の数もさることながら、かれらが実によく訓練され強大な魔法の力をコントロールしている点。これがウルフ魔術師団が最強の軍事力たりうる理由であろう。

 古代、訓練された兵力をもつ大豪族以外には、魔術師の力をもってしか怪物を撃退しえなかった。ウルフが古くから発展し、繁栄を続けてきたのにはこの理由からだ。

 では何故、ウルフに魔術師が多く存在するのか。

 魔法の力は血によってのみ継承される。両親に素養がなければ、その子も素養がない。これはほとんど、絶対と言ってもよい。ウルフは古代から魔術師を多く抱えることで国を守り、文明をより高めてきた。魔術師は多く集まれば集まるほど、その戦力を増すことができる。ウルフは魔術師を優遇し、その家系を守った。他国では武器と同じ扱いをされ、使い捨てられたのとは対照的であった。やがて魔法の力が血によってのみ受け継がれることを知ったころには、主だった魔術師たちはウルフに集中していた。

 いまウルフでは魔術師たちに、素養のない家系との姻戚関係を禁じている。魔術師団を維持するためだ。

 その強大な戦力をもって、ウルフ王コルモはたびたび外征を行う。周辺の怪物たちを駆逐し、根拠地を割り出すために。

 滅ぼさねばならない。

 いまも、外征を終え、王宮にもどったコルモが考えるのはその一点だった。


 「さあ、ガラン。お昼寝の時間は終わり。先生のところに行きましょう」

 コルモには妃がいる。真っ赤な髪を後ろで結い上げ、深みのある緑色のビロードドレスを着ている。彼女はまだ若く、壮年のコルモがついに娶った妃であった。彼女の名はファリシア。

 その子、ガランは王子のための居室でうつらうつらとしていた。王子の顔をのぞきこんで、ファリシアは楽しげに笑っている。

 ガランは、何の夢を見ていたか思い出せないでいた。ただ目を開けると母親の優しい笑顔がそこにあった。

 眠気まなこをこすって、小さな体を起こす。

 「母さま」

 呼ぶと、王妃がガランの頬をぬぐった。まだ渇いていない涙のすじをきれいにした。

 母親の手の感触はどこまでもやわらかい。

 「さ、ガラン。起きたかしら?」

 王子はかぶりをふる。

 「母さま、どうして僕はおべんきょうしなきゃならないの?」

 かれが渋るのは今にはじまったことではない。

 コルモが年齢を重ねて娶った王妃は、貴族といえどかなり低い身分の出で、しかも魔法の素養の薄い家系であった。ウルフ王家も魔術師の家系であり、他のものと同じく婚姻関係は制限されている。そうでなくとも、王家の婚姻は政略のためにある。コルモが自由恋愛で妃を選んだことは、ウルフにとって革新的なことであった。

 それが民にとっても、貴族にとっても許容されたのは、ほかならぬコルモの人徳にある。

 魔法の素養の高いコルモと、低い王妃に生まれた王子は、どうも母方の影響を受けたらしい。全くと言ってよいほど、素質はなかった。

 王族であるかれにも同年代の学友がいたが、かれらは高位の貴族、すなわち魔術師の家系の子らだった。王子は学友に事あるごとに冷やかされている。

 能なし、と。

 ガランにとってはそれは自らの恥辱であるだけでなく、こんなにもやさしい母への侮辱であるように思えた。ただ、幼いかれはそれを解決する術をもたない。

 かれは、魔法の素養がものを言うウルフにあって、自分に勉学をする資格がないと本気で思っているのだった。

 そんなかれをいつもの笑顔で諭すのは、ファリシアの得意技だった。

 「あら、どうして?」

 ガランが寝ていたソファにゆっくりと腰掛けて、ファリシアはガランの髪に手をかけた。

 「だって、みんなが言うんだもん」

 「お友達は、何て言うの?」

 「あれだよ、その……」

 空色の瞳を潤ませるわが子に、ファリシアは愛おしそうに目を細めた。

 「ぼくは、能なしだから、べんきょうしたって意味がない、って……」

 「じゃあ、お勉強じゃなかったら、ガランは何がしたい?」

 「えっ、と……」

 一番楽しい時間は何だろう、と考えたときに、かれの答えは一つだった。

 「母さまといっしょにいたいな」

 「あなたがずっと子供なら、母さんは一緒にいてあげられるわ。でもね、いつかあなたも大人になるのよ?」

 「おとな……?」

 見当もつかなかった。自分は、どうなるのだろう。父さまのようになるのだろうか?

 かれはまだ知らない。時間が自分をどう変えていくかを。かれはまだ自我を持ち始めたばかりで、自分も、他人のこともよく知らないでいた。

 「母さんもね、いつか死んでしまうのよ。あなたよりも早く」

 ガランには、死、というものがなにかまだ分からない。ただそれはなんとなく、悲しくて、どこかとおくに行ってしまうものなのだ、ということは分かっている。

 「そんなのやだよ、一緒にいてよ、母さま!」

 赤みがさした頬をもう一度ぬぐう。涙はファリシアの指でせき止められて、それ以上伝うことはない。

 「母さんと一緒じゃなくても生きていけるように、勉強するのよ。ガラン」

 「じゃあ、べんきょうしなかったら、母さまと一緒にいられるの?」

 「それは違うわ、ガラン」

 ファリシアの笑顔は変わらない。だが、それまでの慈愛に満ちたものから変化して、すこし厳しいものに変わったようにガランには思えた。

 「勉強をするということは、知ることなの」

 「なにも知らないままでいることは、すごく怖いことなの」

 「なんで?」

 かれは母親だけには素直でいられた。思ったことが口に出せるし、彼女も根気強くかれに付き合ってくれた。問いかければ、答えてくれる。母親との会話がかれにとってのほとんどすべてであった。

 「知らないままでいることは、暗闇の中を歩くのと同じ」

 「前が見えないと、転んだり、何かにぶつかったりしてしまうでしょう?」

 「人は知ることで辺りを照らすのよ」

 ガランは首を傾げた。じゃあ、夜中に歩かなければいい。

 「たぶん、あなたは今、勉強がすぐに役立つものじゃないから、意味が見出せないの」

 「でもね、本当に重要なことは後から気づくものなの」

 「だから、母さんの言うことを聞いて、勉強してね。ガラン」

 「うーん……」

 煮え切らない返事をしていると、ドアが開いた。背筋を伸ばして、大股に歩く、長い黄金色の髪をなびかせた男。

 部屋に入ってくるや否や、ガランの脇をしっかりとつかみ、高く持ち上げる。

 「ガランや!帰ったぞ!」

 満面の笑みで、ガランを引き寄せると、頬を寄せた。口ひげがガランのやわらかな頬をさしたが、それが逆に心地よかった。

 「父さま!」

 小さな王子の記憶にある父は、いつも豪快で、母親と同様にやさしい笑みを向けてくれる存在だった。

 そんな父親も、母が言うようにいつかいなくなってしまうのだろうか。

 不意にガランはそう思ったが、それ以上に深くは考えないで、父親との再会を素直に喜んだ。




挿絵(By みてみん)

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