七.目的
七
客人が子供を伴っていたことに、王が驚きの表情を浮かべるのが見える。
智略にかけては大陸に並ぶものなし、と評されたカナト・ディアスに娘がいたという話は聞いたことがない。そんな顔だった。
彼女とカナトの顔つきは似ていない。彼女は王宮に入るのは初めてで、保護者であるカナトの裾をずっとつかんだまま、ときおり辺りをきょろきょろ眺め回しては、カナトに制されている。
「これのことは、お気になさらずに」
訝る様子を察してカナトが言った。
王はうなずいて、やはり玉座には腰掛けずかれらが進み出てくるのを待った。客人も本来ならば膝をつくところを、立ったままでいる。
騎士がその態度を諌めようと一歩前に出たが、制止して、
「よく来てくれた、カナト・ディアス。私がサウザンドだ」
と労った。
「貴殿と会えたのは僥倖だ。この時節に丁度、我がワーブルグに来訪していたとは」
「新しい王様のお顔を拝見したく思いまして、ね」
「私に会いに?」
「まあ、そういうことになります」
「わざわざ使者をやらずとも、会いに来てくれたということかな?」
「いえ、見るだけですから。今度の式にでも出て、群集にまぎれて見るつもりではありましたが」
「それでは話ができない」
「会話をせずとも分かりますよ、市井を見れば、ね」
カナトが手を広げてにやりと笑った。とても王に対する態度ではない。
騎士が柄に手をかける。少女が反応して、保護者の後ろに隠れた。サウザンドはゆっくりと一歩前に出て、その騎士と並ぶような形になった。
「サイザス、かれは客人だ。客人とは対等な立場で接するのが当然の礼儀だろう?」
言って、微笑した。
サイザスは姿勢を正して、直立不動になる。
「気分を害されたのなら謝ろう、ディアス殿。騎士をつけねば客人と話もできぬ立場だ、わかってほしい」
「いえいえ、お構いなく」
王の微笑みは自然に見えた。できるだけ柔和な態度をとろうとしているのがわかる。カナトには、その自然さが似つかわしくなく思えた。自然な態度を演出できるにしては、若すぎる。それに、洗練された振る舞いは嘘のうまい人間の得意技でもある。
(ねえねえ、カナト)
リップが小声で呼ぶ。普段なら、初対面の人間とも積極的に打ち解けようとする彼女だったが、たぶん王宮の壮麗さに圧倒されているのだろう。ずっとカナトの後ろに隠れている。
(なんですか、リップ)
(あのおうさま、若くてかっこいいね!)
リップの中の王様のイメージとは違っていたのだろう、満面の笑みでカナトを見上げた。
(リップ、あなたは黙っていた方がいいですね)
(えー、なんで?)
(いいから、黙ってなさい)
(むーっ……)
カナトはリップを背中側に押しやった。それを見て、サウザンドが口を開く。
「私はまだ即位して間もない。それでも、会わずして市井を見れば王が分かる、と?」
「何事も最初が肝心ですからね。たとえ貴族連中から望まれていなくとも、民に慕われているか、また最初の行動がかれらの心を捉えたか」
「それくらいは、観察すれば分かります」
「なるほど」
王は満足そうにうなずいた。
「私の採点は何点かな?」
「……血というものは、その人物が知れなくとも正当性のあるものですね」
カナトは問いには答えずに、ちがうことを言う。
「世襲は民に納得される、と?」
「実際はだれが主導的な立場にあるか、といったことに関心があるようです」
「私のすがたは民に見えない?」
「それでも国が豊かであれば良いでしょう。いまのワーブルグに何の不満がお有りですか?」
あえて厳しい質問をぶつけて、王の真意を探ろうとする。
カナトは分かっている。どの国の君主もかれを必要とする理由は一つだけだ。ワーブルグ王もそれにちがいはないはず。
戦いに勝つこと。求められるものはその一点。
ワーブルグ王がかれを呼んだのもそれが目的であろうし、柔和な態度をとっていたずらにかれを刺激しないようにするのも、さんざん経験してきたことであった。
自分の役割は心得ているし、実績もある。しかしこのときのかれは、今まで仕えた君主のあくなき個人的な欲望に辟易していた。戦をするのは領土のためであり、領土拡大は国を富ませるためであり、そして国を富ませることが民の幸福のためであれば良かった。そういう君主であれば喜んで仕えたろう。だが、かれが仕えた君主はすべからく、拡大する領土を自らの富のために維持しようとした。あるいは、そうなっていった。新しく得た土地が民の富のためにつかわれることはなく、むしろ農奴として、防衛もままならない地に送られた。富はすべて国庫、つまり君主の懐に入る。
どれだけ公明正大な君主であったとしても、カナトのもたらす劇的な勝利はその美徳さえをも揺るがせてしまう蜜なのであった。
カナトがもっと若い頃には、文献と研究で得たみずからの理論の実践のため、領土欲にかられた君主は格好の雇い主ではあった。時を経、幾多の勝利を得るうちに、達成感は失われ、むしろかれの目は戦場よりも雇い主の方に向けられた。
目的が、研究成果の実践から、戦争勝利をどう使うかという方向に向いていったのである。
カナトはワーブルグ王と会っている。かれが見たいものは、かれにもたらされる報酬の多寡ではなく、王の目的である。大義といっていい。
「民衆に不満が募っているわけではありません」
「怪物との局地的な戦闘はあれど、国内は平穏」
「先日は、暗闇山脈の蛮族にも圧勝したというではありませんか」
「あなたのお国に、何のご不満が?」
サウザンドは眉間を人差し指と親指でつまむようにした。
「うまくいっているように見えるのは表面だけだ」
「貴族たちの内には、疑念がはびこっている。私の能力に対する疑念が」
「蛮族との戦いは、圧勝したというが、実際には危うかった」
「敵方に指揮官がいればちがった結果になったことだろう」
かれは本心から言っているようだった。見得も恥もなく、分析している。
「では、これから兵法を学べばよいのです」
「それでは遅いのだ。事は、急を要する」
いままでの調子とちがって聞こえた。証拠に、傍らの騎士も気づいているようで不安げな顔をしている。リップだけが二人の会話──というよりも展開を──興味津々に聞いている。
全員がすこしの間、押し黙っていた。
「何故でしょう?」
沈黙をやぶったのはカナトであった。かれは王の表情の変化をみることに注力している。それはサイザスも同じで、だれもがサウザンドを見ていた。
サウザンドは胸中、このときが来たか、と思っている。
慈悲王グスタフの息子として、父の外遊に同行し、王宮書庫の膨大な文献を読み漁り、また戦いにも出た。大陸情勢をだれよりも見聞きした。あるときに一つの考えがかれの頭に浮かんだ。それはかれの行動理念となり、またそれはある種の強迫観念となってかれを突き動かした。かれはだれにもそれを明かさず胸のうちにしまい、しかし準備だけは進めていた。
グスタフが病に倒れた頃、かれは少しずつ行動に移し始め、そして今がある。
「……」
傍らのサイザスが怪訝な表情をしている。彼女にも言っていない。
目の前のカナト・ディアスもそうだ。かれを引き込むには、胸の内に秘めたこの考えを明らかにする必要がある。
「その子供は、貴殿の娘か」
サウザンドは、カナトの問いに答えずに、その場では一番関係がないはずの少女について聞いた。注目が少女に集まる。
「あ、あたし?」
少女は目をまるく見開いている。
「いえ、違います。この子は私の弟子です」
「それでは、兵法を?」
「覚えは悪いんですが、ね」
少女は胸を張るようなしぐさをする。
「リップ、褒めてませんよ」
「え、そうなの?」
リップと呼ばれた少女はひどく残念そうな表情をした。
サウザンドはそれを見て、
「そうか。では、口は堅いか」
また、問う。
「ええ、大丈夫ですよ」
カナトが答えると、サウザンドは目を閉じた。
「……私は、大陸を統一する」
言葉はときとして、受け手に直接の衝撃を与えることがある。まるでその口から発せられた波動が打撃を与えるように。耳で聞いたのではなく、身体が聞き、思わず反応してしまう。少なくともその発言の重大さを認識した二人は、そうだった。騎士は王に向き直り、白髪の青年は険しい表情になった。
目を開いたサウザンドには、目の前の客人が思っていることを容易に想像できた。
正気か?
そう思うのも無理はない。大陸が人間の手によって、ひとつの国家のもとに統治された歴史はない。また、それぞれの土地に根付いた強力な国がいくつも存在し、それらの国は他国に完全に侵略された事もない。隣国ウルフが良い例である。大陸最古の国は、千余年もの昔からほとんどその領土を失うこともなく、繁栄を誇っているのである。
勢力の均衡状態は何年もの間続いているのだ。グスタフがそれを破り、小国の集まりに過ぎなかったワーブルグをまとめたのが、近年になっての最も大きな動きだった。
要するにワーブルグ外の世界は、それぞれの国が磐石の国家体制を敷き、にらみあっている状態なのである。にらみあう、と言えど、表立った対立は無い。互いに大きく干渉することはなく、時折の小国の争いに加勢したりするだけだった。
父王の国家統一の余勢をかって、他国へうってでる息子の酔狂。
あるいは目の前の客人はそう思っているかもしれない。心の中では鼻で笑っているのかもしれない。
しかしサウザンドは本気だった。
「貴殿が驚かれるのも至極当然のことだ。荒唐無稽な話とお思いだろう」
「……失礼ですが、自国の統一すらも完璧でないのに、ですか?」
貴族たちの評判をどこで聞いたのだろうか。完璧でない、というのは、ワーブルグ国政と軍事を担う貴族たちが、完全にサウザンドの支配化にあるわけではないということを意味している。たしかに、サウザンドのかれらからの評判はお世辞にも良いとは言えなかった。蛮族征伐においても一番の有力者のシルド大公が出兵をせず、他の小貴族たちもそれに習った節がある。
ただそれは些事だと考えている。国内の調整にかまけていては、サウザンドはその大目的を達成することはできないと考えている。
「めざましい結果が、かれらに気づかせるのだ」
「そしてそれは迅速に、早急になされなければならない」
「だからこそ貴殿が必要になる」
「国を治めるために他国を攻める、そういうことですか?」
「ちがうな」
サウザンドは一歩前に出た。
「人間世界、この大陸に住むものたちを、より繁栄に導くためだ」
本心か?
という声が聞こえてきそうである。本心だった。それが自分になら達成できると、慢心でなく、思っていた。いや、それをやらねばならぬのが自分だという自負、あるいは運命的なものを感じていた。
サウザンドはあくまで本気なのだった。カナトがどれだけ表情を読む達人だったとしても、それが虚構でないかがために、少しの揺らぎもみとめられないであろう。
「問題は」
また一歩踏み出す。
「富める国とそうでない国の格差、あるいはその中でも貴族と民との差にある」
「貴族たちは毎晩酒宴をひらき、豪勢な暮らしをし、怠惰のなかに身を委ねている」
「民は、毎日の食もままならず、貴族たちの重税に苦しめられ、搾取されている」
もちろんそうでない貴族、民もいる。国家のために日々研鑽し、有事の際にはその責務たる戦に赴く貴族もいる。商売で財をなし、寝ていても金が入る贅沢な暮らしをする民もいる。
だが総論としては、サウザンドの言うことは正しかった。それが大陸のひとびとの姿で、有りようだった。
「貴族たちにはその本来の職務を思い出して欲しい。かれらは尊敬されなければならない」
「国家のために身を捧げることこそが尊敬を勝ち取れ得るのであって、決してそれは富の量によってではないことを」
「そして民には、文明の繁栄による利益を享受してもらいたい」
「毎日の生活が脅かされること無く、知識をつけ、自ら考えてもらいたい」
カナトが口を開く。
「貴族の富を民に分ける、と?」
「そうではない」
「報酬は高度な活動や労働に多く与えられるべきものだ。何もせずに富を得られるということは、怠惰の温床にしかならない」
「いまの貴族たちの怠惰を、民にまで伝染させてはならない」
「……」
カナトは口をつぐんだ。何事かを考えているようだった。
サウザンドはかれに考える時間を与えた。黙って腕組みをしている。
背後からサイザスが歩み寄る。振り返らない。振り返らないが、不安そうな表情をしているのは分かる。サウザンドは微動だにしないことで、後ろの騎士に不安を与えまいとした。
あるいは動かないことはかれの決意だったかもしれない。
「まずは、それをワーブルグで実践されてはどうですか?」
サウザンドは腕組みを解いた。
「私の最終目的は、大陸に住むすべての人間にそういった繁栄を享受してもらうことにある」
「そのために必要なことは、大陸を統べるひとつの国家の存在だ」
「大陸繁栄のためには、様々な変化をする必要がある。変化を受け入れるのは難しい。しかしそれをすべての地に浸透させなければ、最終目的は達せられない」
「変革のためには統一が条件となる」
また一歩踏み出すと、もうカナトが触れられる位置だった。客人といえど初対面の人間である。一国の王がこれほどに人を近づけてよいはずがない。サイザスが緊張していた。
しかしサウザンドはそれを意に介さず、
「変革のためには独裁が必要。しかし変革が終われば、私は身を引く」
ちいさな声でカナトに告げた。あまりに小さかったために、リップにもその内容が聞き取れたかどうかは分からない。少なくとも背後のサイザスには聞き取れなかったろう。
その言はカナトにとっていくらかの衝撃をもっていた。それはサウザンドにも知れた。かれの目の色が変わったのだ。
「あなたには」
カナトは搾り出すような声で言う。
「私に与えるものがいくつもある。領土や金貨や、地位といったもの」
「私は、人を率いるには利益だけでなく、思想が必要であると考える」
「君に、私に協力したい、と思わせることが、私のいま最も重要な使命だ」
サウザンドはカナトの肩に手を置いた。
「真なる人間は、報酬では動かせない」
「……」
それまで険しい表情だったカナトが、不意に、傍らの少女がしたような満面の笑みを浮かべる。混じり気の無い純粋な笑みだった。
「考える時間をいただけますか?」
「もちろんだ。だが、なるべく早く返事が欲しい」
二人はどちらからともなく握手をした。
「……ひとつお聞きしてもよろしいですか?」
「ああ」
「軍装を解かねばならぬ小さな川を渡るとすれば、どちらへ行かれますか?」
「……そうだな」
サウザンドは顎に手をあてて少し考えた。
「『怪物を食らう金色の狼を、雲まで達する岩山に追い詰める』というのは、どうか」
「そのときには君に、岩山に登ってもらわねばならない」
カナトは笑った。声をあげて笑った。
サイザスとリップの二人は、わけが分からずにいた。
そのときにサウザンドの脳裏にうかんだのは、父グスタフと外遊に出かけた際の、威厳ある他国の王のすがただった。グスタフの慈悲王に対し、善意王と呼ばれたその国の君主は、輝く黄金色の髪の持ち主である。
まずはかれを──