五.紋章
五
もともと色素が欠けているのだろう。真っ白な長髪の、男とも女とも思えぬ顔立ちの青年がいる。
かれは肉屋の主人に質問した。主人は答える。
「新しい王様?よく分からねえなあ。おれが卸してるのは丘向こうの領主さまだからよ」
「あ、でも、あれだ。蛮族どもを蹴散らしたってのは、聞いたな」
上等の蜂蜜酒を出す酒屋の女将に聞いた。
「いちど、グスタフ様の葬儀で見かけたけど、まだお若いねえ」
「大公様もいるんだから、きっと周りがうまくやるんだろうさ」
高級品の白ろうそくを扱う店では、こんなことを言う。
「陛下は、相当な放蕩息子らしい。わしの親戚は王宮務めだから、情報が入ってくる」
「ろうそくを買ってくれれば、詳しく話してやろうぞ?」
白髪の青年はろうそくを買わずに、活気溢れる王国の目抜き通りを見やる。
身にまとうローブは疲れ果てだらしなく垂れ下がり、裾や袖は擦り切れてぼろになっている。背負った大荷物が旅人であることを思わせる。
装いとは反対に、顔面には終始笑みがこびりついている。名を、カナト。笑みに卑しさは感じられず、心から喜んでいるように見える。
「ワーブルグ、良い街です」
強い日差しを身にうけている。額に汗がにじむほどであったが、かれはそれさえも喜ぶのではないか。
石畳で舗装された目抜き通りには、商店と自宅を兼ねた建屋が隙間なく並んでいる。整然に並んでいてつくりも同じことから、それが計画的に建てられたものだと知れる。目抜き通りは幅がある。人の流れを越えて向こう岸の店舗に行くには、相当骨が折れる。
照りつける太陽は真っ青な空に浮かんでいる。影はみじかい。石畳に小さな点がいくつも走った。見上げると、鳩が翼を打ち鳴らして目抜き通りに沿って飛んでいた。ワーブルグにも鳩がいる。
ふと、カナトは連れがいないことに気がついた。
こまった、迷子になったらしい。
カナトがそう思っていると、「向こう岸」から聞き慣れた声がする。少女の声だ。
「えっ、そんなの、高すぎるよ!ねえ、おじさん、まけて?」
困ったのは、東方からの織物や装飾品を扱う店の主だ。少女の身なりはお世辞にも貴族の子弟とは言い難く、周りに大人も見当たらない。
「ねーえ、おじさん?」
少女は笑顔をつくった。混じり気のない笑顔だ。この笑顔を向けられれば、だれだって幸せな気持ちになる。だがそれと商売とは別物である。店主はほとほと困り果てた。少女は笑顔を絶やさず、頬杖をついて店主の顔を眺めている。持久戦のつもりだ。
「リップ、何をしているのですか」
逆に、店主に笑顔がこぼれた。保護者が来てくれたらしい。
「あ、カナト!えっとね、あたしね、これが欲しくて……」
「そんなお金はありません。行きますよ、リップ」
リップと呼ばれたその少女は引き下がらない。ぷくっと頬を膨らませている。
「ぶうっ」
不満げな態度をとる。店主は早く帰って欲しい、と思っていた。当然のことだ、後からやってきた保護者だって、金を持っている風には見えない。
「あたし知ってるもん。カナト、お金持ってるもん。前に金色のコイン、出してたじゃない」
「そんなものはありません」
「だってだって、カナトは、えらい学者さまで……」
「はいはい、行きますよ」
白髪の青年は少女の襟をつかんで強引に連れて行った。店主は笑顔で手を振った。
蛮族討伐から一週間ほどが経った。
王の間にあって、サウザンドは玉座には座らず立ったまま問いかける。
「臣民は、此度の成果をどう感じているだろうか」
ホルグは立て膝をついて答申する。
「陛下の御力に皆、感服し、ますますの信服を誓う次第でございます」
「そうだろうか」
市井はとおい。サウザンドはそう感じている。
「私は忌憚のない意見が聞きたいのだ」
「私の王国の中で、私よりも現状を把握できる人間は多くいることだろう」
「私はそのような者たちを使う立場にある。かれらの能力も、本当の言を押し殺していては正しく発揮できない」
老宰相は顔を上げた。この新王が幼年であったころから、その聡明さにいち早く気がついていたのは自分だという自負がある。王が自分の、通り一遍等の貴族的な返答を指摘してくれたことがうれしかった。
王となってもこの方は変わらずに、現実を見てくれることだろう。
そういう思いからホルグは顔を上げた。
「正直に申し上げまする」
「民はどうかは分かりませぬが、貴族たちは良く思っていなかった様子」
「良く、とは?」
「先王様の功績があまりに偉大であったために、その御子息のあなた様に力量が備わっているかどうか疑わしいということです」
「当然の反応だな」
蛮族討伐に集まった兵士の数は、必要とされた数よりもかなり少なかった。文書で出兵を要請された貴族たちは、いろいろな理由をつけて渋った。ホルグの言う、新王の力量に懐疑的ということであろう。貴族たちがもつ兵力は、そのままかれらの権力の大きさを表す。いたずらに浪費させるのも気が進まなかったのだ。
シルド大公が結局は兵を出さなかったことも影響しているかもしれない。
「ですが」
ホルグは言う。
「貴族たちも先日の戦果によって、陛下の力量を推し量ることができたかと」
「先の親征では出兵を渋ったものばかりでした。これは事実」
「しかし、再度軍を動かすこととなれば、快く兵を差し出すことでしょう」
聞いて、サウザンドは顎に手をあてる。
結果、三百の兵で二百ほどの蛮族を包囲し、壊滅させた。半数近くが倒れ、残りは捕虜となった。根拠地に残っていた女子供も捕らえ、商人たちから奪った品々を取り返した。
それだけをみればこれ以上ない戦果と言っていい。
だが、サウザンドは憮然とした表情をくずさなかった。
たまたまうまくいった。サウザンドは思う。蛮族はとくに戦術もなく、ただただ勢いによってこちらをくじこうとするだけだった。戦況を見、陣列を正す指揮官はいなかった。いや、そもそも陣列さえなかったのだ。そういう相手に完璧な勝利を得ても、かれの心は晴れない。
緒戦としての成果は十分であるが、しかし一方で新たな必要性もかれは感じている。
「ホルグ、騎士団長を呼んでくれないか」
「レントニの件について話したい」
思索の世界からもどった。考えるべきことは他にもある。
ホルグが王の間を出、ほどなくすると騎士鎧を身にまとったオルデスがやってきた。平時でも戦場と同じ装備をしているのはかれだけだ。騎士は王を守るのが役目であり、不意に刺客が現れる可能性もある。そんなときにすぐさま対応ができるよう、鎧の着用を欠かさなかった。任に実直であろうとするオルデスらしかった。
「お呼びでしょうか」
「レントニに出現した怪物たちの件だ」
シルドの南にレントニという町がある。小さな城塞と麦のための農地がある。ここで収穫される小麦からは白パンがつくられる。焼き窯はほとんどが首都やシルドにあり、レントニはあくまで産地の域を出ない。
その小さな町が怪物に襲われたという。ちょうど蛮族の住処を攻めた頃だ。レントニの兵は農地を荒らされながらも持ちこたえ、怪物たちの撃退に成功している。
サウザンドのもとに報告がもたらされたのは、蛮族討伐から帰還して直後のことであった。その報告のなかに気になる部分を見つけた。
「怪物たちが投石器を曳いてきたというのは真か」
「はっ。いまも城外に打ち捨てられておりまする」
顎に手を当てて考える。レントニに襲来した怪物というのは、オークやゴブリンといった亜人である。知能は低い。簡単な武器は扱えるが、攻城兵器を扱ったという話はどの文献にも記述がない。
「現場の視察をしたい。オルデス、準備を」
「今からでございますか?」
「そうだ。馬で行く、何名か同行する騎士をえらべ」
「はっ」
オルデスが一礼してその場を辞去した。
王と騎士三名がレントニに到着したのはその二日後である。
同行した騎士は、オルデスとかれの副官、そしてサイザス・ニブル。オルデスが王の間を出、騎士団にもどり王のレントニ視察を告げると、彼女みずから同行したいと願い出たためだ。騎士団はじまって以来の女騎士をどう扱えばいいか、オルデスは分からなかったが、蛮族との戦闘では男に負けない奮闘ぶりを示した彼女を少なからずみとめていた部分はあった。蛮族の背後をとり、一番に突撃したのは彼女だ。ためにオルデスは同行を許した。
緩やかな丘陵をくだっていくと、レントニ農地がある。いまは収穫の時期を過ぎていて、もうすこし早ければ黄金色の絨毯が広がる様が見られるはずだった。ところどころに家が建つ。そこに住む人間たちが絨毯の毛づくろいをするのだ。それらを守る小城は農地が切れた南側にあり、収穫物はそこに貯蔵される。
農地は踏み荒らされたり、掘り返されたり、あるいはごっそりとむしり取られたりしていた。相当数の怪物たちが襲来したことがうかがえる。何しろ、城にたどり着くまでのいたるところがそうなのだ。
サウザンドらが入城し、レントニ防衛の兵士長を訪ねる。かれが言うには、怪物たちはさらに南からやってきたらしい。城から見やると、たしかにその方向に投石器はあった。その数は四つ。防戦のために何本か矢が刺さったものもある。
兵士長が指差す。
「人間ならば馬か牛に曳かせますが、奴らは自分たちで曳き、押してきたのです」
オークどもの膂力なら可能だろう。しかし投石の手順を覚えられるかどうかは、甚だ疑問である。
「操作も奴らが?」
「そのとおりにございます。奴らめの攻撃により、畑や城壁に穴が空いてしまいました」
サウザンドは外に出て、近くを調べてみることにした。
城外はさらに荒れている。戦闘の結果だろう、いくつもの足跡、折れた剣、悪臭を放つ怪物の死体。
投石器の周辺も見る。地面に刺さったままの矢がハリネズミのようになっている。ここではあまり乱戦となっていないのだろう。足跡はあまり残されておらず、投石器の車輪のわだちと、ひづめの跡が残っている。
「兵士長」
サウザンドはひざまずいて、地面を調べるままの格好でいる。振り返らずに呼んだ。
「怪物たちは撤退した、そうだな?」
「はっ。何故かは、分かりません。潮が引くように、逃げてゆきました」
「戦況は不利だったろう」
「奴らめの数が多く、こちらは防戦一方でございました」
「農地に侵入されもした」
「そのとおりにございます。奴らめは、空腹を満たすことしか考えておりませぬ故」
ひざまずいていたサウザンドが不意に立ち上がり、投石器のほうへ行く。そこで何かを拾った。
短剣のようである。かれの眉間から、疑念による縦筋がすうっと消えた。
「サイザス」
サウザンドが手にした短剣を放る。
「君の紋章学の成績はなかなか良かったな」
「……はっ」
「分かるか?」
かれが言うのは、鞘に描かれてある紋章のことだろう。特徴的なのは、盾の両脇にそびえ立つ尖った岩山である。通常この位置に、このようなモチーフが使われることはまずない。
「少なくとも、ワーブルグのものではありません」
「他国のものに詳しい紋章官を知っているか?」
「あたってみます」
「たのむ」
検分は終わったらしい。サウザンドは手を振って、引き上げだ、と合図した。
そのときに、サイザスは馬のいななきを聞いたような気がした。城には、乗ってきた馬を繋げてある。たぶん、その声だろうと思った。