四.緒戦
四
暗闇と呼ばれるその山脈はワーブルグ首都の北東にある。
峻険な峰々が旅人を遠ざけた。しかし大陸に富をもたらす東方との交易は、この山を越えなければならない。ワーブルグは暗闇山脈を踏破するルートを開拓した民といってよく、またそれによって大きな益を得ている。
同時に、険しい山道は賊たちの稼ぎ場でもある。
そこに巣食ったのは、ワーブルグ社会の落伍者たちであった。政治犯、労働をせぬ者、望まれぬ子供たち。いつしかかれらは徒党を組み、ふもとの人間たちから蛮族と呼ばれた。
幾世代かを経ると、蛮族たちのルーツはわすれられた。かれらとワーブルグ民はちがう人種とされた。
暗闇に住む蛮族は生きるため山を越える商人を襲い、またワーブルグは武装してかれらを守った。諸国併合前の軍備は領土のためでなく、蛮族から商人を守るためであった。
そして蛮族たちとの戦いは、慈悲王グスタフの時代には沈静化している。
なぜか。
現ワーブルグ騎士団長のフォン・オルデスは厳格な男であった。規律をまもることが騎士の務めであり、頑なであることが美徳とさえ信じていた。
数少ない王直属の軍組織である騎士団は、もちろん王とともに暗闇の山脈に向かう。
精鋭を率いる自負をもつオルデスは、しかしそのなかに、一人だけ女子のすがたがあることで一抹の苛立ちを感じてはいたが、それをおくびにも出すまい。王に意見をすることは、かれが大事にする規律をやぶることになるからだ。
「先王グスタフ様は隣国ウルフの王と懇意にされておりました」
王と騎士団長は馬上にある。
「陛下がまだお生まれになる以前、グスタフ様は蛮族の根絶を目的にウルフ王に助力を願ったのです」
「ウルフの兵力をつかった、ということか」
「左様」
グスタフが起つまで、蛮族たちはかなりの規模になっていた。もはやかれらは仕事場を山だけに求めず、ふもとまで下りてきては略奪をおこなった。かれらに作物を育てる能力はなく、山の恵みと狩り、そして略奪だけで生きていた。
「グスタフ様は何度も蛮族どもらとの交渉を試みましたが、奴らめはいつも使者の死体をもって返答するばかりでした」
「ウルフの兵といえば、魔術師団ということになる」
「そのとおりにございます」
ウルフ魔術師団は、大陸に勇名とどろく最強の戦力である。
「父上は暗闇の者たちを根絶やしにしようとした」
「やむを得ませぬ。ワーブルグ諸国をひとつにまとめるためには、後背の憂いは取り除いておかねばならなかったのです」
「しかしかれらは生き残った」
サウザンドは何の感傷も込めてはいない。
「いまのかれらの勢力は?」
「おそらく、戦える男衆は二百ほどかと」
「こちらの勢力は、三百ほどか。騎士団と多少の歩兵、ゴルド伯がよこした部隊」
「いったい、わが国の何分の一の戦力だ?」
オルデスの顔がこわばった。
「あとからシルド大公も兵を送るとのことであります」
たよりにはできない。サウザンドは思った。出立前にうけとったキリークからの書簡は確かに出兵を約束していたが、かれは文ではうそをつく。
「騎士団長、何がしか理由をつけて出兵を渋る輩が多いと思うか」
「私は騎士であります。故、かれらの思惑までは、はかりかねます」
「分かっている。皆、疑っているのだ」
「この私の力量を」
新王はかすかに微笑んだ。おそらく自嘲だろう。
「しかし、それでよい」
「こちらの戦力が少なければ少ないほど、効果が上がるというものだ」
「暗闇の賊を一蹴せしめれば、頭の固い貴族たちも私についてくる」
「……」
王の考えにオルデスが意見することはない。
しばらく沈黙していると、一騎、速足で近づいてくる。騎士の鎧に身を包んだ馬上のひとは、見知った顔だった。
「サイザスか。髪を切ったのか?」
馬の足並みを合わせてきたその騎士に問う。
「兵の件は、申し訳ありません。父と親交のあった方々にもかけあってみたのですが」
サイザスは王の問いに答えなかった。厳とした態度をくずさない。
太陽のような金髪は、たしかに肩口でばっさりと切られている。
「いや、いい」
「貴族たちが渋るのも当然だ。君は、よくやってくれた」
「はっ」
彼女の口調はもはや学友時代のそれではない。髪を切ったこともそうだが、彼女も決意したのだろう。
「それに、似合っている」
唐突に王は言う。
「えっ……?」
「いま、僕には味方よりも敵の方が多い。だがすぐに変えてみせる」
独白のような声はサイザスだけに聞こえた。
暗闇山脈の蛮族たちの耳は意外にも早い。襲った商人たちからの情報や、ふもとの集落の噂話などで、既にグスタフ・ワーブルグの崩御は知っている。
そして次なる王が、自分たちの討伐のために向かっていることも。
うっそうと茂る暗い森の切れ目は、なだらかな傾斜の途中で途切れている。それ以上登れば蛮族たちの勢力圏、下れば文明がある。暗い森は深く入れば陽光さえも遮って、かれらのすがたを見えなくする。
サウザンドらが蛮族たちとの境界線を見る頃には、木々の切れ目から人の気配が感じ取れた。
蛮族たちも新王の目的を知っていて抗戦するつもりであることは、戦いを知らないサイザスでも容易に感じ取れた。
「奴らに宣戦布告は必要ない」
かれとて初陣のはずであろうが、声に震えはなかった。新王は手を振って、戦闘陣形を合図する。
新王の指揮する三百の兵は、体全体を防御できる大盾を装備した兵を先頭にする。次に控えるのは長槍をもつ歩兵で、さらに後には徒歩の弓兵。かれらは矢をつがえてはおらず、やはり丸盾を正面に掲げて行進。最後尾には平原で無類の突撃力、破壊力を発揮する騎兵がひかえる。
おそらく、盾兵や長槍兵により敵方の第一撃を防ぎつつ、弓兵による射撃を行い、騎士による突撃で勝負を決しようというのだろう。ワーブルグではよくみられた戦法であった。
軍勢のところどころには、軍旗がはためいている。
やがて木々の合間から、蛮族たちが雄たけびと共に斜面を駆け下りてきた。手にしている得物は様々で、長剣もあれば短弓、あるいは小ぶりな斧を持つ者もいる。みずからつくったものもあろうし、商人の護身用を奪ったものもあろう。およそ戦術などはなく、ただただ意気によって突撃してくる。
かれらが恐ろしいのは退くことを知らないことだ。
奇声をあげながら突進する蛮族らと最初に接触するのは大盾をもつ兵。かれらは決して陣形をくずさずに、隙間無く盾を並べる。
サウザンドは後方にあって、砂煙が前の方で上がったのを見る。眼前の騎兵らの間隔が詰まってきて、蛮族の突進によって前線がじりじりと後退しているのが知れた。
騎士団長と目が合う。うなずく二人。新王が手を振ると、軍旗をもつ騎士が全軍に知らせるように旗を振るった。
それを合図に、後衛に配置されていた騎兵たちが徐々に左右にひろがっていく。前衛の兵たちは変わりなく蛮族を食い止めており、そこからではワーブルグ後衛の動きを計り知ることはできない。
蛮族たちはいよいよ気勢を上げ、防御に徹する盾兵に迫る。
ワーブルグは腰抜けぞろい。
手にした得物を振るいながら、じりじりと後退する敵のさまから戦況有利とみて、蛮族のだれもがそう思ったにちがいない。その証拠にワーブルグは盾に隠れ、散発的に弓を射ることしかしていない。
そのうちにワーブルグ側の兵が幾人かたおれたが、前線の兵は瓦解することなくやけに計画的な後退をつづけた。蛮族たちには指揮官というものはいなかったため、それを弱気ととった。ワーブルグの前線が同調していることに気づけなかった。
全体に縦長だったワーブルグが徐々に横に広がりつつある。しかし蛮族たちは目の前の獲物をどうやって料理するかに夢中で、敵陣の変化には気づかない。
サウザンドは騎兵部隊が左右に分かれたのち、頃合とみるやまたも手を振って指示した。翻る軍旗。
盾兵の後退が止まる。
かわりにすぐ後ろの長槍が進み出て、攻勢に転じた。それがあまりにも同時に行われたために、蛮族たちは思わず目を見張って、動きを止めた。
そしてかれらの後方であがる絶叫。振り返ると、騎兵が突撃体勢をとり向かってくるのが見える。蛮族たちは何が起こったか分からなかった。突然に、後方に増援が出現したように思えた。
騎兵部隊は左右に分かれ、その機動力をもって蛮族たちの背後に回ったのだ。
蛮族の後方から現れた騎兵たちを率いたのは、身体の華奢な騎士である。鉄兜のバイザーを下ろし、かれがだれであるかは知れない。馬の扱いと武器の扱いは見事だった。第一撃では突撃槍で幾人かを串刺しにする。敵陣に入れば槍を捨て、長剣を扱って馬上から次々に斬りつけた。ことごとくが致命傷で、しかもひとところに留まっていないがゆえに射撃の標的にもなり得ない。
「続け!」
乱戦となった。華奢な騎士が発した声に伴い、第一撃を終えた騎兵たちが、次々と槍を捨て剣を抜く。
蛮族たちが後方からの攻撃で倒れるなか、サウザンドは最後の合図を発する。軍旗が三度翻り、前線の兵が大盾と長槍を捨て、剣と丸盾に持ち替える。
敵は浮き足だった。気がつけば正面と背面を相手しており、しかも徐々に間隔を狭めつつある。
「うまくいった。敵は混乱の極みにある」
サウザンドがつぶやいた。
隣のオルデスはじっと、戦いがあげる砂煙を見ている。
「オルデス、疼くか?」
「いえ」
「騎士団長ニブルのときには、豪壮で知られたフォン=オルデスだ、疼かぬわけがあるまい」
「君が行けば兵の士気も上がり、早々に決着をつけることができよう」
オルデスの横顔に喜色がうかんだように見えた。
「陛下の護衛という任があります故」
「ここなら敵の弓も届かぬ。必要なかろう」
「……では、お言葉に甘えまする」
オルデスが気合をつけると、馬も待っていたように瞬時に反応して駆けだした。その背中が戦いのなかに消える。
戦況をみつめるサウザンドの顔はしかし、すぐれなかった。