三.新王
三
レダ・ホルグは丸筒を大事そうに抱え、議会場中央の椅子にゆっくりと腰掛けた。
丸筒の中には紫色に染められた一枚の羊皮紙がおさめられている。次王選定のための重要な遺言書にしては、意外にも簡素であった。これが血縁によって領土を拡大した王であったならば、遺産や所領の分配に関して詳細に書かざるをえまい。ワーブルグはその成り立ちから、貴族たちが多くの土地を持っていたし、王領地はごくわずかしかない。おそらく遺言書には、そのすくない先王の持ち物に関しても、簡潔に、譲り渡す相手を記述してあるはずだ。
紫の羊皮紙はいま、宰相ホルグのみがその中身を見ることができる。
「王国ならびに先王グスタフ様への忠節を誓った諸氏らに」
丸まった羊皮紙の封を解かず、ホルグは話し始めた。
「今は亡き主が示した御言葉を、この私が伝えることに許しを請いたい」
だれもが固唾を呑んで聞いている。ホルグは封を解いた。
「皆に伝わるよう、書かれてある言の葉を、口述することとする」
「では……」
混沌たる彼の地に、安息をもたらすことを我が使命として私は王位についた。
思い返し、私が行ってきたすべての所作に後悔の念は無い。
ここで、私がなした功を述べるまでもないことが、私の自尊心を満足させている。
そして私の後継となる者にも、後悔なきよう国のため、民のために尽くしてもらいたい。
私の後は『息子サウザンド』が継ぐこととする。
かれに、皆が忠臣として尽くすことを願う。
議会場は驚きで埋め尽くされた。
グスタフは生前から、世襲を否定していた節があったからだ。さらに言えば、その息子サウザンドに、とくに目立った才があるようには思えなかったためだ。凡夫であろう王子が次王に選出されたことに、だれもが驚きを隠さなかった。
張り詰めた静寂から開放された議会場には、それまでの喧騒がもどった。そのなかで表情をうごかさなかったのは、サウザンドと、大公キリークの二人だけである。
最もおどろいた人間は、ホルグが話し終わるやいなや、中央の椅子に詰め寄ったメイヨールだったろう。
「ホルグ殿!それはまことか!」
納得がいかない。まわりの貴族たちが、思えども口に出さないことを、メイヨールが代弁している。
「誓って、真実である。伯爵」
「その遺言書を見せてみるのだ!」
メイヨールがずいと、ホルグに顔を寄せた。
(ホルグ、貴様、分かっていような!?)
かれの形相は狡猾な老婆から、鬼の面に変わっている。
(金を受け取っておきながら、この始末!)
ホルグも小声でかえす。
(伯爵、いつでも我が家をたずねるがいい。金は、大事にとってある。金の受け取りを拒否すれば、別の策を練ろうことは分かっていたのじゃ)
(貴様っ……!)
「下がれ!」
王子の一声が、議会場を再び静めた。
「ゴルド伯、私は正統に後継者として任ぜられたのだ」
「不満、あるいは疑念があれば、いつでも王宮の門を叩くがいい」
「私は王として君に相対そう」
サウザンドの態度は威厳に満ちたものである。
かれは言と同じく、ゆっくり、そして確かな足取りで議会場中央に進み出て、
「遺言書を読み上げてみよ、ゴルド伯」
と言った。
メイヨールは紫の羊皮紙を手にし、銀色の文字で書かれた先王の言葉を読み上げた。
たしかに、先ほど読み上げられた内容と全く同じことが書いてある。後に続くのは、次王への財産の内容とワーブルグ統治の心得などだ。
「ふ、不満などはありませぬ、私はただ、遺言が正確であることを確かめたい一念で」
弁明は虚しかった。
しかし、有力者のゴルド伯が読み上げたことで、やはり次王はサウザンドであるのだ、ということが貴族たちに実感として得られたことにちがいはない。
「当然、遺言書の正確性は必要だ。ワーブルグをみちびく人間が決まるのだから」
「ゴルド伯、貴殿の行動はただしい」
サウザンドはねぎらったが、それだけでメイヨールの恥辱が雪がれることはない。
新王は議会場のすべての貴族たちに聞こえるよう、向き直る。それは宣言であった。
「私は亡き父の後を継ぎ、王国の光ある未来を約束する」
「そのために、君たちの力が必要だ」
「私に、君たちの意志を示して欲しい」
「ひと月ののち、暗闇の山々に巣食う蛮族の根拠地を攻める」
「先王の遺言に対して、そしてこの私に対して忠節を貫こうとする者は武器を取れ!」
「我らを悩ませる蛮族どもを一蹴し、ワーブルグの恒久なる平穏を約束する!」
かれが新しく示したのは、その治世を戦からスタートさせるということであった。
ワーブルグの軍組織上、国家をあげての戦いが困難なことは、貴族ならばだれもが知っていることである。もともとの土地の領主たちが私兵といってもよい戦力をもち、王はそれを拝借することでしか軍団を組織できないためである。
貴族たちが渋れば、兵力をそろえられない。
新王はそういった常識も知らぬ。そう思った者は少なくなかった。
「全ては諸君らの手にかかっている」
結びの言葉はこのようであった。たしかに貴族らの手にかかっている。
かれらが新王の緒戦に兵を出すかどうかは、表舞台では決さず、夜、ひそかに検討されるにちがいない。
はたして新王はそのむずかしさを知っていたろうか。
大公キリークは表情を変えずに、新たな王への賛辞として、拍手をおくる。それを皆がみとめて、万雷のものとなった。ほとんどが純粋な賛辞でなく、困惑であったろうが。
メイヨールだけが面を伏せ、苦渋に満ちた表情を見せないでいた。
「サウザンド、待って!」
遺言書の公開がおわって、新王は議会場を出た。早速に取り入ろうとする貴族らが現れてもよさそうなものだが、いなかった。代わりに追ってきたのはサイザスだけだ。
「サウザンド、本気なの?」
眉間に縦筋をつくって言う。彼女がいちばん、新王の態度の変化に困惑している。
「僕は本気だ」
「王様になるってことが、どういうことか分かってるの?」
「分かっているさ」
サウザンドは立ち止まって、向き直った。すこし笑みを浮かべた表情は、よく見知った学友のすがたそのものであった。
「じゃあ……」
どうして、と言いかけたが、学友の表情がふたたび引き締まったものに変わり、
「そのために今まで準備してきた」
サイザスは黙るしかなかった。
かれの表情からは決意がみてとれる。たぶん、自分の言などまったく意に介さないことは、感覚で分かった。はじめて見るはっきりとしたかれの決意に、思わず視線を外した。
「サイザス」
「君は、どうだ?」
ふたたびかれの顔を見る。
「えっ?」
「僕に協力してくれるか」
どういう意味だろう、とサイザスは思った。王様に協力できることなど、自分にあるだろうか。政治に明るいわけでもなく、ましてや貴族ですらない。爵位はすでに返上してしまっている。
自慢になるのは剣のわざくらいだ、と。
「君には僕を守ってほしい」
「えっ……」
なんども聞き返すと、阿呆のようだ、と思った。
「必要なんだ、支配するには」
「やってくれるか?サイザス」
サウザンドの目には揺るぎない意志があった。サイザスはそれを見ている。
グスタフの遺体は腐敗を免れ、荼毘に付された。国葬はしめやかに、首都の大通りを棺がとおるだけで終わった。ここで先王の業績について触れる必要はなく、民のだれもがその業績を知っていたし、また良識ある賢君だったと囁きあった。
さらに言えば、囁かれていたのは次王の噂などである。若いかれを知る者は少なかったし、民衆には貴族たちの話も聞こえてはこない。
ただ、国葬の際にみじかい弔辞を読み上げたさまから、年齢に似合わぬ堂々とした態度をひとびとはみとめていた。
露出がすくなければ、ひとびとは想像をする。
サウザンドはまだ、それでよかった。最初の結果を示すまでは。
新王は蛮族討伐の軍団が編成されるまで、とくに目立った動きをとらなかった。定期の議会においても、グスタフ王の政策を引き継ぐかたちをとり、無闇に手を入れることはなかった。
ただひとつ行ったことと言えば、前騎士団長の娘サイザス=ニブルに騎士の称号を与えたことくらいであった。
女性騎士ははじめてのことであったが、貴族たちは大して関心も払わなかった。自分たちには関係のないことであったし、若い王の気まぐれか何かだろうと断じていたからだ。
何しろ貴族たちでさえも、新王の人柄をまだ知らないのだ。
やがてサウザンドが示したひと月となり、蛮族討伐のための軍団編成が完了した。