二.議会場
二
ワーブルグ議会場は、大国の政治中心であることを考えれば存外に小さい。王が座る玉座もなく、議員たちは立って議事に臨む。ただ一人、宰相だけが座ることを許されており、議事の進行と閉会を合図する。議長というわけだ。
そこではたとえ王でさえも論客たることを求められ、実際にグスタフもそうしてきた。議事が始まれば朝市の競りのようなやかましさになるが、不思議とキリークとメイヨールのような大人物が発言する際には水を打ったように静まり返る。だれもが論じてはいても、この二人の挙動を注意深く見守っているのだった。
それがために、口々に噂し合っていた貴族たちが、議会場に入ってくる三人をみとめ、思わず頭を垂れたのは当然のことだった。
「殿下、この度はまことに……」
「心中お察しいたしまする」
近づいてくる貴族たちはしかし、サウザンドを見てはいない。後背のキリークとメイヨールが目当てだ。
サウザンドはキリークに目配せする。
「皆の者、面を上げよ」
「議会場は王さえも論ずる場所。敬意は表せど、ここでは皆平等である」
「ホルグ翁が遺言書を持ってくるには、まだしばし時間がある。思い思いに過ごされよ」
王子に近寄ってきた貴族たちも一礼し、それぞれの輪に戻った。大公に指示されれば致し方なし、本意はそうだった。
「サウザンド」
女子の声がする。王子が見やると、この場に似つかわしくない貴婦人が立っている。
太陽のように明るい金髪を三つ編みにして垂らし、胸元が大きくあいたドレスを着ている。襟元から胸元にかけたレースは、注意深く見ると植物の紋様をしている。高価な染料を用いていない褐色のドレスには少し不似合いだったが、ちょっと背伸びをした、というのが、それを着る女性の心境と相まって、美しさを際立たせているようであった。
深い海の色の碧眼が王子をまっすぐにとらえたが、すぐに目をそらした。
「サイザス、見違えたな。はじめは、だれか分からなかった」
「それは、褒めてるの?」
「ああ。とても、僕らのなかで一番、剣の扱いがうまいとは思えないくらい」
キリークは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
メイヨールが進み出て、
「これはこれは。ニブル家の……」
「たしか、男子がおらぬために所領を返上なされたとか」
暗に、この場に女子が似つかわしくないことを言っている。
サイザス・ニブルは前騎士団長の長子であったが、女だった。ニブル家にはもうひとり子が生まれたがこれも女子で、ついに騎士団長を務めた父が没し、爵位を相続できる男子が途絶えた。傍系にも男子がいなかったため、爵位とすくない所領は王家に返還されることとなったのだ。お家を守るためならば妙齢のサイザスを嫁がせれば良かったが、母は長女の自由意志を尊重して、縁談をつくることはなかった。たいへん珍しいことである。
「……そのようなことは、閣下には関係の無いことでございましょう?」
母の思いやりを馬鹿にされたような気がして、サイザスは眉をひそめた。
「いや!聡明なる殿下のご学友さまの気分を損ねようと思い、言葉を発したわけではありませぬぞ」
「失言でございましたかな?申し訳ない」
メイヨールの腰が折れる。
「……行こう、サウザンド」
「どこに?」
「どこに、って……」
彼女が離れたがっていたのは、なにも老伯爵の態度ばかりが原因ではなかったことだろう。
メイヨールはサウザンドの方に向き直る。
「いや、殿下はここに残っておられるべきです」
「此処はお世継ぎを決める席、殿下が選ばれようことは、衆目の意見の一致するところ」
「決して議場から出るべきではありませぬぞ」
早口でまくしたてたメイヨールの口角が吊り上がる。王子は無言でうなずいて、
「そういうことだ、サイザス」
その態度は確信に満ちたものである。
胸中では、同じようにメイヨールも確信をもっていた。
先王が記した遺言書はこの国の宰相レダ=ホルグの手にある。諸国併合前の旧ワーブルグからの忠臣であったホルグは、老いてはいたが、実務と人柄の点で先王からもっとも信頼されていた一人と言っていい。
遺言書の公開は、ホルグが読み上げる形式をとる。これはグスタフが病床でも言っていたことだ。メイヨールの笑みは、かれをおさえていることにあった。
(王子がいようがいまいが、遺言がどうであろうが、大勢には関係のないことだ)
媚びへつらうようでいて、かれは別のことを考え、昂揚している。
(ホルグには金を渡してある。奴の古い友人もおさえ、言質もとった)
(次王は議会で選出させるのだ)
(その方がグスタフ王がもとめたワーブルグのかたちであろうし、だれもが納得するであろう)
(なれば、議会の票を操作することなど容易い)
老伯爵の懸念はただひとつ、大公キリークの人望にあったが、それも杞憂とかんがえていた。ワーブルグが平定されいまの形になってからというものの、キリークは所領であるシルドの内政にばかり熱を上げていた。グスタフが病に倒れてからもそれは変わらず、とくに諸貴族に対してはたらきかけた様子はなかった。
王になる気がない、ということである。キリーク自身、それを公言していた節がある。だれが王となろうとも、シルド大公は次王を守り立てる、と。
(議会での決定となれば、王子が選出されることは万に一つもない。そのときは、かような小僧に頭を下げずに済むというものよ)
(大公殿も、友の息子というだけのこの小僧に、情をかけるものか)
キリークの胸中はどうであったろうか。
かれは変わらず、苦い顔をしている。感情を顔に出す男であった。
(女、か)
(息子は軟弱。ワーブルグも地に堕ちたものだ)
議会場に女がいることが忌々しい。
キリークは、男女の役割をはっきりと分けなければ気が済まない。男は家を守り狩りをする、女は家族のために食事をつくり子供を育てる。時代を経ようと、それは普遍だと考えていた。何よりつくりが男女では全くちがう、女は男よりも力が弱く、男は女のように子を生めない。大公は女性を軽蔑しているわけではなかったが、政務でもそうであるように、役割を分ける性向であった。
男のいくさ場とも言える政治の場に、女を呼ぶ──キリークは彼女を呼んだのは王子だと考えている──のは、惰弱そのものというのだ。
キリークがそう考えるのも、年若いワーブルグには社交界などなかったことが起因するかもしれない。女性が必要とされるのは、あくまで家庭のなかだけでの話だった。
伯爵と大公がそれぞれの理由で、王子を卑下していたならば、女性であろう運命の神はなにを思ったろうか。
そのときに議会場が静まり返ったのは、それまで口々に論じていた貴族たちが、中央の席に向かう丸筒を持った老人をみとめたからに他ならない。おそらく、議会場にいた全員が注視した。老人は黒いローブを着ている。背はすこし曲がっているが、足取りはしっかりとしていた。
「来ましたぞ、殿下」
メイヨールが言い、サウザンドはうなずいた。宰相ホルグが手にした丸筒には、遺言状がおさめられている。