一.慈悲王の崩御
一
冷酷なまでの合理性は、あるいは君主の慈悲に等しい。
大陸東方に興ったワーブルグ王国の王子サウザンド――このときはまだ王子であった――は、それを地でいくことになろう。学業と武道に勤しめばよかった少年時代とはちがい、かれは戴冠せねばならない。かれはあらゆる妨害を合理的思考によって駆逐する。
慈悲王と呼ばれたグスタフ・ワーブルグは崩御した。風と日差しの強い日であった。北方から運ばせた氷が倉庫にいくらかあるだろうが、王の遺体は早晩に腐敗を免れ得ない。
国葬のためには後継者が要る。
グスタフには忘れ形見がおり、名をサウザンドという。十八になったかれは、宮廷の静かな混乱のなかであまり語ろうとはしなかった。語れば、だれに利用されるか分からない。周囲の貴族たちはかれの沈黙をそうとらえた。
「お前は、つよく育った」
平時から病床にあったグスタフ王の今際の言葉が思い起こされる。
「私とはちがい、つよく育った。王国を導く力がおまえにはある」
語気には力があった。サウザンドは目を閉じる。
「つよくあれ、サウザンド」
「……言われずとも」
議会場へ続く階段にあってサウザンドは、だれに聞かせるともなくつぶやいた。
ワーブルグは強国である。
大陸随一の広大な領土を持ち、商業で栄える。文明度の高い東方と交易するにはワーブルグを通らねばならず、自然、商人たちの宿場町が多くできた。もとはその宿場町を根拠とする豪族たちの小国があったが、慈悲王グスタフがまとめあげ、大国ワーブルグとした。それがために現在のワーブルグ貴族は、もとの豪族がそのまま爵位をもっている。つまり、それぞれ小国の統治はもともとの領主=豪族にあずけ、国家の首領としてグスタフが座ったということである。
グスタフは議会制を敷き、貴族たちに武力でなく弁論で国家を導かせようとした。しかしかれらは、もともと武によって覇をとなえた人間たちである。そう簡単に変わることはできなかった。
ワーブルグの首都も接する大オリオン湖の西南に位置し、馬の足で二日ほどの距離にある第二の都市シルド。治めるは大公マリウス・キリーク。また、南東のゴルド地方を統べる伯爵ドルス・メイヨール。この二人が豊富な「私兵」の武力を背景に、議会での発言力を高めていることは疑いようのない事実であった。
その二人の公爵と伯爵が、サウザンドに近づいてくる。
キリーク公は偉丈夫である。病弱だった先王グスタフとは親友だったが、健康に関しては友と対照的であった。おそらくかれが戦場に出れば、一騎当千の活躍をするにちがいない。並の男子ならばはるかに見上げる巨躯をもち、腕は丸太のようである。両手でなければ扱えない馬斬り刀であっても、この腕ならば片手で振るうことだろう。
メイヨール伯は年老いた小男で、つねに揉み手をしている。白髪が大半を占め、肌は浅黒く、なりは怪物オークのようである。しかし黄色の眼光は鋭い。伯の舌鋒は鋭く、ある意味ではグスタフの求めた弁論に長じた人物である。
「殿下」
議会場へのドアノブに手をかけたときに、声がした。メイヨールのしゃがれた声だ。
「サウザンド殿下」
「……ゴルド伯、何用か」
「此度は、先王グスタフ様のお世継ぎが示される日。王国の新たな歴史の一歩となる日にございましょう」
「それが、どうかしたか」
サウザンドはあくまで平静でいようとする。ように見える。
「どうか、と?殿下、そうおっしゃられるので?」
口角を吊り上げるメイヨールは、たしかに男性であるが、見ようによっては老婆にも見える。
「殿下のお父上にあらせられます先王グスタフ様、その御世が神々の恩恵のもたらす光に包まれ、王国臣民を大平の世にお導きになったこと」
「その光り輝く治世を受け継ぐ高貴なる人物が決まる、その日なのですぞ?」
「それを、どうかしたか、と?そうおっしゃるので?」
老婆の恨み節のようだ、とサウザンドは思った。
「決まりきっていることだ」
「お世継ぎの話でございましょうか?」
「そうだ」
「殿下、失礼千万を覚悟の上に申し上げまする。 先王様の御言葉を覚えておいででございましょうか」
「世継ぎは、王国の統治に適している者を選ぶ、との」
「ああ、覚えている」
「父上が病床に臥していたとき、皆を集めて言ったな」
「私もこの耳で、しかと聞いておりまする」
「殿下は、今だ遺言が公開されぬうちから、 後継者が決まりきっている、そう仰られるのですか?」
グスタフの遺体はこの暑さで刻々と痛み始めている。今日、議会場では後継者をしたためたグスタフの遺言状が公開される予定であった。
国内の主だった貴族たちが集められ、遺言状の公開と、王権を継承する儀が執り行われる。儀はワーブルグ王家の紋章が刻まれた剣の授与をもって行われ、後継者は一夜をかけて剣を研ぐ。王家は古く、刀鍛冶であったとされ、今でもその名残がこの王権授与に残っている。
王権授与はもちろん、ワーブルグが大国となってからははじめてのことである。グスタフは晩年、床に臥せっていたため、王権授与に関して公的に文書で通達していた。授与の儀は旧王家の形式を踏襲し、世継ぎは世襲でなく王にふさわしい人物を選ぶ、と。グスタフは病床に皆を集め、秘書官に文書を作成させた。そのことを二人は言っている。
「ゴルド伯、口を慎まれよ」
口を開いたのはキリーク。ゴルドはメイヨールの治める地である。
「グスタフ王の御子息は、このサウザンド殿下しかおらぬ。それは、次にだれが王となろうと変わらぬ事実なのだ」
「あまり礼を失した言動はすべきではない」
諌めるキリークの眉間にはしかし、縦筋が刻まれている。グスタフ存命時にも、サウザンドはこの大公を好きになれなかった。いや、好かれなかったと言っていい。
初老の大男は、サウザンドの頭越しに議会場へのドアに手を当て、体重をかけて開いた。
「どうぞ、殿下」
「……」
サウザンドは何も言わずにキリークの横を過ぎた。