表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転校初日、クラス全員が俺の元カノだった。  作者: おぷっち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/17

修正プロトコルと記憶の揺り籠

旧図書館の空き教室、その中心に開いた非現実的な空間の入り口。俺たちが歌と数式でこじ開けた『Project Noah's Ark』への道だ。だが、安堵する暇はなかった。

『――観測対象のイレギュラーな行動を検知。修正プロトコルに移行します』



脳内に直接響いた無機質な声と同時に、目の前の景色が激しく揺らぐ。

ジジッ、と耳障りなノイズが走り、黒い穴だったはずの入り口が、砂嵐のテレビ画面のように明滅を始めた。空間そのものが悲鳴を上げている。



「おいおい、マジかよ! 道が消えかけてるじゃん!」

高瀬直人が叫ぶ。彼の言う通り、安定していたはずの通路の輪郭が、デジタルノイズの粒子となって霧散していく。同時に、耳の奥で幻聴のようなノイズが響き、視界の端がちらつく。空間そのものが、俺たちの認識を揺さぶりにかかっているかのようだ。

「システムの直接介入…! これが『修正プロトコル』!」

隣で氷室怜奈が忌々しげに呟く。彼女のタブレットも、異常な磁場を検知してエラー表示を繰り返していた。



進むか、退くか。

一瞬の逡巡。だが、答えは決まっていた。

戻っても待っているのは、天宮咲の消滅と、誰かを選び続けなければならないゼロサムゲームの地獄だけだ。

「行くぞ!」

俺は叫び、迷わず歪む空間へと一歩踏み出した。

「悠真!?」

「戻っても未来はない! ここに賭けるしかないんだ!」

覚悟を決めた俺の目を見て、直人は一瞬驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと口角を上げた。

「へっ、だよな! お前がそう言うなら、付き合うしかねえっしょ!」

「…合理的判断とは言えませんわ。ですが、他に選択肢がないのも事実」

怜奈も溜息一つで覚悟を決め、俺たちに続いた。

三人が回廊へと足を踏み入れた瞬間、背後の入り口は完全に閉ざされ、俺たちは不安定な光の通路に閉じ込められた。



そこは、理解を超えた場所だった。

床も壁も天井も、全てが淡く発光するデータの奔流でできている。足元を流れゆく幾何学模様は、時折ぐにゃりと歪み、平衡感覚を狂わせる。

そして、壁面には無数の映像が流れ始めていた。

それは、俺の記憶――のはずだった。



『悠真くん、こっちこっち!』

天宮咲が笑っている。知らない公園で、知らないデートの記憶。

『神崎くんのそういうところ、嫌いじゃないわ』

御影鈴が頬を染めている。知らない放課後の体育館裏。

『あなたといると、退屈しませんわね』

識波結月が微笑んでいる。知らない豪華なパーティー会場。



次々と映し出される、俺の知らない「俺」の幸せな過去。

だが、その映像は徐々に歪み、ノイズが混じり始める。



『どうして私じゃなかったの?』

『約束、したじゃない…』

『お前のせいで、私たちは…!』



非難の声。怨嗟の声。ヒロインたちの幻聴が四方八方から脳を刺す。

「くっ…!」

頭を抱える。これはシステムの精神攻撃だ。俺の記憶がないという弱点を的確に突き、罪悪感で精神を汚染し、行動不能に追い込むための罠。

「悠真、惑わされるな! そいつらは全部偽物だ!」

直人の声が遠くに聞こえる。怜奈も「ノイズに意識を同調させてはなりません!」と叫んでいる。

分かっている。分かっているんだ。でも――。



その時、ひときわ鮮明な映像が目の前に現れた。

夕暮れの教室。二人きり。窓から差し込むオレンジ色の光の中で、天宮咲が泣きながら笑っていた。

『…ありがとう、悠真。ずっと、好きだったよ』

そう言って、彼女は俺に身を寄せた。

その温もり、その匂い、その表情。

俺が持っているはずのない、あまりにもリアルな記憶。胸が締め付けられる。

もし、これが本物の記憶だったら? 俺が忘れてしまった、大切な約束の瞬間だったら――?



思考が、足が、止まる。

その躊躇が、致命的な隙となった。



ガコンッ、と足元が大きく傾ぐ。

「うわっ!?」

俺が立ち止まった場所から、回廊の床が音を立てて崩壊を始めたのだ。

「悠真!」

「神崎くん!」

直人と怜奈が俺の腕を掴む。しかし、崩落は止まらない。三人の体重を支えきれず、俺たちが立っていた足場全体が奈落へと滑り落ちていく。

まずい。俺のせいで、二人まで――!

自分の弱さが招いた最悪の事態に、血の気が引いていく。



「偽物の思い出に浸ってる暇はねえぞ、悠真!」

耳元で、直人の怒声が炸裂した。

「お前が助けなきゃいけないのは、今まさに消えかかってる『本物』だろ!」

ハッと我に返る。そうだ。俺が救いたいのは、消えかけている天宮咲だ。こんな偽物の幻じゃない。

「感情は最大のノイズ…ですが、それを乗り越える意志は最強の暗号キーにもなり得ますわ」

怜奈の冷静な声が、混乱した思考に一本の芯を通す。

「信じなさい、あなた自身の選択と、ここにいる私たちを」

二人の顔を見る。必死の形相で俺の腕を掴む直人。冷静を装いながらも、その瞳に強い意志を宿す怜奈。

不確かな過去の記憶なんかじゃない。今、目の前に、俺を信じてくれる仲間がいる。



「…ごめん。もう迷わない」

俺は歯を食いしばり、正面の幻影を睨みつけた。

「偽物の過去より、今目の前にいるお前たちを信じる!」

叫びと共に、身体の奥から何かが溢れ出す感覚。それは前にも感じた、精神の力。

俺が『初回個体』であることの証明。

「うおおおおっ!」

俺を中心に、淡い光の波紋が広がった。その光に触れた幻影と幻聴が、悲鳴のようなノイズを上げてかき消えていく。

「今ですわ! 回廊の構造パターン、安定ルートを予測しました! 進行方向、右へ三歩!」

怜奈のタブレットが瞬時に最適解を弾き出す。

「道がねえじゃんか!」

直人が叫ぶ。怜奈が示した先は、崩れた瓦礫が浮遊する空間だ。

「道は作るもんだろ!」

直人はそう言い放つと、俺の腕を掴んだまま、この歪んだ空間の不安定な物理法則を本能的に読み取り、肉体を限界まで引き絞るような跳躍で瓦礫の一つに飛び乗った。

「行くぞ、悠真!」

俺は直人に引かれ、怜奈はその俺たちの服を掴んで、連鎖的に空間を跳ぶ。直人が道を塞ぐ瓦礫を蹴り飛ばし、怜奈が次の足場を指示し、俺が精神エネルギーでシステムの妨害ノイズを中和する。

三人の呼吸が、完璧に一つになった。



どれくらいの時間、そうしていたのか。

最後の瓦礫を蹴って着地した先は、硬く、冷たい床の上だった。

データの奔流は止み、耳障りなノイズも消えている。俺たちは、精神攻撃の回廊を突破したのだ。

「はぁ…はぁ…死ぬかと思った…」

直人がその場にへたり込む。俺も怜奈も、肩で大きく息をしていた。前話からの疲労も相まって、全身が鉛のように重い。

俺の精神エネルギーとやらは、どうやら燃費が最悪らしい。激しい消耗感で頭がぐらつく。

だが、顔を上げた俺たちの目に飛び込んできた光景は、そんな疲労を忘れさせるほどに異様だった。



そこは、サーバー室のような場所ではなかった。

ドーム状の天井を持つ、体育館ほどもあろうかという広大な空間。壁も床も継ぎ目のない白い素材でできており、全体が青白い光でぼんやりと満たされている。

そして、その空間を埋め尽くすように、無数の巨大なガラス管が林立していた。

管の中は緑がかった液体で満たされ、その中心に、何本ものケーブルに繋がれた人影が、静かに浮かんでいる。

まるで、巨大な標本室。あるいは、生命の揺り籠。



俺は、何かに吸い寄せられるように、一番手前にあったガラス管へと歩み寄った。

俺が数歩近づいたその時、ガラス管の根本にあるコンソールが淡く明滅し、ピ、と微かな電子音を立てた。まるで、俺の接近を認識したかのような反応だった。

管の中には、俺たちと同じくらいの年頃の少女が眠っていた。白いワンピースのようなものを着て、安らかな顔をしている。

青白い光のせいだろうか。その少女の顔が、一瞬だけ、消えかけている天宮咲の顔と重なって見えた。

「咲…?」

思わず声が漏れた。安堵と、再会できたことへの喜びが胸に込み上げる。

しかし、俺がガラスに額をつけんばかりに目を凝らした、その瞬間。

心臓が凍りついた。

違う。

髪型も、顔の輪郭も、どこか咲の面影がある。だが、彼女は天宮咲じゃない。

俺が一度も見たことのない、全く見知らぬ少女だった。



衝撃のまま隣のガラス管に目を移す。そこに眠る少女は、快活そうな顔立ちで、どこか御影鈴を思わせた。そのまた隣は、気品のある顔立ちが識波結月に似ている気がした。どの少女も微妙に顔立ちは違う。だが、クラスの女子たちの誰かの面影が、そこかしこに散りばめられている。一体、これは…?

俺は息を呑み、言葉もなくその光景に見入っていた。

背後で、怜奈がガラス管の根本にあるコンソールに触れ、表示された情報を解析している。

やがて、彼女が驚愕に染まった声を上げた。

「これは…生命維持装置などではありませんわ。記憶の…いいえ、存在そのものの『原本』を保存しているコンテナ…?」



『存在の原本』。

その言葉が持つ意味を、俺はまだ理解できなかった。



その時だ。



コツン。



静まり返った保管庫の奥から、一つの硬質な音が響いた。



コツン、コツン。



ゆっくりと、だが迷いのない足取りで、何者かがこちらに近づいてくる。

俺たちは、音のする暗がりの方を、固唾を飲んで見つめることしかできなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ