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転校初日、クラス全員が俺の元カノだった。  作者: おぷっち


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防壁の向こう側、禁忌の座標

警告メッセージの赤い文字列が、ふっとモニターから消えた。

一瞬の静寂。しかし、それは嵐の前の不気味な静けさに過ぎなかった。

次の瞬間、モニター全体が毒々しい赤色に染まり、警告音とは違う、単調で無機質な電子音が司書室に響き渡る。



『アーカイヴ・データ初期化シーケンスを開始します』



白い無機質な文字が、俺たちの絶望を宣告した。

ほぼ同時に、背後でカシャン、と硬質な音が響く。振り返るまでもない。司書室の電子ロックが作動した音だ。天井の照明が次々と消え、壁際の小さな非常灯だけが俺たち三人をぼんやりと照らし出す。システムは、俺たちをこの部屋ごと、情報と共に葬り去るつもりらしい。



「ただのシャットダウンじゃない…! これはアーカイヴそのものを消す気よ!」



氷室怜奈の静かな声が、張り詰めた空気の中を鋭く切り裂いた。彼女は即座にキーボードを掌握する。その指が、常人には到底追えない速度でキーを叩き始めた。カタカタカタ、という音の奔流が、死刑執行までのカウントダウンに抗う唯一の武器だった。



モニターには凄まじい速度で文字列が流れ、怜奈のコマンドがシステムの初期化シーケンスに食らいついていくのが見えた。削除までの残り時間を示すバーの進みが、ほんのわずかに、しかし確実に遅延している。

彼女の冷静な横顔に、初めて焦りと闘志が混じった色が浮かんでいた。



「時間を稼ぐわ…! 1秒でも長く! あなたはその目に焼き付けなさい、神崎君! 世界の理不尽さを覆すための設計図を!」



怜奈の言葉に突き動かされ、俺は画面に食い入る。彼女が稼いでくれた、血のにじむような時間。その中で『Project Noah's Ark』の詳細を探す。だが、焦りが視界を歪ませ、文字が滑り、意味が頭をすり抜けていく。くそ、なんでこんな時に…!



「落ち着け!お前一人で背負ってんじゃねえぞ!」



肩を強く掴まれ、ハッとする。直人だった。その目は真剣で、いつもの軽薄さの欠片もない。「俺も氷室さんもここにいる。お前がやるべきことに集中しろ、悠真!」

親友の言葉が、霧散しかけていた意識を繋ぎ止める。そうだ、一人じゃない。俺は頷き、もう一度モニターに向き直った。



怜奈の額から汗が一筋、こめかみを伝って落ちる。彼女のタイピング速度が、明らかに限界に近づいていた。指の動きがわずかに、だが致命的に鈍り始めている。

もう、時間がない。

覚悟を決める。俺は震える手を伸ばし、再びPCの筐体に触れた。



「おい、悠真! 無茶すんな!」

直人の制止の声が飛ぶ。

構わない。俺は歯を食いしばり、意識を集中させた。

「…これが、俺にしかできないことなら…! 咲を…誰も消させないために…ッ!」



全身の血液が沸騰するような感覚。こめかみの痛みが激痛に変わり、視界が赤く染まる。鼻の奥から、つ、と生温かいものが垂れてきた。血だ。だが、そんなことはどうでもよかった。

俺の精神エネルギーが、物理的な回路を超えてシステムに流れ込む。

モニターの初期化進行バーが、凍り付いてぴたりと動きを止めた。



「今よ…ッ!」



怜奈の悲鳴にも似た声。

その一瞬の遅延が、決定的な隙を生んだ。設計図の最深部、今までノイズに隠されていた階層が、クリアに表示される。



『ノアの方舟計画:物理構成要素記録保管庫』



そして、その下に続く一連の無機質な座標データ。

怜奈が、それを絶叫するように読み上げた。

「北緯35度41分22秒、東経139度44分28秒…ッ!」



その声が、俺たちの脳裏に座標を焼き付ける。

直後だった。



キィン、という耳鳴りのような甲高い音が響き、PCのモニターから白い煙が噴き上がった。焦げ付くような匂いが鼻をつく。俺の力、怜奈のハッキング、システムの抵抗がぶつかり合った結果、年代物の機械は物理的な限界を超えたのだ。

画面は真っ暗になり、完全に沈黙した。



司書室は、再び静寂に包まれる。

システムの攻撃は止んだ。だが、最大の武器も失った。

「……終わった、のか?」

直人が呆然と呟く。

俺は、もう立っていられなかった。消耗しきった体が言うことを聞かず、膝から崩れ落ちる。



「ほらな、言っただろ。ぶっ倒れたら俺が運んでやるって」



床に激突する寸前、直人が俺の体を支えてくれた。軽口を叩いているが、その声は震えている。親友が自己犠牲で壊れてしまうことへの、本気の恐怖が滲んでいた。

怜奈は悔しげに唇を噛み締め、それでも、得たばかりの座標データを忘れないよう、静かに唇を動かして反芻している。



沈黙。

PCが死んだことで、モニターが放っていた赤い光も消えた。非常灯だけの薄暗い司書室。その暗さの中で、俺はふと、書架の一点に不自然な影ができていることに気づいた。

今までモニターの光に紛れて見えなかった場所。

そこだけ、一冊だけ、やけに装丁の新しい本が差し込まれている。



デジタルな情報源を失った今、唯一残されたアナログな手がかり。

俺は直人に支えられながら、ふらつく足で立ち上がった。まるで引力に引かれるように書架へ近づき、その本を抜き取る。

ずしり、と軽いようでいて、世界の真実が詰まっているかのような重み。これが、灰原が言っていた『物理的な世界の改変マニュアル』だというのか……?



最初のページを、震える指で開く。

そこに描かれていたのは、PCのモニターで見た設計図と酷似した、精密な手書きの図面だった。

その隣には――悠真の知らないはずの、いや、知っているはずの『秘密の歌』の楽譜が記されていた。

「……なんで、これが」



声に出したつもりが、掠れた息しか漏れなかった。

脳が理解を拒絶している。これは、俺の失われた記憶の奥底に眠る旋律。妹と二人、母が遺したオルゴールから耳コピした思い出の欠片。だが、同時に、天宮咲と口ずさんだような気もする。バラバラの記憶が頭の中で悲鳴を上げる。それがなぜ、こんな場所に、こんな形で存在している?



「おい、悠真? どうしたんだよ、顔色が……」

心配そうに覗き込んでくる直人の声が遠い。怜奈も、俺の尋常でない様子に気づいたのか、険しい表情で本を凝視している。彼女の視線は、楽譜と隣の設計図を鋭く行き来していた。二つの情報の関連性を、即座に分析しようとしているのだ。



「この歌は……」俺は喉の奥から声を絞り出した。「俺と……妹しか知らないはずの歌なんだ。いや、もしかしたら……咲も……?」



「は……?」直人が絶句した。「どういうことだよ。じゃあ、なんでこんなもんが……」その言葉は、俺が抱いた疑問そのものだった。偶然の一致? あり得ない。この複雑な旋律と、手書きの楽譜。あまりにも意図的すぎる。まるで、俺がこの本を手に取ることを、誰かが予見していたかのようだ。



「罠、かもしれないわね」

怜奈が静かに、しかし確信を込めて言った。

「でも、今の私たちに、この罠を疑って立ち止まる余裕はない。むしろ、これは製作者側が遺した最後の保険……セーフティである可能性の方が高い」



怜奈の言う通りだった。PCという最大の武器を失った今、このアナログな情報こそが唯一の希望だ。たとえ罠であったとしても、踏み込む以外の選択肢は残されていない。

俺は唾を飲み込み、もう一度ページに視線を落とし、あることに気づいた。

設計図の複雑な配線や機構の傍らに、小さな文字で、いくつかの単語が書き込まれている。それは、歌の歌詞の一部だった。



『星の瞬きが道を示す』

『銀の河を渡る舟』

『閉ざされた扉を開く鍵は、思い出の音色』



バラバラに記されたフレーズ。それは間違いなく、俺の記憶の奥底にある『秘密の歌』の歌詞だった。妹と二人で考えたはずの……いや、咲と口ずさんだ記憶も、今、頭の中で混ざり合っている。

設計図を読み解くための暗号。歌そのものが、このシステムの起動、あるいは制御に関わる重要な鍵であることを、この本は示唆していた。



「……そういうことか」

全身から力が抜けると同時に、腹の底から新たな覚悟が湧き上がってくるのを感じた。

これは、ただの手がかりじゃない。俺にしか解けない、俺でなければならないという、強烈なメッセージだ。誰がこれを遺したのかは分からない。だが、その人物は俺たちのこと、俺の失われた過去を知っていた。



俺は本を閉じ、しっかりと胸に抱えた。ずしりとした重みが、失いかけた使命感を再び心に刻みつける。

「行くぞ」

俺は二人を見据えて言った。

「PCは壊された。けど、道はまだ残ってる。こいつが、俺たちを導いてくれる」



直人は一瞬ためらった後、覚悟を決めたように強く頷いた。怜奈は静かに目を伏せ、ゆっくりと開いたその瞳には、凍てつくような決意の色が宿っていた。

非常灯だけが頼りの薄暗い司書室で、俺たちは再び顔を上げる。絶望の底で見つけた一冊の本。それが希望か、更なる絶望への入り口か、まだ誰にも分からなかった。

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