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転校初日、クラス全員が俺の元カノだった。  作者: おぷっち


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3/3

選択の代償

茜色の光がアスファルトを長く照らす帰り道。俺の足取りは、鉛を引きずる錯覚を覚えるほど重かった。直人の肩を借りなければ、今にも崩れ落ちてしまいそうだ。脳を直接揺さぶる目眩が、断続的に世界を歪ませる。

「おい悠真、マジで大丈夫かよ。顔、真っ青だぜ」



隣を歩く直人が、心配そうに俺の顔を覗き込む。その声すら、どこか遠くの反響音に聞こえた。大丈夫なわけがない。頭の中では、天宮咲の快活な声と、氷室怜奈の静かな眼差しが、交互に明滅して俺を責め立てていた。



『昨日、一緒に帰る約束したじゃん!』

『私と図書館に行く約束でしたよね?』



二つの約束。二つの真実。どちらかを選べば、もう一方を裏切ることになる。ただの約束じゃない。彼女たちの記憶、彼女たちの世界そのものを、俺が踏みにじることになる。そんな予感が、鉛となって胃の底に沈んでいた。



「……悪い、直人。ちょっと、考えがまとまらなくて」

「そりゃそうだろ。あんな板挟み、どんな聖人でも無理ゲーだって」

直人は軽く笑ってみせるが、その目には隠しきれない憂慮が浮かんでいる。

「どんな状況だろうと、俺はお前の味方だ。……けどよ、マジでどうすんだ? このままだと、お前が壊れるぜ」



直人の言葉が、鈍くなった思考に突き刺さる。そうだ、壊れる。もうすでに、何かが軋んで、砕け始めている。



「いっそ両方すっぽかして、明日土下座するのが一番平和じゃん?」

茶化す口調で、直人が言う。確かに、それが一番『楽』な選択肢かもしれない。だが、選択を回避することが、さらに大きな何かを失うことになるのではないかという予感が、俺の胸を締め付けた。脳裏にあの男――灰原の冷たい声が蘇った。



『逃げないでくれよ』



逃げるな、か。逃げた先にあるのは、ただ問題の先延ばしだ。今日裏切るか、明日裏切るか。その違いでしかない。俺が向き合うべきなのは、咲や怜奈への言い訳じゃない。この狂った状況そのものだ。



「……いや、決めるよ。俺が、決めなきゃいけないんだ」

声を絞り出して言うと、直人は何も言わずに頷いた。



俺はポケットからスマートフォンを取り出した。画面を点灯させるだけで、ズキリとこめかみが痛む。この端末に触れるたび、無数の情報が奔流となって精神を削っていく感覚があった。

メッセージアプリのトークリスト。天宮咲と氷室怜奈の名前が並んでいる。指が、震える。



どちらを選ぶ?



怜奈との約束は『図書館』。それは明日でも、明後日でも、果たせるかもしれない。場所がそこにある限り、可能性は残る。

だが、咲との約束は『一緒に帰る』こと。それは「今日」という今この瞬間にしか存在しない、一度きりの約束だ。

ならば――。

俺が今、選ばなかったことで確定的に裏切るのは、天宮咲の約束だ。彼女の笑顔が、脳裏にちらつく。



息を詰め、指を動かす。

宛先は、天宮咲。

『ごめん、体調が悪くて今日はもう帰る』

たった一行の、残酷な宣告。俺は送信ボタンを、強く、押し込んだ。



送信した、直後だった。



世界が、ぐにゃりと歪んだ。

視界の端からノイズが走り、景色が砂嵐の混じった映像へと変貌する。今までの記憶の共鳴とは明らかに違う。世界そのものが悲鳴を上げている、そんな根源的な不快感。

「うっ……!」

強烈な目眩に、思わず膝が折れそうになるのを直人が支える。

「おい、悠真!」



ピコン。



間の抜けた電子音が、やけにクリアに響いた。音源は直人のスマホだ。

「ん? ああ、クラスのグループチャットか」

直人が自分のスマホ画面を覗き込む。俺も、揺れる視界でその画面を捉えた。

『咲ー、今日の課題の範囲どこだっけー?』

クラスメイトの一人が、咲にメンションを飛ばしている。だが、そのメッセージに既読はついていない。

「あれ、咲のやつ既読つかねーな。いつも速攻で返してくるのに」

直人が首を傾げ、メンバー一覧を表示するために画面をスワイプした。



――見てはいけない。本能が警鐘を鳴らした。



だが、遅かった。

俺の目の前で、直人のスマホ画面に表示されたクラスのメンバー一覧。その中にある『天宮 咲』の名前だけが、一瞬、陽炎めいて揺らめいた。

そして、すぅっとインクが滲んで薄れ、半透明に透けていく。

最初からそこに存在しなかった、と言わんばかりに。



「……おい、今……」

声が出ない。喉が張り付き、ただ喘ぐことしかできない。指先から急速に血の気が引いていくのが分かった。



「それが『選択』の代償の始まりだ」



背後から、温度のない声がした。

振り返るまでもない。灰原だ。いつの間にか、俺たちのすぐ後ろに、影となって立っていた。その目は俺ではなく、直人が持つスマホの画面に冷徹に注がれている。



「君が天宮咲の世界線を選ばなかった、その証明だよ」

灰原は淡々と、世界の残酷なルールを告げた。

「『世界線淘汰ルール』。君が誰か一人の記憶――つまり世界線を選ばなかった時、選ばれなかった世界線は存在が希薄になり、やがて消滅する。彼女の名前が消えかかっているのは、君が彼女との約束を、『選ばなかった』からだ」



頭を殴られた衝撃。

選択? 代償? 消滅?

俺がしたことは、ただのドタキャンじゃなかったのか。友達との約束を、断っただけじゃなかったのか。

それが、天宮咲という一人の人間の存在そのものを、この世界から消し去ろうとしている……?



「君は特別なんだ。ただの人間じゃない、『初回個体』だからな。君がこの世界に現れるのを待っていた。だから、ずっと見ていたよ」

灰原の言葉が、耳の奥で反響する。『ずっと見ていた』……その言葉に、不気味さと、抗えない真実が宿っているように感じた。



灰原の言葉の意味は分からない。だが、自分の行動が引き起こした現象は、目の前で起きている。

全身が粟立つ。罪悪感という生易しい言葉では表現できない、冒涜的な何かを犯してしまった感覚が全身を駆け巡った。隣で話を聞いていた直人も、事態の深刻さをようやく理解したのか、言葉を失って青ざめている。



「俺のせいで……咲が……?」

かろうじて、声が漏れた。

「ふざけるな! どうすれば元に戻せるんだ!」

俺は灰原の胸ぐらを掴まんばかりに詰め寄った。だが、彼は表情一つ変えない。

「消滅はすぐには完了しない。猶予はある」

その言葉に、わずかな希望を見出しかけた俺の心を、続く言葉が叩き潰した。

「だが、安易な選択を繰り返せば、いずれ誰かが完全に『観測不能』になる」

灰原はそれだけ言うと、俺の腕を軽く払い、夕闇に溶け込んで静かに去っていった。



後に残されたのは、俺と直人、そして重すぎる沈黙だけだった。

俺のスマホの画面には、天宮咲に送ったメッセージが、いつまでも『既読』にならないまま、冷たく表示され続けていた。



天宮咲が、俺のせいで消える……? 完全に消えてしまう前に、俺に何ができるんだ……?



選択すれば誰かが消え、しなければ約束を破り続ける。逃げ場のないルールを前に、俺は新たな、より重い決断を迫られていた。

街灯がぽつり、ぽつりと点灯を始める。だが、その光は俺たちの足元を照らすにはあまりに弱々しく、濃くなっていく影は、俺の心をそのまま映し出しているようだった。喉がカラカラに乾き、息をするのさえ億劫になる。



「……おい、悠真」



どれくらいそうしていただろうか。沈黙を破ったのは、隣で同じように立ち尽くしていた直人だった。その声はひどく掠れていて、無理やり絞り出したものであることが分かった。



「……なんだよ」

俺の声も、自分のものではないかと思うほど乾いていた。

「あの……灰原って奴の言ってたこと、信じるのか? その、天宮さんが消えるとか……そんな馬鹿な話……」

直人は言葉を選びながら、必死に現実的な落としどころを探ろうとしているらしかった。だが、その声には一片の希望も含まれていない。俺のスマホが、咲と繋がれないという事実を突きつけているのだから。



「馬鹿な話であってほしかったよ」

俺は自嘲気味に吐き捨てた。

「でも、事実だ。俺が……俺が咲との約束を破ったから。俺が別の選択をしたから、咲が……」

そこまで言って、言葉が詰まる。罪悪感という名の巨大な岩が、胸の上にのしかかって呼吸を奪っていく。俺はただ、あの日、少しだけ楽な道を選んだだけだった。それが、こんな取り返しのつかない事態を引き起こすなんて、誰が想像できただろうか。



「お前のせいじゃねえだろ! あんなルール、誰がどう考えたって異常なんだよ!」

直人が俺の肩を掴み、強く揺さぶる。その目には、俺を気遣う色と、理不尽な状況への怒りが渦巻いていた。

「でも、猶予はあるって言ってたじゃねえか。まだ完全に消えたわけじゃないんだろ? なら、何か……何か方法があるはずだ!」



そうだ。猶予はある。だが、その先にあるのは更なる地獄だ。

「方法なんて……」

俺が何かを選べば、また誰かが犠牲になる。咲を助けるために、他の誰かを消すなんて選択ができるはずがない。だが、何もしなければ、咲は確実にいなくなる。



どちらを選んでも、待っているのは後悔だけだ。

夕闇は完全に夜の帳へと姿を変え、俺たちを包み込んでいた。それでも、俺は暗闇に慣れた目で、じっと自分の掌を見つめる。この手で、咲を消してしまった。ならば、この手で、取り戻さなければならない。どんな代償を払うことになったとしても。



「……行こう、直人」

「え……どこへ?」

「分からん。でも、ここにいても何も始まらない。まずは、咲が本当に『観測不能』になりかけているのか、確かめなきゃならないことがある」

俺はスマホを強く握りしめ、顔を上げた。絶望に染まっていた視界の先に、ほんの僅かな、針の穴ほどの光を探して。

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