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転校初日、クラス全員が俺の元カノだった。  作者: おぷっち


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記憶のモザイク、真実のかけら

夕暮れの空気が肺を満たす。コンクリートの冷たさが制服越しに伝わってくる。俺は屋上のフェンスに寄りかかり、まだ収まらない目眩に耐えていた。さっき見た、小指を絡める誰かの記憶の断片が、網膜の裏でチカチカと明滅している。

「マジで何なんだよ、今日の地獄絵図は……」



隣で、親友の高瀬直人ががしがしと頭を掻きむしった。その声には、俺への同情と、理解不能な事態への純粋な苛立ちが混じっていた。



「俺にも分からん……」か細い声が出た。無理もない。転校初日にクラスの女子全員から「元カレ」だと糾弾されるなんて、どんな悪夢だ。俺は力なく首を振り、直人に向き直る。「改めて言うけど、直人。俺、あいつらのこと、誰一人として知らないんだ。そもそも、この街に来る前の記憶がほとんどない」



俺の告白に、直人はいつもの軽口をぴたりとやめた。真剣な眼差しが、俺の顔に突き刺さる。やがて、彼はふっと息を吐くと、俺の肩を強く叩いた。その手のひらの熱が、孤独で凍えきっていた心にじんわりと染み渡る。



「どんな状況だろうと、俺はお前の味方だ。それだけは忘れんなよ、悠真」



その一言が、どれだけ救いになったか。この狂った世界で、たった一人、正常な座標を示してくれる存在。それだけで、崩れ落ちそうな自分をなんとか保つことができた。



その束の間の安堵を切り裂くように、背後で重い金属の扉が開く音がした。ギィ、という耳障りな音。振り返ると、そこに立っていたのは、あの男――灰原だった。



「てめえ、まだ悠真に何か用か!」



直人が即座に俺の前に立ち、牙を剥く。しかし灰原は、その敵意を意にも介さず、無表情のまま俺たちに近づいてきた。



「君たちの混乱を解くために来た」



淡々とした声が、夕暮れの屋上に響く。灰原は俺の目を見て、信じがたい言葉を紡ぎ始めた。



「この世界は、無数の可能性が重なった場所だ。君が様々な女性と結ばれる可能性…いわば“恋愛の世界線”が、事故で一つに統合されてしまったんだ」



「……は?」直人が呆けた声を出す。俺も同じだった。世界線? 統合? 出来の悪いSF映画のあらすじを聞かされている気分だ。あまりの突拍子のなさに、思考がついていかない。



灰原は俺たちの反応を無視して、静かに言葉を続ける。その声には奇妙な説得力があった。



「彼女たちは嘘をついていない。それぞれの世界線で、確かに君の恋人だったんだ。そして、その恋人だった記憶だけを保持して、この統合世界に存在している」



その言葉が、頭の中で反響した。

嘘じゃない?

あいつらの、あの憎悪や嫉妬に満ちた瞳の奥にあったもの。俺には見えなかった、それぞれの『俺』との思い出。それが、本物?



もし、あいつらの記憶が本物だとしたら…俺は、いったい何人の『俺』の約束を破り続けているんだ?



背筋を冷たい汗が伝う。混乱の底で、まったく新しい種類の恐怖が鎌首をもたげた。俺はただの被害者じゃない。無数の誰かを裏切った、加害者なのかもしれない。



「じゃあ、俺は……全員を裏切ったってことか……?」



喉から絞り出した問いに、灰原は答えなかった。ただ、「今はまだ、パズルのピースを渡しただけだ」とだけ言い残し、静かに屋上を去っていった。



灰原の言葉が頭から離れないまま、俺たちは放心状態で下校の途についた。昇降口の喧騒がやけに遠く聞こえる。靴を履き替え、校門へ向かおうとした、その時だった。



「悠真!」

「神崎くん」



待ち伏せしていたのか、天宮咲と氷室怜奈が同時に俺の前に立ちはだかった。最悪のタイミングとはこのことだ。



「昨日、一緒に帰るって約束したでしょ!」咲が頬を膨らませて俺に詰め寄る。

「いいえ、神崎くんは私と図書館に行く約束でした」怜奈が冷静だが鋭い声でそれを否定する。



灰原の説明が、目の前の現実として突きつけられる。これは単なる痴話喧 प्रणामなんかじゃない。それぞれの譲れない『真実』の衝突だ。そして、ヒロインたちが主張する記憶の内容が、それぞれ完全に食い違っているという、この異常さの核心。どちらの瞳にも、疑いのない確信が宿っていた。



「ごめん、今日は……」



咄嗟に逃げ道を探す俺の腕を、咲が強く掴んだ。女子らしい細腕からは想像もつかない力だった。



「待ってよ!」



その瞬間だった。



――放課後の公園。夕日が差し込む中、ブランコをこぐ咲が、屈託なく笑っている。その隣にいる『俺』も、幸せそうに笑い返していた。風が彼女の髪を揺らし、甘いシャンプーの香りが鼻をくすぐる。確かな温もりと、愛おしさが胸を満たす――



知らないはずの記憶が、激しい奔流となって脳内に流れ込んできた。



「うっ……!」



強烈な目眩。視界がぐにゃりと歪み、立っていられなくなる。膝から崩れ落ちそうになった俺の体を、隣にいた直人が慌てて支えた。



「悪い、こいつ体調悪いんだ!」



直人が俺を庇うようにして、強引に二人を振り切る。呆然とする咲と怜奈を背に、俺たちは半ば逃げるように学校を後にした。



まだ混乱している俺の耳に、どこからか、あの灰原の静かな声が聞こえた気がした。



「それが記憶の共鳴。君が誰かの記憶に触れることで起きる現象だ」



声は風に溶けていく。



「……さて、神崎悠真。最初の選択だ。明日、君は誰の『昨日の約束』に応える?」



俺は、逃れられない岐路に立たされたことを、痛いほど理解した。

応えれば、誰かの世界を肯定することになる。

応えなければ、また一つ、誰かの想いを裏切ることになる。

どちらにせよ、これは俺自身の『選択』なのだ。

息を切らし、ぜえぜえと肩で呼吸を繰り返す。直人に支えられたまま、校門から少し離れた路地裏の壁に背中を預けた。冷たいコンクリートの感触が、火照った体にはむしろ心地よかった。まだ心臓が早鐘を打っている。



「おい、悠真、大丈夫か? 顔色、真っ青だぞ」



隣で同じように息を整えていた直人が、心配そうに俺の顔を覗き込んできた。その声には、焦りと戸惑いが滲んでいる。



「……ああ、なんとか。悪い、助かった」



かろうじてそれだけを絞り出す。喉がカラカラに渇いていた。さっきまで脳内を荒れ狂っていた奔流は、今は少しだけ勢いを弱めている。だが、その余韻は生々しく、頭の芯をずきずきと痛ませていた。ブランコの軋む音、咲の笑い声、風に乗って運ばれてきたシャンプーの香り。それら全てが、自分の体験として生々しく思い出せる。



「なんとかって顔じゃねえよ。さっきの、一体何なんだ? 急に倒れそうになるし……。咲たちも、すげえ心配してたぞ」



直人の言葉に、胸がちくりと痛んだ。咲と、そして怜奈の、困惑したような、心配そうな表情が脳裏に浮かぶ。彼女たちにあんな顔をさせたかったわけじゃない。でも、どう説明すればいい? 俺の中に、俺じゃない誰かの記憶が流れ込んできた、なんて。そんな荒唐無稽な話を、誰が信じてくれるというのか。



「……わかんないんだ。自分でも、何が起きてるのか」



俯いたまま、力なく呟く。それは紛れもない本心だった。



「わかんないって……。おい、悠真。最近のお前、ちょっとおかしいぞ。時々ぼーっと上の空だし、急に知らないはずのこと口走ったりするし。今日のこれも、何か関係あんのか?」



鋭い指摘に、心臓が跳ねた。直人は、俺が思うよりずっと俺のことを見ている。こいつの勘の良さは、こういう時、少しだけ厄介だった。



「……別に、おかしくなんてない」



「嘘つけ。俺の目をごまかせると思ってんのかよ」



強い口調で返され、俺はぐっと言葉に詰まる。直人は俺の幼馴染で、親友だ。こいつにだけは、嘘をつきたくない。でも、真実を話す勇気もない。俺の沈黙を肯定と受け取ったのか、直人はふう、と大きなため息をついた。



「無理にとは言わねえよ。言いたくないことだってあるだろ。でもな、一人で抱え込むなよ。お前、昔からそういうとこあんだから。俺は、お前の味方なんだぜ。どんな時でも」



その言葉は、混乱しきった俺の心にじんわりと染み渡った。壁に寄りかかっていた体を起こし、改めて直人の顔を見る。夕暮れのオレンジ色の光が、その真剣な横顔を照らしていた。



「……直人」



「なんだよ」



「ありがとう」



「……おう」



ぶっきらぼうな返事。でも、その声には確かな優しさが含まれていた。



二人で並んで、家路をたどる。沈みゆく太陽が、街全体を茜色に染め上げていた。カラスの鳴き声が、やけに大きく空に響いている。俺たちの間には、しばらく沈黙が流れた。直人は何も聞いてこなかったが、その気遣いが逆に胸を締め付ける。



『明日、君は誰の「昨日の約束」に応える?』灰原の声が、不意に頭の中でリフレインする。そうだ。俺は選ばなければならない。



怜奈の世界線では、きっと『昨日』の放課後、俺は図書室で彼女に呼び出されたのだろう。「明日の昼休み、屋上で話があるの」と、少し緊張した面持ちで告げられたに違いない。彼女の真剣な瞳を思えば、それは大事な話だったはずだ。一方で、咲の世界線では。帰り道に偶然会い、「明日のお昼、一緒に食べない? いつもの公園でさ」と、屈託のない笑顔で誘われた。さっき流れ込んできた記憶の通り、それはいつもの、当たり前の光景だったのだ。



二つの、矛盾する約束。どちらもそれぞれの世界線で『昨日』交わされた、大切な約束だ。



これまでは、こんなことで悩む必要はなかったはずだ。なのに、なぜ今、こんなにも一つの選択が重くのしかかるのか。咲との記憶が流れ込んできたからだ。あの、俺のものではないはずの、甘く幸せな記憶のせいで、俺の中の天秤は大きく揺らいでいる。



咲の笑顔に応えたい。あの記憶の中の『俺』のように、彼女の隣で笑っていたい。そんな欲求が、胸の内から湧き上がってくる。だが、それは怜奈を裏切ることにならないか? 真剣な眼差しで俺を見つめていた彼女の想いを、無下にしていいのか?



どちらかを選べば、どちらかを傷つける。選ばなくても、二人を裏切ることになる。逃げ道なんてどこにもない。灰原の言う通り、これは俺自身の『選択』なのだ。



「……なあ、悠真」



考え込んでいると、不意に直人が口を開いた。



「もし、どうしようもなく悩んでることがあるならさ、一番自分がどうしたいかで決めろよ。誰かのためとか、どっちが正しいかとか、そんなんじゃなくてさ。お前が、どうしたいか。結局、それしかねえんだから」



俺の心を見透かしているような言葉だった。俺は驚いて直人を見たが、彼は前を向いたまま、ただ夕焼けの空を見つめている。



一番、自分がどうしたいか。



その問いが、鉛のように重く、俺の心に沈み込んでいった。

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