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転校初日、クラス全員が俺の元カノだった。  作者: おぷっち


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12/17

不完全な勝利、原初の歌

耳鳴りがするほどの静けさだった。

さっきまでけたたましく鳴り響いていたアラート音と、明滅を繰り返す赤い警告光が嘘のように消え去り、ドーム状の空間は絶対的な沈黙に包まれていた。俺の荒い呼吸だけが、やけに大きく響く。全身の力が抜け、指一本動かすのも億劫だった。



壁際にもたれかかったまま、高瀬直人がか細い声で呟いた。

「……止まった、のか?」

彼の身体は電磁パルスの衝撃を受け止め、ボロボロのはずだ。俺も精神エネルギーというやつを使い果たし、思考すらままならない。床にへたり込んだまま、正面の光景をただ見つめる。



無数に並んでいたガラス管。その大半は、今も淡い光を灯し続けている。だが、すべてじゃない。

いくつかの管は完全に光を失い、ただの冷たい硝子と化していた。その中を満たす液体はよどみ、眠る少女たちの姿は暗い影に沈んでいる。

間に合わなかった。

俺の力が足りなかったせいで、救えなかった命が、そこにはっきりと形になって存在していた。光を失った彼女たちの姿が、重い後悔となって胸にのしかかる。

勝利などではなかった。これは、不完全で、苦い傷跡ばかりが残る、ただの戦闘終了の合図だ。



「……くそっ」

込み上げてくる無力感に、俺は床を殴ることすらできず、ただ座り込むしかなかった。



「感傷に浸っている時間はないようだね」

その声に、俺たちは弾かれたように顔を上げた。いつの間にか、灰原が俺たちの後ろに立っていた。彼の表情はいつも通り読めないが、その声には確かな焦りが滲んでいた。

「初期化シークエンスの一時停止には成功した。だが、システムは想定外の抵抗を『バグ』と判断し、自己防衛のために次の段階へ移行した」

灰原は淡々と、しかし恐ろしい事実を告げる。

「『修正プロトコル:フェーズ3』。より強力で、能動的な防衛機構だ。我々に与えられた猶予は、おそらくそう長くない」



束の間の安堵は、一瞬で焦燥に塗り替えられた。結局、俺たちは何も解決できていない。ただ、処刑の時間を少しだけ先延ばしにしたに過ぎなかった。直人は、悔しそうに歯を食いしばる。



その絶望的な宣告は、俺たちの中で最も冷静だったはずの人間を、静かに壊した。



「……私が、偽物…」

ぽつりと、氷室怜奈が呟いた。彼女はずっと、光を失ったガラス管の一つを、焦点の合わない瞳で見つめていた。その顔は血の気が引いていた。

「私が信じてきた記憶も、神崎君と過ごした時間も、全ては『原本』からコピーされた、ただのデータに過ぎないと…?」

彼女の声は、震えていた。完璧に整えられていたはずのポーカーフェイスは見る影もなく、浮かぶのは、純粋な恐怖と混乱。



「私が…偽物だというのなら、私のこの感情は…この痛みは、一体何なのですか…?」



堰を切ったように、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ落ちた。完璧な仮面が、音を立てて砕け散る瞬間だった。いつも冷静で、知的で、俺たちの先を行っていた氷室怜奈が、自分の存在意義そのものを揺るがされ、子供のように泣きじゃくっている。その姿は、あまりにも痛々しかった。



俺も直人も、かける言葉が見つからない。どんな慰めも、残酷な真実の前では虚しく響くだけだろう。

沈黙が、重くのしかかる。

その沈黙を破ったのは、意外にも直人だった。

彼はゆっくりと立ち上がると、おぼつかない足取りで怜奈の前に歩み寄り、その肩を掴んだ。



「本物とか偽物とか、どうでもいいんだよ!」

不器用で、荒々しい声。だが、そこには確かな熱がこもっていた。

「俺の目の前で歯食いしばってるお前が、氷室怜奈だろ!」



怜奈が、はっと息を呑んで顔を上げる。その瞳には、驚きと、信じられないものを見るような色が浮かんでいた。

直人は、怜奈の肩を掴んだまま、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返している。

彼の言葉に、理屈も論理もない。ただ、目の前にいる「氷室怜奈」という存在そのものを、力強く肯定する、魂からの叫びだった。

怜奈は何も言わなかった。ただ数秒間、彼の顔をじっと見つめていた。感謝も、反論もない。ただ、彼女の揺れる瞳が、凍りついていた心を溶かす何かの熱を受け取ったことだけは、はっきりと分かった。



やがて怜奈は、そっと涙を拭うと、ふらつきながらも自分の足で立ち上がった。

「…ありがとうございます、高瀬君」

まだ声は震え、その表情には迷いの色が残っていたが、その背筋は確かに伸びていた。「私が何者なのか、まだ答えは出ません。ですが…今は、前に進むしかありませんから」

彼女は俺の方へ向き直ると、決意を秘めた瞳で口を開く。

「神崎君、あなたのスマートフォンを貸していただけますか。……以前、旧図書館であなたが『物理的な世界の改変マニュアル』に触れた際、膨大な情報があなたの端末に流れ込むのを観測しました。あの時、私はあなたのスマートフォンに異常な関心を示し、『その端末、少し見せていただけますか?』と尋ねました。その残滓データと、本に描かれた楽譜の断片…そこに何か関係があるはずですわ」

旧図書館で、怜奈が俺のスマートフォンを指して妙な関心を示していたことを思い出した。あの時の疑問が、今、確かな線となって繋がった。

俺は頷き、ポケットからスマホを取り出して怜奈に手渡す。彼女はそれを受け取ると、慣れた手つきで操作を始めた。その指先には、もう迷いはなかった。



数分後、怜奈は顔を上げて俺たちを見た。

「見つけましたわ。やはり、旧図書館で手に入れた『物理的な世界の改変マニュアル』に描かれていた、あの『歌』の楽譜のパターンが鍵でした。これをフィルターにして膨大な残滓データからノイズを除去した結果です…意図的に隠されていた音声データが」

彼女が再生ボタンを押すと、スマホから微かなメロディが流れ出した。それは、俺の頭の中で何度も響いていた、あの歌だった。

断片的なフラッシュバックで、誰かと歌った記憶が蘇る。あのメロディは、あの声は……もしかしたら、俺が失った誰かとの、あるいは天宮咲や他の誰かとの大切な記憶の鍵だったのかもしれない。懐かしい少女の声が、俺の歌声に重なる。この声は、一体…?



「これは…」

「システムの最も古い認証プロトコルだ」

俺の言葉を継いだのは、灰原だった。彼は怜奈のスマホの画面を覗き込み、静かに告げる。

「『原初の歌』。システムが生まれる前、『初回個体』と『原本』を結びつけるために交わされた、最初の約束の証だ。そして、これこそが、聖稜高校2年A組の教室にあるシステムの心臓部…『Project Noah's Ark』へ至り、お前がシステムを止めるための、最後の扉を開く鍵となる」



俺たちは顔を見合わせた。次の目的が、はっきりと見えた瞬間だった。



保管庫の冷たい空気から逃れるように、俺たちは聖稜高校の校舎へと戻った。目指すは、俺たちの教室、2年A組。灰原によれば、システムの心臓部は、あの見慣れた教室の真下にあるらしい。

辿り着いた教室は、一見するといつも通りだった。夕暮れの光が窓から差し込み、机と椅子が整然と並んでいる。しかし、よく見るとそこかしこに世界の綻びが顔を覗かせていた。保管庫の初期化シークエンスは止めたはずなのに、世界の歪みは少しも治っていない。壁にかけられた時計の針は、実際の時間より数分遅れている。誰かの机の脚が、ありえない角度で僅かに歪んでいる。この日常は、薄氷の上に成り立っているのだと、改めて思い知らされた。



俺は、光を失ったガラス管を思い出す。救えなかった、あの子たちの顔がちらつく。

もう、あんな思いはしたくない。

「もう誰も失いたくない」

俺は小さく呟き、覚悟を決める。

「だから歌うよ。たとえそれが、どんな過去を思い出させる歌だったとしても」



灰原に示された教室の床の中心に立つ。深く息を吸い込み、記憶の底に沈んでいたメロディを、静かに口ずさみ始めた。



俺の歌声に呼応するように、足元の床が淡い光を放ち始める。光は複雑な幾何学模様を描き出し、まるで古代の魔法陣のように広がっていく。認証が、進んでいる。システムの心臓部への道が、今、開かれようとしていた。



その瞬間。



脳内に、直接叩きつけられるような甲高い警告音が響いた。



『警告:不正アクセスを検知。対個体用防衛プログラム“ガーディアン”を起動します』



光り輝いていた床の中央が、音を立ててせり上がってくる。それは無機質な金属の塊。ゆっくりと形を変え、俺たちに明確な敵意を向ける、物理的な防衛機構へと変貌していく。

希望が見えた、その矢先だった。

目の前に現れたのは、新たな、そして絶対的な絶望だった。

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