夜雨の逃走
宿の外に出れば、まだ雨が降っている。手が塞がる傘は持っていない。愛用の外套を服の上に纏い、エリアナは灰色の空の下へ行く。
宿の前にはいない。裏手にまわろうと、身体を回した時だった。宿の裏から、クロードが飛び出してきた。
「わぁっ!?」
予想もしていない探し人の突然の登場に、エリアナは驚く。
そんなエリアナをよそに、クロードは勢いよく彼女の左手首を掴んだ。
「静かに!」
鋭い声で言うと、いつになく険しい表情のまま、走り出す。
道に飛び出したと思えば、建ち並ぶ家々の裏へと入り、どんどんと宿から離れて行く。
水溜まりを踏み、水飛沫が飛んでも気にしない。エリアナの履き古したブーツは、水で湿る。
すれ違った町人らしき人間が驚いて振り返るほど速く、常人ならざるスピードで駆ける。そんなクロードのスピードに難なくついて行くエリアナも異常であると、本人は気が付いていない。
「荷物は!?」
「そんな暇はない!」
まるで、時間に……いや、誰かに追われているように、切羽詰まっている。ここまでなりふり構わない姿は、一体、いつ以来だろうか。
「ねぇ、なにが――」
エリアナが言いかけた時、複数の馬の蹄の音と嘶きがした。
クロードは足を止める。彼はエリアナの肩を抱いて、家の影にしゃがみ込んだ。必然的に、エリアナも腰を下げざるを得なくなる。
「探せ! まだ近くにいるはずだ!」
息を潜め、警戒するクロード。その姿を見れば、あの馬上の人々に追われているのかと気が付く。しかし、理由がわからない。
「まさか、こんなところに悪魔がいるとは。きっと、ドロテア王女も近くにいるはず!」
ドロテア王女?
その名前は聞いたことがある。エリアナは記憶を掘り起こす。
そうだ。イジェア王国のお姫様だ。赤ん坊の時に攫われたらしい。橙色の髪と、金の瞳を持っているという。同じ条件の同年代の女の子を集めるという旨のお触れが記された紙を、幼い頃に見たことがある。
しかし、何故、そのドロテア王女を探す者達にクロードは追いかけられているのだろうか。エリアナはドロテア王女と同い年で、瞳も金。ただ、髪はクロードと同じ白。一目で違うとわかるはずだ。
「クロード――」
「しっ」
エリアナがこえをかけたが、クロードは人差し指を立て、唇に添える。静かにしろというジェスチャー。
エリアナは、クロードが追われているのは勘違いではないかと思った。ちゃんとエリアナを見せて、連れはどう見てもドロテア王女ではないと示せば、疑惑もなくなるだろうと考えた。
しかし、クロード本人が喋るなと言うのなら、とりあえずは従っておく。
いつの間にか、周辺に霧が立ち込めていた。日が沈み、夜になっていることもあり、視界は最悪。
クロードとエリアナは、足音を立てないよう、忍び足で距離を取ろうとした。しかし、その視界不良により、エリアナは足下の石に躓いてしまう。
「わっ!?」
「!」
反射的に大声が出てしまった。
転びかけたエリアナを抱えたクロードは、暗闇の中でもわかるほど青褪め、息を詰めた。
一瞬、時間が止まったように感じた。その直後、横から眩い光に照らされた。ランプの光が、寄り添うクロードとエリアナに向けられる。
「見つけたぞ!!」
背後から伸びて来た手により、エリアナはクロードと引き離されてしまった。
「なにするの!?」
エリアナは拳を握り締めた。腕っぷしには自信がある。
だが、クロード本人がエリアナを見て、首を横に張った。彼に育てられ、ほどよく躾けられたエリアナは、それだけで戦意を喪失した。
「捕えろ!!」
そんなエリアナの目の前で、クロードが地面に押し倒される。
男といえど、脱げば肋が見えるほど痩せ細った体躯。大柄で屈強な騎士からすれば、大したことのない相手に見えるはず。だというのに、過剰とも言えるほどの人数で、クロードの肩を地面に縫い付け、両手を後ろで一纏めにした。
いつの間にか、雨は止み、霧も消えていた。




