2 親友の助言
(なによ、なによ、なによ!!)
猛烈なスピードで廊下を走りながら、クローネはレアルに腹を立てていた。
“廊下を走ってはいけません”の張り紙も今のクローネには見えていない。
淑女がどうした、こちとらゴリラだ。
そんな風に憤慨していたクローネも、馬車で帰路に就く頃には冷静さを取り戻していた。
(……レアルは別に、悪口を言っていたつもりはないんだわ)
レアルとは婚約してから3年ほどの付き合いだ。そんな中で見えてきた彼の人となりは――良く言えば正直。悪く言ってしまえば…デリカシーが無い。
レアルは公爵令息にさえ、「おい、君。鼻毛が出てるぞ」なんて平気で言えてしまう人間なのだ。あの時は心底肝が冷えた。クローネが謝り倒して許してもらい、レアルには思いっきり説教した。場所や言い方を考えろと。
だからといって、レアルが嫌な人間というわけではない。クローネが好きなものはきちんと覚えていてプレゼントしてくれるし、体調を崩せばとても心配してくれる。
ただ、独特な価値観を持っていて、少しばかり人の心の繊細な部分を分かっていないのだ。
(思えば、ケンカもずいぶんしてきたわ……)
正直者のレアルは、思ったことをすぐに口にしてしまうため、婚約したばかりの頃はケンカが多かった。
少し甘いデザインのドレスを着てみれば、「いつもより子供っぽく見えるな」
キラキラのパウダーを肌にのせるメイクが流行した時は、「頬に光る粉がついてるぞ? ホコリか?」
筋トレを重ね、やっと腹筋が割れてきた時には、「すごいな! 男の憧れだな!」
……いや、最後のはわざわざ報告した自分が馬鹿だったなとクローネはレアルとの思い出を振り返っていた。
(今日もまた、ルピアに話を聞いてもらおう)
ルピア・ドールはクローネの親友だ。侯爵令嬢という高い身分の持ち主だが、下位貴族や平民にも分け隔てなく接する人柄で皆に慕われている。クローネとは恋愛小説の好みが似ていたので仲良くなった。
人の恋愛話を聞くのが大好きで、レアルとケンカをした時はいつもクローネの愚痴を聞いてくれていた。
「ねぇ、ハサル。行き先をドール家に変更してもらえる?」
御者に進路変更を頼むと、クローネはふて寝するため目を閉じた。
* * *
「またシュケルさんとケンカしたの?」
呆れたように言うルピアに、クローネは頬を膨らませた。
「だって、レアルったらひどいのよ! 人のこと、男らしいだのゴリラだの!」
突然の訪問にもかかわらず、ルピアはクローネを快く迎えてくれた。
美味しい紅茶とクッキーに癒されたクローネは、ルピアに先ほどの出来事を伝える。
「あらまぁ……盗み聞きなんて淑女のすることではないわよ?」
「違うもんっ! 私はレアルを迎えに行っただけだし! ただの立ち聞きだわ!」
同じことでは? と思ったが、ルピアはよしよしとクローネの頭を撫でた。
ルピアは、クローネが可愛くて仕方ないのだ。
シュっと背が高く凛としたクローネは、クールな人柄だと思われがちだ。ところが見た目に反して、クローネは可愛い物が大好きで乙女思考。そのギャップにやられたのである。
「クローネはシュケルさんに可愛いと思われたいのよね?」
「えっ? う、いや、違……わない、けど……」
真っ赤になって俯くクローネが可愛くて、ルピアはさらに撫でる。
「シュケルさんもねぇ……もう少し学んでほしいわね。悪い人じゃあないけど、言葉の選び方がちょっとねぇ」
「れ、レアルは、優しい人よ。言い方は良くないけど、その人のためを思っての指摘だもの」
そう。公爵令息の鼻毛なんて見て見ぬフリをすることもできたのに、彼が恥をかかないようにとの思いで指摘したのだ。突然の無礼で怒らせはしたが、その後公爵令息からは婚約者に会う前に指摘してくれてありがとうと言われ、結局仲良くなった。
クローネへの発言だって、ドレスが子供っぽく見えて困るのはクローネだし、メイクもゴミがついているのではと心配してくれたのだ。腹筋が割れたことに関しては本当に心から称賛してくれたわけで……。
「うふふ。クローネはシュケルさんのことが本当に好きなのね」
「………」
文句を言いながらもレアルを擁護しようとするクローネは本当に可愛い。ルピアの言葉に耳まで赤くして黙り込む姿は、親しい人間だけが見られる特権だった。
「まったく。こんなに可愛いクローネに男らしいだなんて、本当に失礼だわ。ここはシュケルさんに反省を促すためにも、少しの間距離を置くのはどうかしら?」
「ど、どうやって? たぶん、レアルはすぐに家に謝りに来るし、居ないことが分かったらここへやって来るはずよ」
クローネとレアルがケンカになる時は、たいていレアルの失言が原因なのだが、いつもレアルはすぐにクローネのもとへ謝りに来てくれた。だからこそ、すぐに仲直りして婚約を継続できていたのだ。
「じゃあシュケルさんが来る前に、これからすぐに街へ出かけましょう。卒業前の、最後のお遊びをしましょうよ」
「……お遊び?」
「そうよ。シュケルさんが言っていたことを、そのまま実現して見せつけてやるのよ。そうすれば彼だって反省するはずだわ!」
「はぁっ!? ちょ、わ、私にゴリラになれって言うの!?」
「お馬鹿さんね。その前よ、その前。いいからわたくしについて来て! 悪いようにはしないわ」
「えぇ~~っ??」
ルピアの意図が分からずに戸惑うクローネは、腕を組まれてグイグイ引っ張られるままドール家を後にした。