1 聞き捨てならない言葉
放課後の校舎は閑散としていた。最上級生が卒業を間近に控えたこの時季は授業も少なくなり、登校してくる人数も限られているからだ。
卒業後、仕事や結婚で忙しくなる前に、友人たちとの最後の交流を楽しむ――現在はそんな期間だった。
クローネ・フランは足音を忍ばせながら、こっそりと一つの教室へ向かっていた。
今日は久しぶりに彼女の婚約者であるレアル・シュケルが登校してきたので、一緒に帰ろうと思ったのだ。
こっそりと近づいたのは、驚かせたかったから。ただ、それだけ。
ただそれだけだったのに――
「レアルは卒業したらすぐに婚約者と結婚するんだろー?」
教室内から聞こえてきたのは、レアルの友人であるペソの声だった。
「ああ。クローネは花の多い季節に結婚式を挙げたいと言っていたからな」
「へぇ~。クローネ嬢は意外と乙女チックなんだな」
レアルが答えると、もう一人の友人であるユーロも会話に加わる。
教室に入ろうとしていたクローネは、自分が話題となっていることに気まずさを覚え、ドアの前で立ち止まった。
「クローネ嬢って、華やかさよりも機能性とか合理性を好みそうなイメージだったけど」
「そうか?」
「ほら、いつもキリッとしてるからさ。背も高いし、あんまり装飾品とか付けてないから、女の子っぽい物が嫌いなのかと思ってたよ」
「いや、クローネは割と可愛い物が好きだぞ? 特に犬や猫みたいな小動物には目が無いくらいだ」
話題がなかなか変わらず、室内に入るに入れないクローネ。どうしようかと悩んでいるとようやく話が自分から逸れ始めた。
「小動物か~。俺、彼女にするなら子猫みたいな子がいいな! 小悪魔っていうの? ワガママに振り回されたい!」
ペソがそう言うとユーロが反論した。
「猫は気まぐれだから俺は嫌だな。子犬のような子の方がいい」
「はぁ~? 何だよお前、彼女を調教したいの? ヤバっ」
「アホか! 俺はただ、まっすぐに俺だけを愛してほしいんだよ! 一途な子が好きなんだ!」
ペソとユーロには婚約者も彼女もいないので、女性に対する痛々しい理想を語り始める。何だか聞いていて気の毒になってきた。クローネはますます出ていけなくなったので、このまま帰るかとドアに背を向けたその時――
「レアルはクローネ嬢のどういうところが好きなんだ?」
ペソの質問に、足を止めてしまった。
婚約者が思う自分の好きなところ。そんなの、聞きたいに決まっている。
クローネはワクワクした気持ちでレアルの言葉を待った。
「そうだな……強いて言うなら……男らしいところか?」
「「……男らしい??」」
ペソとユーロがぽかんとした顔をする。
クローネはその場で固まった。
「クローネは、騎士の家系だから剣術を嗜んでいるし、護身術も身に付けている。チンピラ程度では彼女に傷をつけることもできまい」
「「お、おう……」」
「筋トレも欠かさないし、最近腹筋が割れてきたと嬉しそうに報告された」
「「そ、そうか……」」
「身体強化の魔術も使えるし、彼女の叔父である第二騎士団長もクローネの腕力はゴリラ並みだと褒めていた」
「いや、さすがにちょっと待て!」
「お前、女の子に対してゴリラって! 失礼にもほどがあるぞ!」
ペソとユーロがレアルを責め立てる。
その時、バンッと勢いよく教室の扉が開いた。
「ク、クローネ?」
突然現れた婚約者に、レアルが戸惑う。
クローネはふるふると拳を震わせながら、涙目でギッとレアルを睨んだ。
「ゴリラで悪かったわね! どうせ私は女の子らしくないわよ! レアルなんてもう知らないっ!」
そう言い捨てると、一年前に贈られたレアルからの婚約指輪を指から引き抜き、勢いよく振りかぶって投げた。指輪はカイーンといい音を立て、見事にレアルの額にヒットする。
「うぐっ」
レアルが痛みにうめく間に、クローネは教室から走り去った。
「うわあああ! クローネ嬢に聞かれてたあああ!?」
「レ、レアルっ! お前、早く追いかけて謝れよ!」
ペソとユーロが取り乱す中、呆然と投げ捨てられた婚約指輪を見たレアルは、ぽつりと呟いた。
「え……? クローネは一体、何で怒ったんだ……?」
嘘だろ――と、ペソとユーロは頭を抱える。
こいつ、さっきの言葉を悪口だと認識していないのか。
「あ、あんなこと言われて傷つかないわけないだろ!」
「女の子相手に、男らしいだのゴリラだの!」
「褒めたのにどうして傷つくんだ?」
「「褒めてたの!?」」
ペソとユーロの叫びが、教室にむなしく響き渡った。
誤字報告、ありがとうございました!