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『愛のままに、わがままに、僕は君だけを傷つけない』

作者: Hachiroll

◆第一章:壊れない約束◆


六月の終わり、東京。街にはまだ梅雨の湿気が残り、

アスファルトの匂いがじっとりと鼻についた。

高層ビルの隙間を縫うようにして、雨雲が低く垂れこめていた。

篠原涼真は、そんな曇天の下、駅前のベンチに静かに腰を下ろしていた。

肩には濡れたシャツがまとわりつき、髪の毛の先からは雨粒がしきりに落ちていた。


雨を避けるための傘すらささずに、彼はただ座っていた。

スマートフォンの画面を何度も点けては消し、何も届かない通知欄を見つめる。

着信はない。LINEの未読も、既読すらもつかない。


“僕は君だけを、傷つけない――”


そう、彼は何度も胸の内で繰り返していた。

それは、誓いではなかった。

ただの願望でもなかった。

それは、彼の生き方だった。


「たとえ、俺のことを忘れたとしても、それでいい。

君が笑って生きてくれたら、それだけで……」


彼がそう思うようになったのは、

今から三年前、あの夏の日がきっかけだった。


◆第二章:三年前の夏◆


その年の夏も、暑かった。

涼真は都内の小さな広告代理店で働き、連日深夜までプレゼン資料を作り続けていた。

そんな彼の前に現れたのが、美月だった。


取引先の広報担当として紹介された彼女は、

笑うと目が三日月のように細くなる女性だった。

喋るたびに首をかしげる癖があり、

涼真はその仕草がどこか子猫のように思えた。


最初は業務的なやり取りだったが、

ある日、

ふたりでクライアントの打ち上げに参加した夜、

終電を逃した二人は深夜の公園で長話をした。


「なんで、広告の仕事やってるの?」


「うーん……かっこいいと思ったから。人の心を動かすって、すごいでしょ」


「そっか。……でも、本当は誰の心を動かしたい?」


その問いに、美月は少し黙ってから、笑った。


「自分自身かな。たぶん、誰かに必要とされたいだけ」


涼真はその言葉に、まるで自分自身を重ねたような感覚を覚えた。


それから、ふたりは何度か食事に行くようになった。

いつしか涼真は、彼女に心を惹かれていった。

しかし、彼女には交際中の相手がいた。

聞けば、家族の勧めで付き合っている大企業の御曹司らしい。


涼真は引いた。いや、引かざるを得なかった。

それでも、彼女の辛そうな表情を見たくなかった。

彼は自分の気持ちを飲み込むことに決めた。


◆第三章:再会◆



そして今、再び彼女は彼の前に現れた。


銀座の交差点。霧雨の中、白いワンピースがゆれる。

まるで時間が止まったようだった。


「……美月?」


彼女が振り向いた瞬間、

涼真の胸の奥に閉じ込めていた感情が音を立てて崩れていくのを感じた。


「やっぱり……涼真くんだと思った」


数年ぶりの再会。言葉を選ぶ間もなく、ふたりは近くのカフェに入った。

かつてとは違う距離感が、テーブルの間に漂っていた。


「私……結婚してたの」


「知ってる」


「でも……今はもう、終わりにする」


彼女の言葉に、涼真の手が一瞬止まった。


「家庭の事情でね。母が病気で……お金が必要だったの。

でも、結局は彼に支配されるだけの生活だった」


「……つらかったろ」


「今さら、こんな話しても仕方ないんだけどね」


涼真は、彼女の震える指先を見ていた。

かつて手を握ることさえしなかった自分を、思い出していた。


「仕方ないことなんて、ないよ。話してくれて、ありがとう」


その夜、彼は眠れなかった。

彼女の話す声が、耳の奥でいつまでも鳴っていた。


◆第四章:壊れた未来◆


数週間後、美月から連絡がきた。


『もう一度だけ、会えない?』


そのメッセージに、涼真は迷わなかった。

次に会った時、美月は少しだけ痩せていた。


「涼真くん、お願いがあるの」


「うん、何でも言って」


「いっしょに、どこか遠くへ行こう。

誰も知らないところへ。

……逃げたいの」


彼女の声は真剣だった。

でも、涼真の胸には、何か引っかかるものがあった。


「逃げるのは、悪いことじゃない。

でも……それって、本当に君が望んでること?」


「……わからない。わからないけど、今だけは、誰かにそばにいてほしいの」


涼真は彼女の手をとった。初めてだった。

こんなに近くにいたのに、やっと触れた手だった。


「わがままでいい。君がわがままになるなら、俺はすべて受け止める。でも、ひとつだけ……」


「なに?」


「俺は、君を傷つけたくない。それだけは、守らせてくれ」


◆第五章:それぞれの夜明け◆


二人は、しばらく一緒に過ごした。

遠くの町で、小さなアパートを借りて。

目立たないように、誰にも知られず、ただ時間を重ねた。


毎朝、美月は近くのスーパーでパートをし、涼真はリモートでデザインの仕事を請け負っていた。

そこには何の贅沢もなかったが、穏やかな時間があった。


「こんな日々が、ずっと続けばいいのにね」


「続けよう。俺たちが望む限り、続けられるよ」


しかし、幸せな日々は永遠ではなかった。

ある日、元夫の弁護士が彼女を見つけ出した。

調停の手続きのため、東京に戻る必要があったのだ。


「戻ったら……また、会えなくなる?」


「そんなこと、ないよ。でも……」


涼真は微笑んだ。やせ我慢ではなく、彼女を安心させるための笑顔だった。


「大丈夫。僕たち、これまで乗り越えてきたんだ。離れたって、心は……」


「そばにある?」


「うん、いつだって」


◆第六章:嘘から始まった関係◆


「君にだけは、本当のことを言いたかった」


そう言って美月が差し出した一通の封筒。それは離婚調停の資料ではなかった。


「……これ、なに?」


涼真が中身を確かめると、そこには美月の旧姓と、ある養護施設の関係書類が入っていた。


「私ね、全部嘘だったの。あの“家族”も、“御曹司の婚約者”も。ぜんぶ、演じてた」


混乱する涼真に、美月は静かに語り出した。


高校卒業後、美月はモデル事務所にスカウトされ、一時は雑誌にも出ていた。

だが、枕営業を断ったことで事務所を解雇され、身を隠すように都内を転々としていたという。

そんな中で、自分の身を守るため「誰かの特別」でいる必要があったのだと。


「私にとって“いい女”を演じることは、生きるための術だった。

最初から、嘘だった。でも……涼真くんとだけは、ほんとの私でいたかった」


涼真は、言葉を失った。


◆第七章:禁断の選択◆


涼真の心には、二つの気持ちがぶつかっていた。


「嘘だったのに、なぜ信じたかったんだろう」


だけど、彼女を責める気持ちはなかった。

むしろ、すべてをさらけ出してくれたことが嬉しかった。

彼女がどんな過去を持っていても、それでも守りたいという気持ちは変わらなかった。


しかしその矢先、美月に新しい「契約」の話が持ち込まれる。

今度は地方議員の後援者が、政略結婚の相手として美月を指名してきたのだ。

政治的な意図がからみ、もし断れば彼女の過去が週刊誌に漏れるリスクがあった。


「こんなの、ただの取引じゃない……」


美月は唇をかんだ。


「私、逃げられないかもしれない。今度こそ本当に、戻れない場所に連れていかれる」


「だったら、俺が君を連れて逃げる。今度こそ、誰にも邪魔されない場所へ」


禁断の逃避行。それは現実からの逃避ではなく、ふたりだけの自由を求める戦いだった。


◆第八章:叶わぬ恋の果てに◆


二人は最後の一夜を過ごした。


言葉では足りない想いを、重ねた手の温度で確かめあった。


夜明け前、美月は涼真の眠る横顔を見つめながら、そっとスマートフォンを手に取る。

彼のLINEに、ひとことだけメッセージを残した。


『ありがとう。あなただけは、信じられた』


そして、彼女は静かに部屋を出た。


最終章:愛のままで、わがままに


数年後。


涼真は、地方で小さなデザイン事務所を営んでいた。

いまも独り身だが、笑うことができる日々を送っていた。


ある日、郵便受けに一通の手紙が届いた。


差出人は書かれていなかったが、その中には一枚の写真と、短いメッセージが添えられていた。


《私は元気です。あなたがくれた“ほんとうのわがまま”で、いまを生きてます。》


そこには、小さなカフェの前に立つ美月の姿。穏やかな笑顔。


涼真はそっと写真を机の引き出しにしまい、窓の外を見上げた。


雨はもう、止んでいた。


“嘘から始まり、秘密を抱え、禁じられた恋に身を投じても。


僕は君だけを、傷つけない。”


◆エピローグ:雨の向こう◆


美月は東京に戻り、その後連絡はぱたりと止んだ。

涼真は何度かメッセージを送ったが、既読がつくことはなかった。


それでも、彼は毎朝、美月が淹れてくれた紅茶の香りを思い出しながら目を覚ました。


ひとりの部屋。窓の外では、今日も雨が降っていた。


"愛のままに、わがままに……でも僕は君だけを、傷つけない。"


それは、約束ではなく、彼が彼であるための覚悟だった。


そして、静かにページを閉じるように、物語は終わる――。



長く書き続ける勇気もなくただただ構想を書き綴った作品です。

最後まで読んでいただき有難うございました。

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