01 沈没
凄まじい嵐が吹き荒れていた。
目を開けていることさえも難しいほどの強い雨が、目の前に降り注いでいる。水が強く全身を叩き、西村隼人は鋭い痛みを感じていた。
(――皆、どこに行ったんだっ!?)
船の上には、救命ボートにありつこうと群がる乗客たちが居る。その人数は多く、彼は自分の友人たちを探し出すことが出来ない。
「くそっ」
彼は悪態をつきながら、再び走り始める。途中何度かすべって転びそうになりながらも、なんとかバランスを整えて走り続けた。
「隼人っ!?」
途端、彼に声がかけられた。
坂上楓が隼人を呼んだ。嵐で声が掻き消されないようにと、彼女は普段の様子からは想像付かないほどの大きな声を出していた。
「楓っ!」
「隼人、なにしてるの!? もう皆先に救命ボートに乗っちゃったよっ」
「そうか。それは良かった!」
隼人はほっと肩をなでおろした。彼にとって、友人が無事に逃げているのかどうかはとても大切なことだった。彼はほっとため息をつくと、楓と共に走り出した。
嵐がいっそう強くなっている。
波は荒れ、彼らの乗っているこの大きな客船でさえ沈没しようとしている。
(こんなところに、あんな救命ボートで放り出されて大丈夫なのか?)
彼は一抹の不安を抱えながらも、救命ボートに乗り込んだ。隼人と楓は、気づかないうちに手を繋いでいた。絶対に離さないように。その手は二人とも硬く握り締めている。
二人の乗った救命ボートが、波の上におろされる。
波の上にのった途端、ボートが大きく揺れた。荒波によって揺り動かされ、ジェットコースターのように方向感覚が狂わされる。二人を含むボートに乗ってる人々は悲鳴を上げるが、それは嵐に掻き消されてしまう。
そんな中、隼人は思う。
(みんな、大丈夫なのかっ!?)
彼は友人の安否を気にしながらも、その嵐の揺れに慣れることに努めた。
「水が入ってきてるぞっ!!」
一緒のボートに乗っていた一人の男が叫ぶように言った。乗り合わせていた人たちは、その声に思わず飛び上がりそうになった。
波が高く、しぶきと共に大量の水がボートに入り込んできたのだ。それを見て、隼人は焦った。
「とにかく水をかき出せっ!」
男はそういいながら、手で水を外に弾くようにかき出し始める。皆もそれにならって水を外に出そうとするが、その努力の傍からすぐに、新たな水が流れ込んできていた。
隼人は目の前が真っ暗になっていくのを感じていた。
(このままじゃあ、絶対に海に放り出されるっ)
彼がそう心のそこで呟いたと同時に、彼の手を楓が握り締めた。
「大丈夫だよ。……きっと、大丈夫」
彼女の手は言葉とは裏腹に震えていた。顔は真っ青で、今にも卒倒しそうな様子だった。隼人はその様子に我に返る。
「――そうだな。信じなきゃ、何も出来ないよな」
隼人は再び、水を手ですくって出し始める。楓も同様に手で水をすくいだす。しかしそんな隼人の決意も空しく、水はどんどん流れ込んできていた。足元が殆ど埋まってしまうほどにまで水が達し、人々は悲鳴を上げる。
「ダメだっ! もう沈没するぞ!」
誰かが叫んだ。それと同時に、船はがくりと傾いた。そして傾いた箇所からどんどん沈んでいく。
「た、助けてくれっ」
誰かがそう叫んだ。
しかし、彼を助けることの出来る人は誰も居なかった。
その場に居た全員が、ボートから放り出されていたからだった。ボートは既に波に飲み込まれ、足場としてさえ役立っていない。彼らは波に飲み込まれながら、散り散りになっていった。
(――楓っ)
隼人は近くにいた楓に手を伸ばした。手をとっても、こんな嵐の中では何の意味も無い。しかし、彼は無意識のうちにその行動をとっていた。
しかし彼の手は、何もつかむことは出来なかった。
――こうして客船は沈没し、隼人を含める乗客の殆どは行方不明になった。