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おやじシリーズ

おやじスクラム

作者: 磊川 聖悟


 雨上がりの朝。電車。少し混み合ってる。

 今日は当番があって、いつもより早い時間の通勤。

 スカートに付いた雨粒を素早く払ってから乗車。

 乗り込んだ車両はおじさんばかり。私は背の高いジェントルなおじ様の隣で吊革につかまりました。

 肩に担いだバッグを前に回して、抱きしめて、バッグの持ち手に傘の柄を掛けてぶら下げて、バッグのサイドポケットのジッパーを開けて、中からスマートフォンを取り出して、電子図書を開く。お気に入りの作家のセコい冒険小説。家から自転車で隣町に行く程度の冒険です。

「シュー」と音を立ててドアが閉まります。続いてホームドアも閉まりました。

 軽く揺れて発車。

 乗客全員、同じ方向に傾いて、傾き直る。私も同じ。

 目を閉じたまま揺られている人。座って眠っている人。スマホでゲームする人。本を読む人。私もスマホで読書。いつもの朝の時間。

 雲の切れ間から陽射しが延びて、車内を照らす。窓枠の影。足元に写り、少しカーブで車両が傾いて、ゆっくりと車両の右へ影が移動していく。

 レールで車輪が賑やかな音を立てているけど、気にならない。毎日同じです。

 本を一ページ読み終わらないうちに隣駅に着きました。

 まだホームドアが設置されていないホーム。電車のドアが開き、おじさん達が乗車。後から制服を着た小さな女の子が乗車。ランドセルには黄色い雨除けカバー。黄色い傘。ランドセルにも、傘にも、小さなネームプレート。たぶん小学二年生。入り口のドアの前で静かな佇まいをして、発車を待っています。

 女の子の後から乗り込もうとしたおじさん、女の子を見て、急ぎ足で隣のドアへ移動しました。女の子を押して、電車に乗り込むことをためらったようです。

 音を立ててドアが閉まる。おじさん達、女の子との間に二十センチほどの隙間を作って、つぶさないように、素知らぬ顔で安全確保。

 私はスマホを見ている振りで、おじ様観察。

 雲が閉じて、陽射しが消えると、またどんよりとした曇り空。

 ガクンと揺れて電車が発車。女の子が体勢を崩して転びそうになる。慌てておじさん、手を差し出して女の子を助けようとするけど、女の子は持ち堪えて元の姿勢。おじさん、ゆっくり手を元の位置に戻して、何もなかったように知らんぷり。

 何でしょうか、おじさんにヒーローになってほしかった思いが空回りして、私、スマホを握ったまま、心があちこち飛び回りそう。何だか残念です。

 女の子の周りでは、おじさん達が身体をぶつけるように立っているのに、女の子には隙間を空けて、まるで結界を張ったように、領域を守護しているようにも見えました。

 見えない注連縄(しめなわ)が車内の送風で揺れています。

 駅に着き、ホームドアと車両のドアが開く。女の子は降りて、乗降口の脇に退避。

 おじ様達が一斉に降車。降りた人よりも多くのおじさんが乗車。おじ様達の総入れ替え。混雑が酷くなってきました。女の子が最後に乗車して、また静かな佇まい。さっきまでとは違うおじ様達が極自然に結界を張る。注連縄が風に揺れる。

女の子は何も気付かない。ドアが閉まり、ホームドアも閉まり、電車は発車。女の子はドアに手をついて体勢を保持。良かった。

 押し合い圧し合い、おじ様達が女の子の周囲で素知らぬ顔のまま、時には明らかに力を入れて踏ん張っている表情で、女の子の静かな佇まいを乱さないように、何か小さな約束事を守るように仁王立ちでクールを装う。

 朝の電車は騒音でうるさいはずが、それは意識の外になり、心は静寂に似て、女の子の静かな後姿を見守るおじ様達の敬愛すべき後姿を、私が見守る。

 空の厚い雲の隙間から、光が差し込む。遠くの建物を所々照らしていました。

 電車は、いつの間にか高架を走り、建築物の配列が空と街の境界に凸凹な線を描いている。遠くの鏡張り高層ビルに当たった陽射しが、凸凹の境界線をなぞるように端から走り抜けてゆく。

 アンテナに停まっていた小鳥たちが飛び立つ。

 やがて電車は減速を始め、線路のポイントで大きく揺れる。結界に乱れはない。

 女の子も礼儀正しい振舞いで、ドアに手をついて、やっと外が見える高さの窓から、外を見ている。いつもの朝。

 ホームに滑り込んで行く電車。切れ切れに聞こえるアナウンス。

 電車は他の路線に乗り換える大きな駅に着きました。

 大きなホーム。大きな階段。

 ドアが開くと一斉に降りる乗客。女の子は走って降車。「あぶないよ」と心で声を掛けて、私の心配が女の子の後を追ってゆきました。

 大人達に交じって、エスカレーターに乗って、女の子は上層のホームへ向かいました。

「気を付けてね」

 心の声です。

 朝のホームは皆が急ぎ足。競うように階段を上り、争いを避けるように道を譲る。

 雲の切れ間から朝日がホームを照らします。

 騒音が波のように押し寄せる。

 乗車を促すアナウンス。

 小走りに乗り込むおじ様達。

 発車のシグナル・ミュージック。

 赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが乗ってきました。

 おじ様達に微かな緊張が走るのを私は見ました。

 ドアが閉まります。

「シュー」と空気圧の音。

 ドアに寄りかかり、抱っこ紐で前に抱えた赤ちゃんの様子を伺うお母さん。凄く若い子。服装から、出勤途中のようにも見えます。

 発車。揺れる。お母さんも揺れました。

 既に結界は発動して、おじ様達は注連縄を揺らしています。

 親子の周りには二十センチ程のセイフティーゾーン。

 何も気付かずに、指を伸ばして、赤ちゃんのほっぺに優しく触るお母さん。

 むにゅむにゅと口を動かして、眠ったままの赤ちゃんに安心した様子。

 さっきよりも混雑した車内でおじ様達は肩を押し付け合って、親子を守るようにスクラムです。皆さんそれぞれに知らん顔で意識は親子に向けない。

 電車が揺れ、加速の音。レール音。ホームの端が素早く遠ざかる。

 赤ちゃんを抱えたまま、大きなバッグを一方の肩に抱えて、他方の肩にはハンドバッグ。

 ガタンと大きく揺れて、押された側のおじさんが無言のまま踏ん張る。

 親子に影響なし。

 誰も文句を言わない。

 タワーマンションの影に入り、一瞬視界を喪失。影が後続の車両を駆け抜けてゆきます。

 そして陽射し。

 電車はコーナーに差し掛かり、親子の方向に乗客が押し寄せます。

 スクラム!

 力を入れて、肩を押し付け合い、アーチ形に組まれたおじ様達の陣形は、うまく力を両脇に逃して、親子は何事もなし。

 赤ちゃんが目を覚まして、お母さんを見ました。

「何?」というような表情の笑顔で応えるお母さん。

「あー」小さな声。

 お母さんは大きなバッグの隅っこに手を入れて、ペットボトルの水を取り出して、キャップを回しました。

 そして、そっと……そっと、ペットボトルを赤ちゃんの口元へ持っていき、ちょっとだけ、口を濡らす。

 むにゅむにゅ。

 ちょっとだけ、口を濡らす。

 むにゅむにゅ。

 ちょっとだけ、口を濡らして、様子を伺って、キャップを閉めて、ペットボトルをバッグに仕舞いました。

 注連縄は揺れていました。おじ様達は知らぬ顔です。

 静かに眠りにつく赤ちゃん。

 やがて駅に着き、反対側のドアが開き、フロントロー、プロップの位置のおじさんが抜けて、降りて行きました。脇に居た控えのおじさんが即座に投入され、ドアが閉まり、ホイッスル。

 加速。レール音。鉄橋。斜めからの朝の陽射し。車両が高架を走り、影の中、影の外、ビルの横、看板の前、そしてまた川。広い河川敷のグラウンドでは早朝野球。お腹を揺らしてユニホーム姿のおじさんが走る、走る。

 ドアにもたれ掛かったお母さんは、いつの間にかうつらうつらしてきました。子育てはお母さんの睡眠を減らしたりするのでしょう。仕方ないですよね。

 ダダンと大きく揺れて、びっくりして「ビクッ」となって、目を覚ます赤ちゃん。お母さんも目を覚ましました。目と目でコミュニケーション。お母さんの笑顔。赤ちゃんはまた眠りに戻ります。

 電車は快速区間に入り、高架を走り、いくつもの駅を過ぎて、建物と建物の間から漏れてくる斜めの光の筋々を横切って、注連縄を揺らしながら、快適なリズム。窓から差し込む光は、お母さんと赤ちゃんを照らして、眩しそうに目に力を入れる赤ちゃんに、身体を動かして影を作るお母さん。

 いつもとは少し違う朝に、戸惑いながらもスマートに対応して見せるおじ様達。

 人が疎らなホームを通過して、高層ビルが立ち並ぶエリアに差し掛かり、減速開始。

 テンポをおとす車両のリズム。

 雲の切れ間から建物の隙間を縫って刺し込んだ光が、前の車両から、後ろの車両へ、走り抜けます。

ポイントで揺れる。充分に減速しているので、気にはならない。

ホームドアで仕切られたプラットホームにゆっくりと進入。駅のアナウンス。

徐々に減速。徐行。

ホームドアがゆっくりと過ぎてゆく。

徐行。そして停止。

ホームドア開放。すかさず車両ドア開放。

お母さん、赤ちゃんを手で守りながら、踵を返して降車。姿勢反転。ビジネス歩調。

「いってらっしゃい」

 心で呟く。

 毎日優しく戦っているおじ様達。自然に解散して、降車する人の波にのまれて行きました。

 お母さんも赤ちゃんも、守られていた事には気が付かなかったようです。

 でも、それでいいのかな。

 混雑が空いた隙をついて、私も降車。

 いつもより高くハイヒールを鳴らしてホームを歩く。

 雨雲はどこかへ行ってしまいました。

 眩しい陽射し。

 何だか嬉しいのに、私は真面目顔。

 すれ違いに小さな子供。黄色い帽子。傘も持っています。もちろん黄色。

 電車に乗って、ドアの横に佇んで、ドア袋に身体を押し付けるようにして、他の人の乗車の邪魔にならないように気を付けています。

 発車のシグナル・ミュージック。

 駆け込むおじさん達。

 押し合い圧し合い乗り込むおじさん達。

 でも、小さな子供を見て、乗車をあきらめたおじさん数名。やっぱり子供を力任せに押すことは出来なかった様子。次の電車を待つようです。

 車両のドアが閉まり、ホームドアが閉まる。

 車両ドアの窓には黄色い帽子。

 出発進行。

 徐行で発進。そして徐々に加速。

 遠ざかる黄色い帽子を見送りながら、私はホームの端の階段を下りて会社へ向かいます。

空は良い天気。青空が広がりました。

 今日は少し暑くなるかもしれません。

 会社までは紫外線を避けるルートで出勤です。駅を出てすぐに路地に入り、陰を歩きます。

 前から来た自転車のおじさんが不自然に進路変更。少し方向を変えて、通り過ぎて行きました。

 道路には水溜り。

 水を撥ねるといけないと思ったのでしょうか。私は、おじさんの気遣いで助けられたのかも。

 ちょっと笑みがこぼれました。振り向いて、遠ざかる自転車のおじさんに、軽く頭を下げました。

 すぐに周りを確認。誰も見ていない。恥ずかしい。

 でも、いつもよりゆっくりと歩き、感謝の気持ちを心で唱えて、紫外線を避けながら、路地を進む。電線から落ちてきた雨の名残りの雫が腕に当たって、少しびっくり。

 ハンカチを出して拭きながら、上を見上げると、いくつもの電線の向こうに、晴れ渡った空が見えました。


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