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Nannandrous Wizard  作者: Uemon
2/2

一度始まってしまえば、二度と戻れないものである

一人の青年が、6月中旬の機外の蒸し暑さを感じさせることのない、乗客のいない列車の中で揺られている。窓の外は暗く、時刻は20時を過ぎていた。


その青年は髪も瞳も黒い色で、歳は17程だろうか。身長は170㎝の中背で、服を着ている今はあまり目立たないが鍛えられた体躯をしていた。憂鬱そうな表情で、手元の情報端末をのぞき込んでいる。


 情報端末には1枚の写真が映し出されている。写真の中には二人の人物が映っており、一人は20代の男性、もう一人は20代後半であるにも関わらずまるで少女のような顔立ちと体つきをした女性である。


 男は髪を明るい色に染めており、長めのウルフカットの下から快活な表情でこちらに視線を向けているが、女性は茶色いワンカールと神秘さすら感じられる無表情が特徴的だった。しかし、男性は顔全体で喜びをあらわにしているし、女性も目元には柔らかさがあって二人の仲の良さを表していた。


この二人は青年の実兄と義姉であり、数年前よりこれから青年が行く場所に居住している。彼は、この二人の住宅にこれから住む手筈であった。

 

「……はぁ」


 青年が情報端末のディスプレイを複雑そうな表情でオフにし、これから起こることから目をそらすように列車の窓に目を向ける。空には2()()()月が輝いていた。


 青年の名前は不破(ふわ)佳一郎かいちろうといった。



 列車は海峡を越える巨大な橋に差し掛かり、本土から離れた場所へ向かう列車であることが分かる。それもそのはず、佳一郎は本土から、四国が名を改めた人工島という、人間を隔離するための地域に送られようとしていた。


 別に、彼が犯罪を犯したりであるとか、策謀によって追放されたであるとか、そういうことは全くない。


 理由は一つ、体内の魔力濃度が規制値を超え、彼が魔術師の素養があるのではないかと危惧されたためだ。






 

 2000年、20世紀最後の年にそれは起こった。地球の衛星軌道より少し離れた地球から約3000㎞の位置に、直径3.5㎞の謎の小惑星が飛来し、地球の周囲を周回し始めたのだ。


 今では妹の月(シストレン・ムーン)と呼ばれているその小惑星は地球に大混乱を齎した。


 例えば、地球の海岸にて見られる潮の満ち引きは、離れた月の重力によって起こるものだ。海は、地球の表面積の7割を覆っており、深いところでは1万m以上の深さがある。この海水の体積は13億3800万立法kmにもなり、極めて膨大なものだ。


 だが、この海水は地球から3800万㎞のかなたに存在する月の影響を受けている。主に影響を及ぼしているのは前述のとおり月の質量によって発生する重力であり、海水はこの月から重力という引っ張る力を受けているのだ。その為、地球表面の海水には重力を受けて厚くなるところと薄くなるところが出来る。そして、月は地球の周りを公転しているため、海水が厚いところ、薄いところも月の公転に合わせて変わっていく。これが潮の満ち引きだ。


 この潮の満ち引きは思わぬ大現象を引き起こすことがある。例として挙げるなら、アマゾン川のポロロッカだ。これは大潮によって海水面が上昇し、アマゾン川の河川を大逆流する現象だ。この大逆流は時速65㎞でアマゾン川をさかのぼり、海に面した河口から800㎞の内陸にまで達することがある。


 話を戻すが、月が一つでもこのような現象が起こるのである。質量が非常に小さいとはいえ、地球と月とはずっと近い位置に飛来した妹の月(シストレン・ムーン)はその重力により大規模な海面上昇を引き起こし、連鎖的に発生した津波によって沿岸地域に壊滅的な被害をもたらした。


 更に地球の大気にも乱れが生じ、大規模な気候変動や未曽有の台風が海面上昇によって被害を受けた各国に追い打ちをかけた。


 日本近海の海面は30m上昇し、東京の半分、房総半島の一部は海に沈んだ。東京は機能を失い、首都の機能は海のない県である長野県に移された。


 このような未曽有の大災害を経験した各国の復興には約半世紀を要した。直接的な災害だけでなく、資源の不足によって勃発した戦争も理由の一つだ。ロシア連邦は主要な港湾部を失った中国の領土を切り取ろうとしたし、中国もそれに強固に抵抗した。アメリカ合衆国は正義感を発揮してそれらの戦争に介入を行い、ロシア連邦・中国にほど近い日本に対しても助力や派兵を求めた。


 そして、その渦中の中で特殊な能力を使う人々と、奇妙な感染症が現れ始めたのである。感染症といっても、なんら人体に有害な作用を及ぼすわけではなかった。ただ、魔力あるいは魔素と呼ばれる特殊な干渉力を持つ、物質の濃度が体液中において一定の濃度を超えると、その人は言わば超能力のようなものを使えるようになったのである。火器もなく物を燃やしたり、液体を自在に操ったり、風を起こしたりというような……。


 更に、この魔力は人から人へと感染し、その分布を広げていくことが明らかとなったのである。これが先程感染症と述べた理由だ。そして、このことは特殊な能力を使える人間が増加していくことを意味している。


 これが戦争や犯罪に利用されたらどうなるだろうか……?


 事態を重く見た政府は、災害による直接的な死傷や人の流出によって人口が激減していた四国へと魔力に感染した者の隔離を決定し、更にその特殊能力……『魔術』と呼ばれる力を適切に使えるように四国各地に13の学院を設立した。


 これが『魔術学院』である。体液中の魔力が閾値に達し魔術の素養があると判断された人間は、この学院に入学して一定期間魔術を制御する方法を学ぶことが定められていた。そして、佳一郎という青年はその素養があるだろうと判断され、人工島への移送および魔術学院への入学を余儀なくされていたのであった。そして……人工島へと移送されたものが本土へと送還された例は無い。つまりは、本土へは二度と戻れないということであった。







 佳一郎は、列車がとうに対岸の陸地へと到達し、列車が減速し始めていることに気が付いた。いつの間にか、四国山脈と呼ばれていた霊峰は自らの後方へと過ぎ去っていた。それまで淀みなくその長躯を走らせていた列車は、甲高い鳴き声を上げて制動を行おうとする。


 列車は旧高知県の、香美市と呼ばれる地域の山沿いに位置する駅に停車していた。現在の人工島には

大災害時に崩落してしまった瀬戸中央大橋に代わり、『はばの大橋』と呼ばれる海峡を渡るための橋と、四国山脈を貫通して人工島を直線的に縦断する路線が整備されていた


 座席に座っていた佳一郎の体が、慣性によって列車の前方へと引っ張られ……そしてまた元の位置へと戻った。そして、彼の対面、前方を見て左にある扉が、列車のこれまでの長旅の疲れをため息とともに吐き出すような音と共に開く。ここで降りなければならない。


 駅のホームは、むっとした空気でけだるい歓待を行った。駅内を見渡した限り他に人は、いない。


 この人工島と本土を繋ぐ列車は海峡を越えて感染者を移送する専用のものであり、日常的に利用されることは無い。


 閑散としたホームもその為である。遠くには町の灯りが見えているが、離れているためその喧噪もここまでは届かない。虫の音すら聞こえない広々とした駅舎は耳が痛くなるほどに静かだ。


 佳一郎は列車を離れ、改札口へと向かう階段を探した。その必要頻度の少なさからか駅舎はそう大きいものではない。本土の大阪府に存在する駅のように、迷って駅から出られなくなるなどということは当然なく改札へとたどり着いた。


 改札は本土のものとは違い、少々ものものしかった。居室に駅員がいるのは本土と同じだが、一般的にみられるような自動改札機は無く、代わりに空港のゲートで見られるようなボディスキャナーと鋼鉄のバーの連なりによって封鎖されていた。


 佳一郎が改札へ近づくと、不意に女性のものと思われる声をかけられた。


「こんばんわ。本日付で到着予定の、不破佳一郎さんですか?」


 見れば、駅員と思われる女性が居室の奥から事務的な笑顔を投げかけている。


「はい、そうです」


「長旅、大変お疲れさまでした。通行を許可する為に必要ですので、予めお渡ししいてる人工島移送通告書と本人確認用の証明書を見せていただけますか?」


 佳一郎は素直に応じた。財布からカードと、それと同じ大きさの紙片を取り出して手渡す。前者は本人確認用、後者は通知書であった。彼女は手渡された二つのカードに目を通すと、窓口においてあったプラスチックの受け皿にそれらを置いてこちらへと滑らせた。


「はい、確認ができました。こちらお返しいたします」


 ここで、佳一郎はあることに気が付いた。整った顔立ちもそうだが、先程からこの女性は一度も瞬きをしていない。この女性はどうやらミメースドであるようだった。佳一郎は女性型のミメースドが身近にいたために見慣れていたが、ミメースドは本土では数が少なく彼女以外に見たのはこれが2体目だった。


「それでは、そちらのゲートをお通りの上、バーを回してお進みください」


 彼女が右方を手で示す。佳一郎はカードを受け取ると改札の奥へと向かった。まずは前に設置されているスキャナーに近づく。これは火器などをはじめとする違法物が持ち込まれないようにするためのものであるらしかった。


 少しばかりの緊張を覚えながら通り抜けるが、スキャナーは寛容な沈黙を返す。佳一郎自身違法になるようなものを持ち込んだ覚えはないため、これは当然のことであった。


 「よい人工島での生活を」と後方からかかる言葉に軽い会釈をし、更に歩みを進める。その奥に存在する鋼鉄のバーは、押せばさしたる抵抗もなく回転し、佳一郎を改札の向こう側へと通す。


 やっと、というほど時間はかかっていないが改札を抜けた。精神的な閉塞感から解放され、軽く首や肩を回す。


 と、ポケットが振動した。情報端末を取り出してみれば、20時20分と表示されたその下にメッセージがある。兄からのそれは『20時30分に到着するヨ♡』とふざけた文面で書かれていた。


兄が到着するまで10分ほどの時間がある。佳一郎はそれまでベンチで座って休むことにした。


 近くにあったベンチへと腰を下ろし、再び情報端末を起動する。もう二度と戻れないという感傷を感じ、気まぐれに過去の写真でも見返してみるかと思い立ったのだ。


 兄と義姉が映っている写真、本土にいる家族で撮った写真、実家で飼っている犬……ふいにその手が止まる。


 画面には佳一郎自身ともう一人、シニカルな笑みを浮かべた少女が映っていた。脱色したような髪の一部には赤くメッシュが入っており、表情とも相まって退廃的な雰囲気を醸し出している。


(これでも出会ったときはもう少し面白い子だったんだが……)


 そこまで考えて首を振る。いや、彼女は自分のところから居なくなったし、どうせ二度と会う機会もないのだ。


 そんな自暴的な思考は、右足から伝わる感触によって中断された。


(なんだ……何かが巻き付いている?)


 見れば、これまで佳一郎が見たこともない生物がいた。


 ぬらぬらと駅の電灯を反射する青白い皮膚に、袋状の胴体。目は見当たらなく、奇数本……見たところ7本の腕が佳一郎の右足に巻き付いている。20㎝ほどの、目のない頭足類のような生物がすり寄っていた。


「なんだこいつは!!」


 佳一郎は左足で払いのけようとする。だが、それは思わぬ機敏さを発した。蹴りだされた左足をかわしながら走って獲物を捕まえるクモのような俊敏さで腿、腹、そして胸へと這い登ってくる。


 不意に視界が真っ暗になった。顔面に張り付かれているのだ! 


 口や鼻がふさがってしまっているのか、非常な息苦しさを感じる。


「むっ……ぐ……!」


 佳一郎はそのグロテスクな頭足類の腕を手探りでつかみ、引きはがそうとした。しかし巻き付く力は非常に強く、歯が立たない。


 やがて佳一郎は、ぐったりとベンチにその体を横たえた。


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