蠢動
人工島(:旧四国)の何処かにあるその部屋は、真っ白だった。広大な立方体のかたちで、一辺が100mほどもあるだろうか。天井では空調が部屋全体に陽圧をかけており、埃一つも許さないとばかりに清掃された部屋のその壁には数え切れないほどの同じく白い棚と引き出しがあった。
その前を全身を覆う白いスウェットに身を包んだ何人かの女性が巡回している。
部屋に屹立する棚は余人が見れば眩暈を起こすかのような単調さで並んでいるが、彼女らの足取りに迷いは無い。更に、スウェットから覗く顔立ちや体躯、歩き方まで彼女たちはよく似通っていた。それもその筈、彼女らは人工的に合成された生体脳、人工筋肉、人工骨格からなるミメースドと呼ばれる生体アンドロイドだった。
その中の一人が棚の引き出しを開ける。棚は無音で開いた。扁平な棚の中は温度が低いとみえ、白い蒸気が溢れた。蒸気が収まれば、扁平な棚の底面になかばそれ自身を埋めるように並んでいるものが明らかとなった。
その中に並んでいたのは、楕円形の物体だった。無色透明で、全長は6㎝程だろうか、ニワトリの卵程度の大きさである。そして、その透明な卵は内部に頭足類のような胚を内包していた。腕は7本だが頭足類に一般的な吸盤は無く、体は青白い体皮で覆われている。腕の間には円形の口があった。
この見る人によってはグロテスクとも感じる生物は透明な卵の中で身じろぎ一つせず、さながら無色の琥珀に閉じ込められた太古の昆虫のようにも見える。これは、頭足類のような胚を酸素や養分を通すガラス質の物体で固めたものであった。
ミメースドの一人が右手に持つ30㎝程もある大型のピンセットで、そのうちの一個を摘まみあげる。中の胚は身じろぎをしなかったが、その胴体のわずかに透けて見える臓器や筋肉は蠕動運動によってひくひくと蠢いていた。
「変態の兆候あり」
ミメースドは嫌悪感を見せずに、近いうちにこの胚の形態が著しく変化するというようなことを呟いて今度は左手に持っていた箱を開けた。箱の中はやはり低温であり、引き出しと同じように固められた胚を収める楕円のくぼみが空いている。彼女はそこへ摘まんでいた胚を収め、蓋を閉じた。
そののち、彼女は無機質な動作で立ち上がった。一瞬の停滞もなく、次の棚へ向かおうとする。
だが、突如彼女は、いや部屋全体が真っ赤に染まった。見れば、天井近くに張り付いていた警告灯が赤い光とジリジリという叫声を吐き出している。
「幼体が脱走。幼体が脱走。バイオハザードプロトコルへ移行」
ミメースドよりも更に無機質な音声が異常事態を告げる。
室内は突如として発された緊急事態の警告に、先程の早回しのように巡回の速度を上げた。
もし異常が起こっているのがここであるとしたら、外へ通じる全ての扉・通気口の封鎖を行わなければならない。
その時、壁の一面が色彩を宿した。どうやら壁面には液晶が仕込まれており、ディスプレイとして機能するようになっていたらしい。無彩色の沈黙を捨て去った壁面は、一人の女性を映し出していた。彼女にはミメースドのような無機質さがなく、その美しさは際立っていた。
室内のミメースドらを纏めていると思われる一人が尋ねる。
「クモイ様、いったいこれは?」
クモイと呼ばれる女性が答える。先程まで室内をにぎやかしていた警告灯は
いつの間にか停止していた。
「実験体 205603EMが脱走したわ」
ミメースドのリーダーは間髪入れずに返した。
「施設の封鎖および実行部隊の出動はありますか」
クモイは否定する。
「ないわね。せっかく変態直前までいった個体ですもの。狭い実験室に閉じ込めておくのは人道的ではないわ」
人間の研究者が聞けば仰天するようなことを彼女は言った。
「ただ、トレースはさせるわ。実験体 205603EMに先天的な飛行能力は持たせていないし、プールのネットワークもあるから追跡はそう難しいことじゃない」
「それに、彼女が開放系の環境で受ける影響も見てみたいのよ。どんな子になるか、楽しみだわ」
クモイは待ちきれないというような笑みを浮かべた。
その頃、誰もいない白い廊下をとある小動物が移動していた。先程ミメースドが回収していた胚と形態は似通っているが、それらよりも二回りほど大きく、20㎝近くもあった。
7本の腕は力強く動き、袋状の胴体を持ち上げての歩行を可能にしている。目は見当たらないが、視覚以外の感覚が発達しているようで通路に設置されている監視カメラや通話用のモニタに取り付いては腕で探っている。
先程の混乱の原因となった、実験体 205603EMである。それは、彼女(実験体 205603EMに限らずこのいびつな頭足類のような生物は全て雌性である)の知覚する全てのものに興味を持つかのように不規則に移動していた。
と、空気の流れを感じたのか通路上部の通気口に近づく。この通気口は外に通じているが、当然のように入り口には格子がかけられており、虫ですら通り抜けるのは困難であった。
しかし、彼女はまるで通気口の格子が立体映像さもなくばだまし絵であるかのように、なんの抵抗もなく体を滑り込ませた。そのまま触腕がたてるかすかな音だけを残して、管の暗闇の中へと消えていった。
稚拙極まりない…ですが、頑張っていきたいと思います。