6 湖底の煌めき
9歳の夏。ジョナは、ラスコフの農場にある別宅に来ていた。小学校のイワンのラスコフ一家、ミラのロギノフ一家の誘いに応じての訪問なのだが、過保護なのか、母親がわりのナスターシャまでが来ていた。
別宅の客間は湖畔に面していて、湖の向こう側に聳える太平洋高原へと続く裾野が見える。着いたそうそう、ジョナはイワンやミラとともに水着で湖へ飛んでいった。初夏となったこの時期、ジョナたちはそれが楽しみだった。まだ昼前のこともあり、彼らは遊びに夢中だった。特にジョナは......だが、ジョナを夢中にさせたのは、夏の昼前であったことだけではなかった。少し前に彼が見た湖底の煌めき。その記憶がなぜか彼を湖底へと駆り立てていた。
南西に向いた客間の窓にも、子供たちの歓声が届いていた。そこからナスターシャが心配そうに子供たちを見ていた。
「おーい、戻って来い」
「日光がもう陰るぞ」
「そろそろ帰って来なさい。冷えて来たわよ」
ゲオルギーと奥さんが湖畔の岸で子供たちを呼んでいる声も聞こえてきた。まもなく日差しが無くなると急激に外気温が冷えてくるはずだった。イワンとミラはまだはしゃいでいるが、その近くにジョナの姿が見えない。それが大人たちを慌てさせた。
「子供たち!」
「イワン」
「ミラ」
「ゲオルギー。ジョナが見えない」
「どこだ」
「ジョナを、彼を探して!。ボートを出してちょうだい」
ジョナは、湖底に向かって潜っていった。前に見たことのあるオベリスクが描かれた鎌の柄。夏の日光が湖底に届く今の時刻だからこそ、再び確かめることが出来るはずだった。
「もう少し、もう少しだ」
以前に見たとおり、ちょうど湖底にはきらめきがみえていた。
「あの煌めきだ。今日こそ確かめてやる」
ジョナはきらめきを目標にさらに下へ潜っていった。彼を誘うように再び声が聞こえた。
「そう、そう。そのさきに......」
湖底では、届いた日光に沈殿した泥が照らされていた。そのふわふわした一角に鎌のような金具が突き刺さっていた。その鎌には、煌めくオベリスクが描かれた柄があり、その鎌だけが湖底の泥から露出して光を放っていた。
泥をゆっくりと払いのけてみると、その下にはカプセルが埋まっていた。長さ5メートル、幅1.8メートルほどの乗り物のようであり、表面がアラベスク模様で彩られていた。ジョナはバスやトラックしかしか知らないのだが、バスを二回りほど小さくして、押しつぶしたような涙滴型の乗り物のようだった。
鎌の刺さっているところは、二つの座席の前にあるコンソールがそのままカプセルの表面に連なった部分だった。座席を覆う透明なフードがあることから、その側に刺さった鎌はまるでそのフードを開けるためのカギのように見えた。
「光っていたのはこれだったのか? これって何だろう? さっきの誘う声はこれから聞こえてきたのかな?」
ジョナはその鎌を引き抜くことはできた。だが、息が続かないため、そこから取り出せたのはその小さな鎌だけだった。その形状は、まさに草を刈る鎌のような形状なのだが、道具として使うにはとても小さく、いわばアクセサリーのような金属具だった。あとで気付いたことなのだが、その柄には水晶玉が嵌め込まれていた。その水晶玉は地球の姿を模した水晶玉であり、小さな表面にカムチャッカの谷筋やアリューシャンの谷筋をはじめ、地球上の様々な地形が非常に細かく描かれており、その上を明るく輝いて見える線が描かれていた。
湖岸では大人たちが慌て騒いでいた。だが、ジョナは、そんな大人たちの慌てぶりをよそに、ジョナは水面に顔を見せたままボーとしていた。それを見たミラが声をかけた。
「もう戻って来いって」
イワンもジョナに呼びかけた。そうして三人は岸に戻ったのだが、そこでは、大人たちがすっかりボートを湖面に出していた。彼らは、三人が湖岸にあがったことにも気づいていなかった。
「お父さん、ジョナを連れて帰って来たよ」
イワンとミラは、そう両親に呼びかけて注意を促した。それに続いてジョナもナスターシャに呼びかけた。
「お母さん、戻ってきたよ。これでいいんでしょ」
やはりナスターシャはかなり怒っていた。だが、ナスターシャ本人もなぜそれほど怒っているのか、わかっていなかった。
「なぜ、すぐに戻ってこなかったの?」
彼女の剣幕につられて、ゲオルギーたちも自分の子供たちをなじっていた。
「日差しがもうないじゃないか!」
「気温が既に低くなっているのよ!」
大人たちのいつにない剣幕に、子供たちは戸惑った。だがそのあとの態度の取り方は、対照的だった。
「ごめんなさい」
イワンとミラは謝ったのだが、なぜかジョナはうなずくだけで無言のままだった。ナスターシャは、彼のその態度が気に入らなかった。
客間に戻り二人だけになってから、ナスターシャは小言を繰り返した。
「あなた、なぜすぐに戻ってこなかったの?」
ナスターシャの語気はいつになく冷たさがこもっていた。ジョナはそれを感じたわけではないのだが、答えは機械的だった。
「聞こえなかったのです」
「それでは、岸であなたたちのために船を出そうと動いていたのを、見なかったのですか」
「見えませんでした」
ジョナは母親の言葉にいちいち反発しているわけではなかった。今の彼は、拾い上げた金具や水晶玉が気になって、返事がおろそかだった。そのおろそかな返事を聞いてナスターシャは、ジョナが反抗的な態度を示しているように思え、思わず大声を出していた。
「あなたのその態度を見過ごすことはできませんよ」
「お母さん......」
ジョナは今までそんな母親の態度を見たことがなかった。ナスターシャはジョナの呼びかけに無言によって答えた。ジョナは今まで見たことのない母親の態度に驚き戸惑い、さらに黙り込んでしまった。ナスターシャはジョナの戸惑いを無視するかのように、彼の持ち込んだ水晶玉をもぎ取った。
「なんなの? こんな水晶玉に夢中になっていたわけなのね。こんなくだらないものに夢中になって。情けない」
彼女は、息子の手から水晶球を衝動的に奪い、窓の外へ投げ捨ててしまった。
「なんでだよ。なぜそれを捨てるんだよ」
ジョナはそういうと、外へ飛び出していった。
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レビは、ナナが一目見たというジョナと彼の手にした石の話を聞き、ジョナの近辺を探り始めていた。彼の調べたジョナの周辺では、政治局員ナスターシャが目立っていた。彼自身がアダク調査団で彼女と一緒であり、その冷静な人となりはわかっていた。また、彼女はジョナの育ての親であり、小学校での噂では教育熱心であることも分かっていた。だが、彼にわかっていなかったことがあった。母親である彼女と子供であるジョナとの間に、どんな人間関係があるのかだった。それを探りに、ナスターシャたちの休暇の間、彼らを観察し続けていたのだった。
その観察のために、この夜、彼はラスコフ家別宅の周辺に潜んでいた。彼の目の前に落ちてきたのが、先ほどの水晶玉だった。
「なんだ、親子喧嘩か? 息子は冷静なのに、母親はいきり立っているな。いや、いきり立っているというより、子供に不信感を持ち始めているのか? あの母親は、いやあいつは、今また、事態が見えないらしい。私の策もまだまだ有効に働いているな。いや、この時まででもうよいだろう」
その夜、 湖に少しばかりの波紋が生じ、水面から音もなく浮かび上がるものがあった。月の光が煌めくと、銀色の機体が全身を現した。
そのきらめきに敏感に反応したものがいた。それは、ラスコフ家の別宅から外を見ていたナスターシャだった。