31 天裂地羅(ティアテラ)の出発
「みよ、我々の守り神、コントラクター微鬼の偉大な姿を! そしてひれ伏せ、従え」
追い詰めたはずのジョナたちは、巨大な不動明王のような姿を前にして、身じろぎもできなかった。その彼らの上に、ちょうどナナの頭上に微妲己と微王受の巨剣が振り下ろされようとした時だった。ジョナの持つ鎌の柄に記されたオベリスクが一瞬光り、振り下ろされた巨剣がはじき返されていた。
「お、お前たち、何をした」
微鬼は再び、三度、四たび剣を振り下ろした。その度ごとに二本の剣はオベリスクのきらめきに弾かれた。
「お前たち、それで守られていると思っているのか」
ビルシャナはジョナたちを睨みつけて虚空へ腕を掲げ、怨念のような呪詛を繰り返し始めた。
「その邪気、退けむ 五星変転、壇よりいでよ、わが眷属たち」
その声とともに、天空は百鬼の密集球体で満たされた。さらにビルシャナの呪詛はつづけられた。
「金鬼は水鬼を映し、水鬼は木鬼をもたらし、木鬼は火鬼を燃やし、火鬼は土鬼を再生せし、土鬼は金鬼を産む。五星の百鬼、夜行せよ」
その声とともに、百鬼が一斉にジョナたちを囲み、四方八方を夜行し始めた。さらに呪詛は続いた。
「オン、マリシエン、ソワカ。東の鬼門、西の鬼門、南の鬼門、北の鬼門、全う。サン、ウン、タラク きりくわく」
この言葉が繰りかえされると、密集した百鬼が飽和攻撃のようにジョナたちを襲い始めた。ジョナは叫ぶことなく、声もなかった。だが、彼の声ではない声が響き、依然聞いたことのある詠唱が流れた。
「詠唱のはじめ。対象は剣の方、即ち霊剣操。......霊は精神なり。霊剣とは陰陽未分の剣にして渾渾沌沌たる所の一気なり......」
すると、ジョナの持つ鎌の柄にあったアラベスク模様が光り、それがナナが首に下げるアカバガーネットが粒子を発して渦動結界を発生させ、それにジョナの首に下げたアヴァチャイトガーネットが粒子を発した。それがいにしえの霊剣操の共鳴によって強大な合成力場を生ぜしめ、二本の倶利伽羅剣を微鬼たちから奪い、近くの百鬼を切り飛ばし始めていた。これに対してビルシャナの呪詛は続き、二つに両断されたはずの百鬼がそのまま二体の百鬼となり、さらに四体八体と数を増して繰り返し襲ってきた。百鬼は両断されるごとに際限なく増えていくと思われた。だが、二本の倶利伽羅剣はさらに高速に飛翔し切り裂いていった。百鬼は数を増やしていくのだが、切り裂かれて小さくなっていく速度は、その増殖速度以上となった。百鬼に関わらず、一般の粒子は細かくなると拡大する速度が間に合わなくなり霧散する。それと同じように、全ての百鬼が霧散して消え去っていた。
「お前たち、その技は煬帝国の国術、霊剣操ではないか。それを使うお前たちは何者だ」
「それは今は関係ないだろう。お前たちは今滅ぼし尽くされるのだ」
「いや、煬帝国の末裔ならば、俺たちの仲間のはずなのに......」
「僕たちがお前たちの仲間だと......そう、僕たちはどこから来たのかは知らない。だが、僕たちの仲間ならば、こんなことをするはずがない。この啓典の民たちを利用し尽くし、殺し尽くすことなど、許されまいぞ」
いったん止まっていた呪詛の声。だが、再び呪詛が続いた。その次に起きたのは、捕縛されたままの詛読巫の民たちの詛読の共鳴だった。その共鳴が校庭の上空には再びなまめかしく揺らめく煙のようなものを多数立ち上り、それが校舎の尖塔と会堂の上でまとまりつつ上昇していた。
それが呼び寄せたのは、羅刹だった。ジョナは間髪入れずに羅刹の体に倶利伽羅剣を突き刺そうとしたのだが、逆にその剣を羅刹の手につかまれてしまった。
「それではふたたびの詠唱にして、この度は刀の方、空刀と真刀の言葉......霊刀操......霊は精神なり。霊刀とは空真未分の刀にして渾渾沌沌たる所の唯一気也......」
すると、ジョナの持つ鎌の柄にあったアラベスク模様が再び光り、それがナナが首に下げるアカバガーネットから一つの巨大な鎌のような刃を出現させた。
「これは真刀なり」
続いて、ジョナの首に下げたアヴァチャイトガーネットが粒子を発した。それがジョナの手に何かを握らせた。
「これは空刀なり」
ジョナには感覚で悟っていた。確かに手には大きな二つの鎌の刃が握られていた。見える方は巨大な真刀であり、見えない方は言わば巨大な空刀というべきだろう
ジョナは羅刹の体を両断した。すると、百鬼と同様に羅刹が二体、四体へと増えていった。それが大軍団を為した時、両断の動きにつかれたジョナは片で息をしながらつぶやいた。
「刃を手に持ったままでは、どうしようもないぞ。なれば.......剣を打ち直して鎌とせむ」
そういうと、ジョナは刀を鎌のように変形させ、刃を横にして薙ぎ払い始め、その刃はあっけなく全ての羅刹を横に薙ぎ払つた。
こうして微鬼の前の全てが打ち払われた。ジョナは疲れ切って膝をついた。その一瞬をついて、微鬼はアンヘルを握って空へと舞い上がろうとしていた。
「娘を放せ」
端部にいたナサナエルが大声を出し、アンヘルをつかんでいる微鬼めがけて突っ込んでいった。だが、微鬼たちに人間が一人で挑むのは無謀だった。途端に彼らが取り返していた倶利伽羅剣がナサナエルの肩を貫いていた。
「お父さん!」
アンヘルの悲鳴が響き、それに気づいたジョナが上空を睨んだ時だった。
「Cross Arabesque!」
ジョナの口から祈りに似たその言葉がこぼれた。それと同時に、微鬼を貫く光の大きな涙滴があった。微鬼は、つかんでいたアンヘルを手放し、苦しみ始め、そのまま逃げ出していった。
「アンヘル!」
地上に投げ出されたアンヘルは身動きをしなかった。そのアンヘルを抱き上げることだけが、ジョナにできることだった。
「アンヘル!」
その横に血を流しながらも族長のナサナエルがよろよろと座り込んだ。それを助けるようにナナやイワンたちが駆け寄った。
「お、父さん......生きていたのね……」
「ああ、肩にけがをしただけだ」
アンヘルは安心したように脱力し、急にせき込み血を吐いた。
「ジョナ、ゴホゴホ」
「しゃべらないで、アンヘル」
「ジョナ、あ、い、し、てるわ」
「わかっているから」
アンヘルは目をつぶり、脱力した。
「アンヘル!」
父親のナサナエルの声が、谷全体を揺るがすように大きく響いた。
動かなくなったアンヘルを抱えたジョナの後ろに、微鬼を貫いた光の涙滴が着陸した。以前、北の湖の湖底に沈んでいた涙滴型の乗り物Cross Arabesqueだった。同時に、レビもまたジョナの背後に降り立っていた。
「レビ、僕の大切なアンヘルが動かないんだ。返事をしてくれないんだ」
ジョナがそう訴えると、ジョナの横に座っていたナナもレビを訴えるような目で見つめた。
「レビ......」
「ナナ、私は先ほどここから逃げ出した微鬼たちを粉砕したばかりだ。もう少し、優しく使役してもいいのではないかね......さて、ジョナは私にジョナの恋人を救えというのか。再び命を取り戻せというのかね」
ナナは懇願をするようにしてつづけた。
「できるなら......」
「人が天へ召される時は、啓典の父のみが知ること。私ごときの及ばぬことだ......」
「でも、以前あんたはアンヘルの命を救ってくれたよ」
「そう、あの時は私の祈りが聞かれた。だが、『ジョナがこのままでは同じ事態を招く』という警告があった。そして、ジョナは変わらなかった」
レビの指摘に、ジョナは反発するように口を開いた。
「僕のどこがいけないというんだ。こんな争いが嫌だから、誰も傷つけたくないから、僕は逃げていたのに。僕は追い詰められた時にしか反抗しないようにしていたんだ。それが僕の平和主義だ」
ジョナの叫びにレビは静かに指摘した。
「平和主義か・・・・・・自分が逃げ出すだけのことじゃないか。目の前に起きようとする事態を直視しないんだね。そして、自分さえよければ兄弟や愛する人たちさえも見殺しにしてしまう。それがあんたの平和主義だよ」」
「ああ、目の前のことがこの世の中を悪化させることだってことは、百も承知だよ。それがどうしたんだよ。それが悪いことなのかよ」
ジョナの叫びは悲痛だった。だが、レビは容赦がなかった。
「気が付いた悪化を見過ごすことに正義があるのか! 正義あっての平和ではないのか? 神の愛あっての正義ではないのか? 気が付いた悪を糺さないのか? 預言しないのか お前とナナは証人のはずだ」
レビの指摘に、ジョナとナナは何かを思い出していた。
「僕が証人なのか? 預言をしろと?」
ジョナとナナは同時に叫んだ。だが、二人の表情はまるで違っていた。ナナは何かを確信したように目に決意を帯びていた。
「やっぱり、僕はそのためにここに来ていたんだ。ジョナとともに進むために」
だが、ジョナは目を伏せたまま、つぶやいていた。
「ぼくはいやだ」
ジョナはそういうと、アンヘルを抱きかかえたまま黙り込んだ。その横で、彼らの会話を聞いていたナサナエルが口を開いた。
「多くの犠牲者が出た。私の娘も死んでしまった。しかし、私は族長だ。やるべきことがある。多くの犠牲者の家族たちを慰めなければならない。そのように、人にはそれぞれやるべきことがあるんだ。そして、私が泣くとしたら、それはそのすべてが終わった後だ」
そういうナサナエルの涙の顔を、ジョナの涙の目が見上げた。
「アンヘルは死んでなんかない」
「父親の私が認めるんだよ。すでに彼女は冷たくなり始めている。君は十分に娘を愛してくれた。献身してくれた。天に召された娘は気っと感謝している。そして君を愛したんだ。だから、娘の愛したジョナよ、立ち直ってくれ」
「アンヘルは死んでいない。僕は認めない! 僕は認めない!」
ジョナはゆっくりとアンヘルの亡骸を抱き上げ、光の矢に見えたCross Arabesqueの助手席に乗せ、自分も乗り込んでしまった。それを見たレビは気が付いたように、透明なスキンスーツをジョナに投げた。
「ここから出て行くのか。せいぜいこの世界の外の荒野で、さまよってみるんだな。......こうなったら、このスキンスーツを持っていけ。お前にはまだに倍ほど大きいがそのうち使うようになるだろう。......それから、ナナのアカバガーネットも持っていけ。アカバガーネットもアバチャイトガーネットもネックチョーカーにしてやるから、常時身につけておけ。」
そう言われたジョナは、二つのガーネットをはめ込まれたネックチョーカーを受け取ると、
コックピットを閉めて飛び立っていった。
「いってしまったな」
レビがそう言うと、ナナはため息をつくように言った。
「私ももう少し彼を待ってみるわ」
そこに、イワンとミラが来た。
「僕たち、二人で旅に出ようと思います。理想の地を求めたいのです」
「そうね。元気でいてね」
これらのあいさつののち、族長のナサナエルは祈りを捧げていた。
「私たちは、厳しさを失っていました。これからは、愛の業に励みつつ糺すべきことは糺す姿勢を持ちたいと思います。それが、あなた方が私たちに教えてくれたことですから。これだけでも、ジョナ、彼がここに来た価値がありました。彼は十分に私たちを助けてくれたと思います。だから、彼を責めないでほしい」
ナナもレビもそう言われては、無言のまま返すしかなかった。
「この千年紀はもう滅びの時代なんですね。そして我々は気づいた者だけが生き残るのだと思います。それを、ジョナとナナ、あなた方が気付かせてくれたんです。あなた方は証人だったんですね」
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ジョナはスキンスーツを身に着け、息絶えたアンヘルを抱きかかえ、cross arabesque を飛ばし続けていた。太平洋高原を南に飛ばし続けていた。彼はまだアンヘルの名を呼び続けていた。
ふと地上に降り立った時、その目の前に現れたのが、ベラだった。
「お前、よくも僕の目の前に立つことが出来るな」
「そうよ。私は一度滅びた人間だ。そう、私はお前に滅ぼされた詛読巫の王だ」
「お前が黒幕だったのか」
「お前が滅びの道に行くように導いてやろう」
「なんだと」
「そう、お前の最愛の娘を生き返らせてやろう」
そう言って彼が消えた時、ジョナの横にはアンヘルが笑顔を見せていた。




