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30 忌むべき儀式

 会堂付属中高等学校では各学年の最後の試験が終わり、本格的な夏を迎えようとしていた。ジョナたちの学年でも最終学年への進級が危ない学生たちが、夏の補習のために、天裂地羅(ティアテラ)(teer terra)から西へ十キロほど離れたところにある湖畔の宿舎に集められていた。彼らが苦しみから解放された夕刻の頃、ジョナたちも進級前の記念として、その湖畔とは反対側の湖畔で水泳とキャンプを楽しんでいた。


「もうすぐ最終学年になるね」

 ミラの感嘆の声にイワンも答えた

「来年度は僕たちも15歳になるなんて、ね。」

「それで卒業だね」

「もう、こんなに経つんだなあ」

 ミラとイワンのやり取りに、ジョナが相槌を打った。

「僕たちは、いろいろな所でいろいろなことを学んできた。そして、ここでも卒業までに履修するべき科目はもう完了しているよね」

「そうさ。でも、まだまだ学校生活を楽しみたいでしょ?」

 ナナもそう言うと、ミラがジョナの顔を覗き込んで問いかけて来た。

「ジョナは、アンヘル先生から離れたくないんでしょ?」

「そ、そんなことはない」

 ジョナの否定は無駄だった。イワンにはもちろん、ミラやナナにもジョナの恋心は明らかだった。

「赤くなっている。今更恋心を隠したって見え見えだよ」

「年上の女性、教師と生徒の禁断の恋。キャー」

 イワンとミラは幼馴染ということもあって、ジョナに容赦のないジョークを浴びせていた。

「ほんと、やめてくれよ」

「そうだ、そんなことはやめてくれ」

 後ろから急に声がかかった。それはアンヘル先生の父親で校長のナサナエルだった。

「たとえ、卒業が確実でも、たとえ卒業しても、アンヘルと会うことは許さんからな」

 校長は、キャンプ地にいなかったはずなのだが。予想しなかった突然の太い恐怖の声に、さすがのジョナも反論することはおろか、声を出すことも、うなづくこともできなかった。


「お前たち、補習の宿舎にいなかったな」

「ぼ、僕たちは免除されています」

 イワンたちまでが恐ろしさに震えながら、反論を試みていた。だが、太い声はまくしたてるように続いた。

「免除? なぜだね? それは非常に問題だ」

「それはジョナがトップで、ほかの三人も優秀な成績だったからよ」

 ナサナエルの問いかけに、いないはずの女性の声が答え、今度はナサナエルが狼狽しながら後ろをふりかえった。

「アンヘル! なぜここに居るんだ?」

「私は付き添いよ」

「補習はどうなっているのだ? 誰がやっているんだ?」」

「補習? それは昨日までのこと。補習組も、もうすぐここに合流するわ」

「俺は知らされていないぞ」

「ええ、知らせないように手配していたのに......。それでもここになぜ来られたの?」

「おお、それは......調査していたからだ」

「何を?」

「怪しい人物の行動を統べて見張っていたのだ。このジョナを、な」

「校長が生徒を見張っていた。しかも最優秀な生徒を?」

「そんなことは知らん、こいつは危険なんだ。お前のことを狙っている。それが証拠に、ここにジョナがいるではないか」

「いい加減にして! そんなことだろうと思って知らせていなかったのに! もう、ここから出て行って!」

「そんなあ」

「あっち行って!」


 そんな口論の途中だったのだが、彼らは彼らのところから見える校舎の尖塔を見て、言葉を失った。

「なぜ今頃?」

 ナサナエルはそういうと、アンヘルを連れて学校へ急いで戻っていった。その戻る先の校舎の上空には、ジョナたちが一度見たことのある光景が見えた。空中に浮かび上がったコントラクター微鬼の二体の姿だった。


 微鬼の二体 微妲己と微王受は互いにうなづきながら、眼下の学園を見下ろしていた。

「この広大な校庭が良い。ちょうどよい会堂の祭壇もある。今まで押し込まれていたあの狭い建物の中では、満足に儀式をすることが出来なかった。それもこれも、ここの住民たちが我々の神々を受け入れないからだ。さあ、今こそ、ここの住民たちに我々の神々の強さを示そうぞ。会堂の祭壇を打ち壊し、われらの祭壇を設けよ。この時を待っていたぞ。いざ、ここで再びの儀式を行おうぞ」


 ジョナたちは、校長たちに続いて急いで学園へ戻ろうとした教師たちとともに、学園を見下ろせる丘に行き着いた。そこから見下ろす校庭には、ヤップに避難してきていた詛読巫の民たちが、めいめいに持ち込んだマットを広げていた。その校庭工程から見上げる尖塔の上空と、会堂の祭壇の上空とには、二体の微鬼たちが浮遊していた。

 そして、学園を見下ろす丘には、ジョナたちとともに、ヤップの村人たちがその光景を息を殺して見つめていた。このとき、ジョナは、微鬼の二体と詛読巫の民たちが、この時を狙っていたのだということを悟った。

「まさか、なぜ今頃学校の校庭ではじめたのだろうか。そうか、無人になったこの時を狙っていたんだな。会堂にも隣接しているから、神聖域を覆しつつ、爛れた儀式をするつもりなんだろうな。許せない奴ら...」

 だが、ジョナは、ビルシャナに怒りを覚えた時、同時に彼らを受け入れたナサナエルの態度を思い出していた。

「そうか、ここは族長のおひざ元だ。僕が何かを示唆しても、ここヤップの人々はまた言うんだろうな。『ここは、天裂地羅ティアテラ)(teer terra) 。愛と忍耐を旨として啓典の主を崇める民です。私たちは彼らを受け入れるのです』。そういって大目に見るんだろうが......。そうか.......これは僕の関知しないことだ」

 ジョナはそういうと、一人でさっさと自分の宿舎に帰宅してしまった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 ジョナが帰り着いた宿舎から見た夕闇の校舎の尖塔と屋上には、あの忌まわしい光景がさらに広がりつつあった。校庭の上空にはなまめかしく揺らめく煙のようなものが多数立ち上り、それが校舎の尖塔と会堂の上でまとまりつつ上昇していた。その校舎の尖塔と会堂の上空を、コントラクターと呼ばれる微妲己と微王受が旋回しつつ、煙をからめとるようにして吸収していた。おそらく尖塔と会堂にはあの忌むべき祭壇が設けられ、その周囲の校庭にマットが敷き詰められており、そのうえで詛読巫からの避難民たちが不特定の者たち同士で絡み合って快感に酔いしれているのだろう。それが証拠に、共鳴した快感のうちに捧げられた祈りが煙のように立ち上り、魑魅魍魎たち、つまり微妲己と微王受を狂喜させているのだった。

 だが、それだけでは終わりそうもなかった。拡声器によるものだろうか、大声が夜空にこだましていた。

「今こそ、コントラクター微鬼様たちがここにおわしますぞ。さあ、我々は力を得たのだ。我々を妨げる存在などない。恐れることはない。さあ、この村々の我慢ならない住民たちをなぶりものにしてやろう。彼らが苦しむ姿でも、我々は快感を感じるであろう。さあ、全てのヤップの村人たちを連れてこよう。我々が彼らをことごとく知ってやろう」

 その声の調子は、イワンたちにも聞き覚えのあるものだった。彼はビルシャナに違いなかった。


 学校の校庭では、すでに快感の汗にまみれた民たちが、乱雑になったマットから校庭の外へ駆けだし、周囲から次々にヤップの村人たちを捕らえて戻って来ていた。祭壇の最前列には、生贄なのだろうか、若い女性が水着のまま縛り上げられていた。


 祭壇の上にいる娘がアンヘルであることに気づいたナナたちは、宿舎にいるジョナのところに駆け込んだ。

「アンヘル先生が捕らえられているよ」

 驚いたジョナは、ナナたちとともに学校に駆け込んだ。そこではビルシャナが司式を進めており、数人の詛読巫の民たちがアンヘルをもてあそび、彼女の悲鳴が響いていた。ジョナは怒りのままに祭礼が行われている中に殺到した。

「ビルシャナ、アンヘル先生を放せ」

「ジョナじゃないか。何をしに来た? 関与しないはずではなかったか?」

「もう一度言う、アンヘル先生を放せ」

「そうはいかない」

 ビルシャナはそういい、上空に合図をした。それによって、コントラクターの二体がジョナを金縛りにし、ナナたちも祭礼の場にいた民たちによって取り押さえられてしまった。

「ジョナ、念のためにお前がここに来ることも予想はしていたよ。今から、この女によって、コントラクターがさらに強大な力を得る。そして私たちも力が与えられるのだ。黙ってみているがいい」

 アンヘルの悲鳴が何回も繰り返され、その度ごとにコントラクターの二体は出現させている体を大きくしていた。ジョナもまた叫ぶのだが、無力に響くだけだった。そして現れたのが魑魅魍魎集団だった。


「下がれ、サタン」

 その時、太い声が校庭中に響いた。

「われらを、私の娘を......許さぬ」

 校庭の端から、族長のナサナエルがそう叫び声を上げた。自らを縛り上げていた縄をほどき、会堂にあった剣を振り上げて祭壇のビルシャナめがけて走り出していた。その声に微鬼たちは驚いたのか、ジョナたちは一瞬自由になった。

伍裳羅ゴモラ(Gomorrah)の王ビルシャナよ。我々はお前たちを許し受け入れたのに、お前たちは我々を攻撃するのか。私の娘を愚弄するのか。なぜこのようなことが出来るのだ」

 ナサナエルの問いかけに、ビルシャナは嘲笑するように答えた。

「お前たちは我々を許して受け入れた? そうであるならば、我々の神々を受け入れよ」

「啓典の主の教えによって、愛と忍耐を旨としてお前たちを受け入れたのに......」

「油断したな。哀れな族長よ」

 その声とともに、ビルシャナは再び上空に合図をした。それによってナサナエルは縄ではなくオーラのような煙により拘束された。だが、その煙の縄へジョナの刃が伸び、四散させていた。それを合図に、コントラクターたちの足元には魑魅魍魎の大軍が出現した。

 その不気味なオーラが合図となったのか、ジョナの手許にあるオベリスクの光とともに、再び詠唱の声が響いた。それがジョナの手に再び刃を与え、ジョナは怒りに任せて襲い来る魑魅魍魎たちとの乱戦を始めた。ナサナエルやイワンたち、そして村人たちも思い思いの武器を手に校内になだれ込んでいった。

 ジョナとナサナエルは、魑魅魍魎をことごとく消し去った。またイワンたちや村人たちも、校内に至詛読巫の民たちを捕縛していた。こうして、祭壇にいたビルシャナは追い詰められていた。

「ビルシャナ、もう、お前たちは終わりだ。もう一度言う、アンヘル先生を放せ」

「この神聖な祭礼を邪魔する気か。微鬼よ、倶利伽羅剣を構えよ」

 ビルシャナが上空へ叫んだ。すると、二体の微鬼が巨大化し、大きな剣を構えた。

「みよ、我々の守り神、コントラクター微鬼の偉大な姿を! そしてひれ伏せ、従え」

 追い詰めたはずのジョナたちは、巨大な不動明王のような姿を前にして、身じろぎもできなかった。

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