27 ヤップの族長の村 天裂地羅(ティアテラ)
明け方となった。5人が下る峠道からも、狭いヤップの谷が一望できた。
「この谷にはいくつかの部落が点在しています。マリアナを追い出された漢人、東瀛人、そしてフィリピン谷からここへ来た人たちが、仲良く暮らしているのです」
ヤップ谷の気候はマリアナの谷に比べてやや湿度の高いこと以外、あまり違いはなかった。それでも詛読巫のような大都会は見当たらず、いくつかの部落があるだけであった。アンヘルが指さす先には、峠道から並行して流れる川があり、その川沿いに、いくつもの部落が点在していた。峠から数えて三つ目の天裂地羅(tear terra) という部落に、アンヘルの実家があるということだった。
峠を降りていくほどに、針葉樹林帯から熱帯樹林となった。こうして、川伝いに進んでいくと、河出は魚を得ることが出来、また豊富な果樹を得ることが出来た。
「私の部落はもうすぐです」
こうして到着した天裂地羅(tear terra) の集落は、小さな小屋が密集し、その中央にはこじんまりとはしながらも、沙流土の大聖堂に似た建物が建てられていた。ジョナの持つオベリスクと似た模様が壁いっぱいに描かれ、その中にはやはり沙流土の大聖堂を小さくした祈りのための会堂が備えられていた。
「ああ、啓典の主よ。私は再びこの地に帰ってくることを許されました」
アンヘルがひざまづいて祈りを捧げ始めた。その横でアンヘルのその姿を見た時、ジョナは自らをなぜか恥じ入っていた。会堂に入り込んだとたんに、ジョナはかつて感じたことのある臨在、すなわち釘打たれ血を流すほどの苦しみにあえぎつつも愛のまなざしを投げかける姿が、目の前に現れていた。そして、『あなた達は私が示す地に行きなさい。あなた達の行く手に立ちはだかるものはないであろう。私は、モーセとともに居たようにあなたとともにいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ』という言葉が、その臨在の下に与えられたことを思い出していた。
「僕はここにふさわしくない。災いだ。ふさわしくない僕が、この地に立ち入っている」
ジョナはその言葉を思わず口に出し、地に自らを投げ出していた。アンヘルがそれを見て思わずジョナに抱きついていた。二人はその時祭壇から祝福を受けたように感じていた。
「ジョナ、あなたはなぜそんな悲しいことを言うの? 私はあなたによってここまで帰ってこられたのに」
ジョナは思わずアンヘルの方を振り返ってアンヘルを抱きしめた。アンヘルはそれにこたえるように言葉を続けていた。二人は長くその余韻の中に泳いでいた。
「あなたは私の命。私のかけがえのない男性。」
「アンヘル。君こそ僕の命、僕は君を守り続ける。僕の最愛の......え?」
その時、アンヘルの背中の後ろ、ジョナが顔を向けている方向の先、会堂入口から光が差し込んだ。その光が作る人影たちの中に、壮年の男らしい影が見えた。祝福のために誰かが来たのかな、と思ったジョナだったが、なにか別のことを感じたジョナは言葉が途中で止まり、アンヘルを抱いていた両手が思わず泳いだ。だが、アンヘルはまだ言葉を続けていた。
「ジョナ、年下の可愛いジョナ。私の最愛の恋人。私の身も心も全て捧げ尽くすわ」
その言葉に壮年の男の影が、怒りで肩を震わせたように見えた。
「私のすべて。私の...」
「アンヘル、ちょっと、まって」
「あの、ジョナ、会堂の入り口に誰かいるの?」
ジョナは戸惑ったように言葉がでてこなかった。
「何人かの村の人と.......僕を睨みつけている壮年の男性.......」
壮年の男はまだジョナたちを睨みつけていた。ジョナは得体のしれない感覚を感じて入り口の男めがけて声をかけた。
「この会堂の司祭様ですか。僕と彼女の未来を祝福してください。今、僕たちはここで互いの愛を誓おうとしているのです」
ジョナがそう言うと、壮年の男性は引きつった笑顔を見せていた。
「俺は村々を束ねる族長だ。お前たち二人を祝しろ、だと? お前たちの祝福はできんな。ほお、互いの愛......だと? そんなことが許されると思うなよ。」
「お父様、まって!」
「へ? お父様?」
「そうだ、俺はアンヘルの父、ナサナエル・ラモス・ガルシアだ。アンヘルと抱き合っているあんたは誰だ」
ジョナは彼をかばってくれているアンヘルと、ジョナを睨み続けているナサナエルとを見比べて、うろたえ始めた。それを見たナサナエルは畳みかけるようにしてジョナを詰問し始めた。
「あんたはうちの娘とどういう関係なんだね?」
「お父さん、なんでここに来ているの?」
アンヘルはナサナエルの前にジョナをかばうように立ちはだかった。ナサナエルは娘アンヘルの機嫌を取るように冗談めかして答えた。
「お前が帰ってくるのを感じたからさ」
「うそ、気持ち悪い!」
アンヘルの鋭い返答にナサナエルはきまり悪そうに言い直した。
「本当は......暇だったから、この近くに来ていたんだよ......」
「へえ、迎えに来てくれたんじゃないのね。やっぱりいい加減な父だわ」
「そ、そんなことはない。断じて......」
「へ、どうだかね!」
そうアンヘルに返されたナサナエルは、しょぼくれながら、さらに質問することを忘れていなかった。
「ところで、アンヘルと抱き合っていたあんたは、誰なんだい?」
「ぼ、僕はアンヘルさんの友達です。マリアナの谷でアンヘルさんに助けてもらっていたものです」
「ほお、友達? 助けてもらっていた? 抱き合っていたよな?」
アンヘルが慌てて繕うように言った。
「彼はジョナという三歳年下の男の子よ。私を助け出してくれたのよ」
「ジョナという名前なのかね。それでアンヘルが助け出された? どんな風に?」
「手を引いて......」
「手を引いて? さっきは抱き合っていたねえ。年齢が三歳差の友達なのかい?」
「ええ。友達です」
ジョナはそう答えたのだが、アンヘルの返事は違っていた。
「いいえ、私のボーイフレンドよ」
その一瞬でナサナエルの顔が凍り付いた。
「ボーイフレンドだと? このガキがか? ほお、それで手を握り、抱き合っていたのか それなら生かして返すわけにはいかないな」
「お父さん!」
「アンヘルと抱き合っていいのは、俺だけだ」
その途端、アンヘルはナサナエルの頭に近くにあった雑巾を投げていた。
「お父さん、いい加減にして。あっちいって」
「アンヘル。なんで俺を捨てるんだ?」
アンヘルは、ナサナエルを横目で睨みながらジョナの手を引いて会堂の外へ出て行った。
その外では、イワンやナナ、ミラを歓迎する村人たちが集まっていた。
「ようこそ、天裂地羅(tear terra) の部落へ」
「天裂地羅(tear terra) ......アンヘルの村」
「そう」
ジョナとアンヘルはそう言い合うと、村人たちの輪の中へと入っていった。




