25 詛読巫(Sodom)からヤップへの脱出
「さあ、この祭壇下の通路を抜けて逃げよう」
ジョナはほかの三人の先頭を走り、通路の中に逃げ込んだ。
「ここはどこなの?」
「控室へ行くのか?」
ミラは不安に駆られ、ナナもジョナを不安そうに見つめた。ジョナは冷静さを失っていた。
「とにかく神殿から逃げ出さないと......」
「落ち着けよ。まず、服を手に入れないと......この下着だけの格好では・・・・・・その...問題が多くて.......」
イワンは浮足立つ3人をたしなめつつ、目の前の友人たちの格好に目が行ってしまう問題を指摘した。その声が終わる前にナナは悲鳴を上げ、ミラがイワンに詰め寄った。イワンはその二人からの攻撃を避けつつ、目をそらし続けていた。そんな三人をよそに、ようやく落ち着きを取り戻したジョナは考え込んでいた。
「そうか、またこのあたりの人間たちと同じ服装をすれば、彼らの中に埋没できるんだ......これで逃げられる」
ジョナは改めて気付いたかのように指摘した。そして、逃げ込んだ通路に面した部屋をひとつづつ覗き込み始めた。
「ここは、神殿娼たちの控室だね。不在の部屋は鍵が掛かっている。さて、どこかに在室の部屋がないかな」
ジョナは鍵のかかった空室には目もくれず入り込もうとはしなかった。そのうちに、人の気配が感じられた控室を見出して、後に続く三人に合図した。ミラが不安そうにジョナに問いかけた。
「ここは在室なのでしょ?」
「入っていったら発見されてしまうのに、わざわざ在宅の部屋に?」
「そう、ここには人がいる。他の部屋はは入れないよ。でも、ここにいる人達は、おそらくあの儀式がさらに進行して利用される神殿娼のはずだ」
ジョナはそういうと、その部屋のドアをノックしようとした。ミラが慌てて止めようとした。
「このまま、外へ逃げましょう。今なら、儀式に市民たちが総出で出て来ていたいたはずです。今なら、外は無人に近い。下着のままは恥ずかしいけれど、僕とミラが我慢すればいいんでしょ? 見られても恥ずかしくても我慢するから」
「いや、僕たちも恥ずかしい恰好のままで君たちに見られ続けるのは問題がある」
ジョナはそう指摘した。それと同時にナナの姿を見て言葉をつづけた。
「特に、ナナは・・・・・・下着の下まで......」
「そんなことない! 僕のはちゃんと隠れているもの!」
「いや、それが目につくと、その.......下のあれを思い出してしまうんだ」
「え? 何を? まさか!」
ナナはひどく赤面すると自ら慌ててノックした。そして、ジョナを睨んで言葉をつづけた。
「あの時、壁の隙間から僕のを全部見ていたんじゃないか! 今まで黙っていたなんて......ムッツリ!」
ジョナが凍り付くのを横目に睨みつつ、ナナは応答のあったドアの中へと入っていった。
「室内に入ることをお許しください」
室内にいたのは、アンヘルだった。ジョナが一か月のあいだ絡み合いの練習を何とか耐えてこれたのは、アンヘルに色々と相談して克服してきたからだった。驚くジョナにアンヘルは無邪気に問いかけた。
「あ、ジョナじゃないの。なぜここへ?」
「あの、私たち、あの儀式から逃げ出してきたんです」
ナナが答えた。それを聞いたアンヘルは驚いた顔をした。
「儀式から逃げ出してきたの? 先程大きな音が聞こえたけど。何があったの? 貴方達は祭壇の上で行われているはずの儀式から脱出してきたの? それではもしや若い巫覡様たちというのは、あなた方だったの?」
驚くアンヘルにナナが応答した。
「そうです。あなたがここに控えているということは、あの儀式の後に、別の儀式が予定されているんですか?」
「そうです。私は、詛読術高等専門学校を卒業したばかりなんだけど、祭司様からのご指名があって儀式に参加させられるの」
「祭司...それってベラ・ニクラウスという名前の.......」
「そうよ。あなた方もご指名だったの?」
「そうかもしれない」
「私は特別に選ばれた巫女らしいわ。儀式の中央で一番映える姿をしているからって......」
確かに、アンヘルは十五歳で高等専門学校を卒業した中で、一番スタイルがよかった。
「でも、儀式に参加するのですか」
「ええ、儀式に参加すれば、多額のお金が入ると言われたのよ」
「参加しないほうがいい」
ナナとアンヘルとのやり取りに宮にジョナが口を出した。
「でも」
ためらうアンヘルに、ジョナはつづけた。
「あの儀式はいけない」
「そうなの?」
ジョナはアンヘルの姿を一瞥して、目を伏せた。アンヘルはジョナを眺めながらナナに問いかけた。
「ところでなぜこの部屋へ?」
アンヘルはそう問いかけると、ナナが答えた。
「そう、それで......服を分けてもらいたいと思いまして.......」
「それならば、お入りなさい。服はありますよ」
アンヘルはそういうと、奥へ引っ込んだ。4人は彼女に続いて部屋の中に入り込んだ。
その娘と、ミラ、ナナ、そしてイワンが、互いの身の上話をはじめていた。その話をまとめると、部屋の中の女はフィリピンからさらわれてきた者だった。名をとアンヘル・サントス・ガルシアと言った。その娘はミラやナナより3歳ほど年上の15歳だということも分かった。こうしてしばらく話をしていた時だった。突然、ジョナの首に下げた鎌に記されたアラベスクが光った。
「あなたもここを脱出したほうがいい」
ジョナは今まで会話に加わっていなかった。それがいきなり脱出しろと言い出したように見えた。周囲の人間は驚いてジョナに叫んだ。
「なぜですか」
「どうして?」
ジョナは普段とは異なるトレモロのような声で問題を端的に指摘した。
「この詛読巫の罪はあまりにひどい。天に滅ぼされる」
「え? 罪? それって......」
「そうだ、みんなわかっているだろう、あの儀式の内容だ」
ジョナの指摘に、在室の娘、そして3人までが口を閉じた。そのうちに、ナナが反論し始めた。
「でも、ここには、アンヘルのようにかわいそうな人たちが残っているわよ。この街に、そんなかわいそうな人が100人いたら、どうするの? 彼らも詛読巫(Sodom)とともに滅ぼされるの?」
ナナの指摘にジョナは戸惑った。だがすぐに気を取り直して答えた。
「い、いや、そんなことならば詛読巫(Sodom)は滅ぼされることはないだろう」
「かわいそうな人がいれば、詛読巫は滅ぼされないのね......じゃあ、10人だったら?」
「いや、滅ぼされることはない。でも......アンヘル、貴女は僕たちと一緒にこの街を出た方がいい。それも急いで......」
だが、アンヘルは笑いながら首を横に振った。
「まさか。この都市が強固な産業基盤を持ち、食物が豊かで、何不自由ない都市であることは、みなさんも知っているでしょ? 私もそのことにあこがれてここに住んでいるんです」
こう言って、アンヘルは脱出に躊躇していた。だが、ジョナを含めた彼らが脱出できる機会は、都市の住人たちが儀式から戻っていないこの時しかなかった。
「アンヘル、あなたはどうするつもりなのか。この街のあの儀式の存在を許すのか、それとも拒むのか」
「私はこの街のこの暮らしを捨てられないわ。もちろん、心の正しさは保つつもりよ」
「私が言っているのは、あなたの心のありようです。あなたの心の中であの儀式の存在を許しているのかどうかなのです」
「許してなどいません。だから......」
「この街の豊かさと言いましたね。この街の豊かさは特殊です。ある意味あの儀式に現れた貪欲、不特定の相手と体を絡み合わせて快感におぼれることで彼らの神々と一体化するという教え、それによってもたらされるというご利益、そんな貪欲さによって得てきた御利益がこの豊かさをもたらしているのですよ。あの儀式、そしてこの豊かさに、彼らの際限のない貪欲さが含まれているのですよ!」
ジョナはそういうと、イワンやナナ、ミラたちを促し、アンヘルの手を取って家の外の暗闇に無理やり引き出した。
「まってください」
「この街の住民で、あの儀式に反対する人はあなただけだ。そして、この街は間もなく滅ぼされるに違いない」
ジョナの剣幕に、アンヘルは顔を引きつらせて黙った。イワンとミラもジョナに質問をぶつけた。
「なぜ、そんなことが分かるんだ?」
「あまりに独断専行じゃないのか?」
「僕が語ったんじゃない。このアラベスクの声が響いたんだ。それに、窓から外の、北の空を見てごらん。僕たちの滞在した当たりの神殿跡の上空に、あの巨大なトカゲが降り立っている。あのトカゲが現れたということは、彼が何かを仕掛けてくる前触れだ」
ナナは北の空を見て、ジョナの言ったことに短く同意した。
「そうだね、急いだほうがいい」
「どこへ逃げたらよいか?」
イワンはジョナとナナの顔を見ながら質問した。ジョナは北の空を眺めて応えた。
「南へ?」
「今僕たちは南へ走っているんだよ!」
皆確かに南へ走っていた。ジョナはアンヘルの手を取り、イワンはミラの手を取って走っていた。
「南へ?」
「どうするつもり」
ナナはそうジョナに問いかけた。ジョナは思い出したように答えた。
「大教室での講師が言っていたじゃないか! ヤップの谷に追放された者たちがいると」
「ヤップの谷?」
アンヘルが答えた。
「ヤップへの道なら知っていますよ」
「そうなの?」
「はい、たしか、このまま、南から西への回廊があるはずです」
アンヘルと子供たちは進んでいった。
皆は、ジョナの鎌のオベリスクから放たれる光を頼りに、谷筋の険しくなっていく道を登っていった。だが、そこには鬼門があった。
「あれはなに?」
「前にここを通った時にはなかったのに!」
アンヘルは戸惑っていた。
「あれは関門だよね」
「あそこを通るの?」
イワン、ミラ、ジョナばかりでなく、年上のアンヘルまでが、目の前の鬼門の存在にうろたえていた。それを横目に、ナナが指摘をした。
「クラスメイトの話では、詛読巫を守る4つの鬼門があるといっていた。北門が破壊されたのは、偶然ではないらしいよ。その鬼門を守る神殿が破壊されていたから、僕たちは詛読巫に来れたらしいんだ」
「じゃあ、此処も鬼門だったら破壊すればいいのかしら」
ミラがそう言うと、ジョナが心細そうにつぶやいた。
「でも、僕たちには破壊できない」
「それじゃ、突破するのが難しいんじゃないの?」
ミラの指摘にアンヘルは皆の顔を不安そうに見つめた。その様子を見たナナは考えながら話をつづけた。
「鬼門ていうけど、北の鬼門では鬼門を呪詛か儀式かはわからないけど、詛術の力によって守る神殿があったわよね」
「そう、僕たちが修理した温泉施設は、近くの神殿で北の鬼門を守る祈祷を行うための、清めの熱泉だった」
ナナに促されたジョナは、同様に考察しながら相槌を打った。それに応じたナナはさらに分析を展開した。
「じゃあ、この鬼門では何があるの?」
「わからない。ただ、追放したヤップの谷の人々が入ってこられないように、何らかの呪詛的な工夫があるんだろうね」
「あのぬけあなは何かしら」
ミラが横の抜け穴のような出入り口を見つけた。その出入り口に足を踏み入れようとした時だった。力場が働き、ミラの体は勢いよくはじかれていた。
「抜け穴があっても抜けられないじゃないか」
倒れたミラをかばいながらイワンが大声を上げた。
「これはいったい....?」
「それならヤップから来た私が......」
アンヘルもまた大きくはじかれ、落胆の声を上げた。それを見つつ、ジョナがつぶやいた。
「これじゃあ、逃げられないじゃないか。あのトカゲから、詛読巫(Sodom)から。そんなのは我慢できない」
「じゃあどうすればいいのよ?」
ナナは、ジョナを追い込むようにそう返した。ジョナは追い込まれて初めて真価を発揮し始めた。
「僕たちが逃げるには…・ここを通らなければならない。でも、この門は僕たちを逃がすためのものではない。そう、ヤップに追放された人たちを二度と戻れなくするための鬼門なんだ。つまり、ヤップの人たちがなぜ追放されたかが、カギだ」
ジョナの指摘にナナが肯定の返事をした。
「講師の先生は、確か.......追放された人について、心と体を合わせることへの反対者という意味で説明していた、と思う。
「そうだね、あの儀式の絡み合いに答えがある......つまり、二人一緒に体を合わせながらこの穴を通過すればいいのかな」
そう指摘を聞いて、今度はジョナをアンヘルが助けながら二人一緒に体を合わせて穴に足を踏み入れた。
「ジョナ、いいかしら、儀式と同じ姿勢と振る舞いをするから、くすぐったく感じても我慢するのよ」
「そ、そうだね。しかし、この絡め方は......」
「し、しずかに!」
二人はそう言って互いを密着させながら足をゲートの内部に踏み込ませた時、その途端、二人は先ほどと同様に弾き飛ばされていた。
「二人だけで体を絡ませ合っても突破できないということか?」
「そんなあ」
「じゃあどうするのさ」
「あの儀式では、数人が一緒に絡み合っていた・……不特定多数がみんな絡み合っていた」
「三人か四人で互いに接触しあっていないと、ここは抜けられないんじゃないの」
「ヤップへ逃れた人たちが忌避したことって、このことじゃないの?」
「そんなの、いやだなあ」
5人は互いに密着させ互いの手足を絡ませ合いながら抜け穴を突破した。そのすべてが終わった後、イワンは言った。
「ひどい目に遭った......これじゃあ、ヤップの谷の人たちは、戻ろうとは思わないだろうね」




