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18 母と息子の別れ 分かたれた袂

 大人は誰もいないと思っていた政治局員の居室に、大人の女の声が響いた。母親の声だった。

ジョナは、暗がりの中に明るく浮かぶ神殿の祭儀で母親を一目発見できたと思ったのだが、そのあとに起きた龍たちの大軍と天の大軍との戦いのために、すっかり母親を見失っていた。右往左往していたところでやっと聞けた、再び安心できる母親の声だった。

「ここで何をしているの?」

 ジョナは、自分でも驚いたのだが、その声に反射的に喜びの声を上げていた。

「お母さんを待っていたんだ」

 ジョナの歓喜の声にも関わらず、ナスターシャの声は用心深かった。

「待っていた? あなたは逃げたんじゃないの?」

「友達を助けながら、逃げて来たよ。お母さんこそ、逃げたはずじゃなかったの?」

「私はこの建物にいたわよ」

 ナスターシャは、用心深く声を落として答えた。ジョナが何かを察していると、彼女は気づいたためだった。

「え、そんなはずはないよ。ぼくはお母さんの部屋がこのビルのどこかにあると思って、下の階から探しながら上ってきたんだ。最上階まで達したよ。そしてこの部屋に行き着いたんだ。でもお母さんはどこにもいなかったよね。逃げたのでなければ、どこにいたんだよ?」

 ナスターシャの用心深さに気づかないのか、ジョナは淡々と事実を指摘していた。何の思いも込められていない声の調子に、ナスターシャは余計に用心深くならざるをえなった。

「あなた、その質問は何のためにしているの?」

「お母さん、このビルの屋上に戻ってくるまで、何をしていたの?」

 ジョナは心の奥に沈めていた思いを掘り返すように、ゆっくりとした口調に落として、母親に向かって逆に質問を返していた。ナスターシャはしばらく考えてから、ジョナに返事をした。

「その質問が答えなの?」

「そうだよ。どう考えてもおかしいじゃないか。あの戦いの際に、お母さんはどこにいたの? ここにはいなかったよね。じゃあ、外にいたの? 屋上からこの部屋へ戻ってきたの? 屋上には誰もいなかったはずだよ じゃあ、どこからどうやって?」

 ジョナがなぜこのような質問をしてくるのか、ナスターシャには謎だった。彼女は最愛の息子のはずのジョナが敵となり、自分を追い詰めているように感じられた。それでも、慎重に言葉を選んでジョナに問いかけた。

「何を考えてそのように私を問い詰めているの? 何のために母親のわたしを追い詰めているの?」

「お母さん.......、お母さんは、本当は僕のために何か恐ろしいことをしているんじゃないの? ぼくから離れたのも、恐ろしい何かを見られないため......」

 ジョナが「僕のために」隠し事をしていると指摘したことに、ナスターシャの厳しい顔が緩み、彼女は微笑みながらジョナを見つめた。

「あなたはなにをみたのかしら?」

「僕は、ある者を見て、それからある者を見なかったのです。戦いのときにお母さんはこの摩天楼のどこにもいなかった。でもトカゲと龍の戦いが終わると、ここにお母さんが現れた......。精たちを呼びだす儀式でも、お母さんは途中まで居たけど、そのうちにお母さんは消えていた。そして、龍と呼び出された者たちが、この戦いの際中もずっとこの辺留賀茂を守っていた......。以前、僕は教えてもらったんだ。クートゥが龍によってずっと守られてきたこと。そして、この辺留賀茂も龍が時々飛来して守っていたことを。つまり、今と同じように、今までも龍がここを守ってきたんだ。そして、今、お母さんはここに来た.....そうすると窓の外に見えるあの軍勢が今この中を見つめている。さっきまで龍を見つめて整列していた彼らが、今はこの窓を通してお母さんを見つめて整列している......」

「そう、私はここに来ているのよ。あなたたちを守るために、ね。でも、なぜそのように思ったのかしら?」

「お母さんが僕をクートゥに残して去っていった後に、男の人のいろいろな持ち物が残されていたんだ。スキンスーツと空を飛ぶ乗り物......たぶん、それは僕を襲いに来た男の物......そして、僕の方へ行かせないためにその男を身をもって引き止めさえしていたんじゃないの? スキンスーツにお母さんがそれを体で抱えていた跡があった。それは、その男を力づくで引き留めていたんでしょ? お母さんは、本当はとても力が強い。まるで、人間じゃないみたいに....... それらを隠していたのも、僕を置いて行ってしまったのも、僕にその恐ろしい記憶を気付かせないため......」

 ジョナは確かに的確に事実を把握していたが、幸いにもその解釈はナスターシャにとって都合のいいものだった。

「そう、そう思ったのね? そうね、私はこの一帯とクートゥとを守ってきたわ。それで......あなたが気付いていたことを、他の誰にも言っていないかしら?」

「うん、それは言っていないよ」

「そう、わかったわ。それでいいのよ。こっちにいらっしゃい。あなたに教えておくことがあるわ」

 彼らはそう話し合い、周囲の子供たちがまだ寝ていることを確認しつつ、居室を出て行った。だが、ナナとミラは寝たふりをしてその小さな声のやり取りを聞いていたのだった。



 ナスターシャは摩天楼の屋上にジョナを連れ出した。

「この辺留加茂は、私にとってなじみの深いところなの」

 二人の立っている屋上は、谷底からそびえたつ摩天楼の頂上だった。それでも、谷の両側にそびえたつ漆黒の峰々は遥かに高く空へと立ち上がっていた。その上には人間にとって生存の難しい高原地帯が広がっているはずだった。空は闇のような峰々に隠され、ただ中央の星空だけが整列している魑魅魍魎たちの赤い光で満たされていた。それを見上げながら、ナスターシャはつづけた。

「ここは豊かな都市よ。彼らは、私が見守る中で、何もない谷底に生産基地も住む場所もしっかり作り上げてきたのよ。そうなるように彼らを私が守ってきたのよ」

 母ナスターシャが何を言おうとしているのか、ジョナにはまだわからなかった。彼女は、ジョナの戸惑う表情を一瞥して、まだ続けていた。

「あなたも、それを求めて来たんでしょ」

 彼女は、ジョナが食べることを求めていると思った。だが、ジョナはそれを否定した。

「僕は、食べ物があったからここに来たんじゃない。お母さんを追ってきたんだ。確かに僕はここまで来ることが出来た。そう、僕は運がいいのかもしれない。いや、お母さんがいないときも、何かに守られていたと感じるほど、ここまで無事に来ることが出来たんだ。確かに、僕は何を求めていいのかわからなかった。でも、こんなに守られている。そして、僕は食べ物を求めていたわけじゃない。これは、はっきりしているよ」

 息子がなにかに守られていたと感じたことは、彼女を不安にさせた。

「じゃあ、守られていたっていうの?」 

「そうだと思う。でも、守られていると感じたから、それを試したりはしないよ。やらなければならないと思ったから走ったんだ。いや、その時を振り返ると、やらなければならないと思わされていたんだね。そしてその間守られていたんだ」

「いつからなの?」

「それは僕が物心ついたときから......」

「あなたの幼い時から、という意味かしら。私と一緒にいた時も、あなたを世話をしてあげた時も、あなたを甘やかしていた時も、あなたの心にはそんなものがあったの? 誰に? だから友達を助けて走り回るという危ない橋を渡っていたのかしら?」

「それは、僕の頭の片隅にいつもあった言葉だよ」

「それはどんな言葉なの?」

「そう......あなたにそうしたのは、誰なの? 私はクートゥの皆を守ってきたし、この辺留賀茂も守ってきたの。そして、ここに来たあとのあなたも守っているつもりよ」

「お母さんは知っていたと思ったよ。だから、僕は言ったことがなかったかもしれない。....それは、『あなた達は私が示す地に行きなさい。あなた達の行く手に立ちはだかるものはないであろう。私は、モーセとともに居たようにあなたとともにいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ』という言葉なんだ。この言葉があったから、孤独を感じた時も、さまよった時も、お母さんが僕を置いていった時も」

 ナスターシャは、今までジョナが母を求め、そればかりでなく母親を崇める対象としてさえ求めていると思っていた。しかし、ジョナには別の崇める者が明らかに存在する様子だった。

「じゃあ、その『言葉』とやらがあなたを守り切るか、ここで試してみるかい?」

 そう言うと、ナスターシャは怒りを込めてジョナを睨みつけた。ジョナは彼女の怒りに戸惑い、ふとジョナの頼りにしてきた『ことば』に彼女がなぜ反対しているのかを考えた。

「僕はそんな試すようなことはしないよ」

「私があなたを守ってきたことを忘れたの?」

「いや、忘れていないさ」

「じゃあ、そんな言葉は捨ててしまいなさい。母親の私をその言葉の代わりに崇めなさいよ」

「崇める?」

 これらのやり取りから、ジョナは、ナスターシャの母親らしくない口調に違和感を感じた。彼は、ナスターシャがジョナに母親の愛でなく、何か別の支配の力を及ぼそうとしていると感じた。彼女が「守る」という意味も、まるで神々の守護のように響く。やはり、母は、本当の母親ではない。いやそれどころか、人間でさえない。


 ジョナは目をつぶり、恐る恐る母に向けて言葉を発した。

「お母さん、あなたは誰なんですか。もちろん、僕の本当のお母さんではないにも関わらず、僕のために様々なことをしてくれていたことは知っていました。でも、本当は人間ですらない。あなたは誰なんですか」

 驚くべきジョナの指摘にも、ナスターシャは動じなかった。ジョナの今までの態度から、何かを感じてたことは予測されていたことだった。だが、どこまで知っているのかを確認する必要があった。

「あなたは誰だと思ったの?」 

「先ほどまでこの地で戦いを展開した龍ではなかったのでは?」

「それで?」

「龍の貴女がなぜ僕を育て、守ってくれていたの?」

「それは、私があなたたち、つまり人間たちの守護者だからよ。あなたもその一人、大切な人間の一人だからよ。そして、あなたは特別な事情を持っていたのよ」

「特別な事情?」

「あなたは知る必要はないわ」

 そう言うと、ナスターシャは急に立ち上がってジョナを見下ろした。ジョナはそれに驚いて母親の目を見つめた。母親の目はジョナを見つめたまま目の周りから皮膚が赤黒い鱗に代わり、母親の体は摩天楼の屋上を離れ、いつの間にか宙に浮いていた。

「私は、あなたの言うとおり、単なる貴方の母親ではないのよ。貴方のクートゥを、そしてここやいくつかの都市を守ってきた龍よ......その私があなたをここまで守ってきたのよ。あなたをここまで導いてきたのよ」

 アルトの声には、さらに重層低音が重なり、ジョナに放つ声はさらに鋭くなった。

「そして、あなたは特別な事情から、私が選んだ私の子供なの。だから、あなたはその特別な理由があることだけわかっていればいいの。今は私の力を頼りにしなさい。そうすれば、この地は全てあなたの思い通りになるわ。あなたの探して求めているなにかも、この地のどこかにあるわ。探し出せるわよ」

 ジョナは目の前で変化した母親の姿に驚き、彼女の目を見つめながら、動けなかった。ただ、彼はさらに指摘しつづけた。

「確かに、おかあさんはぼくのそばでぼく見守ってきたんだね。そして、ここではお母さんが龍として守って来たんだね。でも、僕がこの地に来るまでの間、お母さんはどこにいたの。その間お母さんは僕を守ってくれていたなんて、思えない。僕は、クートゥでお母さんと別れた後ここに来るまでの導きは、さっきの言葉、生まれた時から一緒だった「私があなたと共にいる」という言葉だけだった。その言葉は、僕自身の未熟さを悟らせてくれたんだ。まだ何かが足らない。それなのに、あなたによって導かれてきたとは言えない。確かに、あなたはここで助けてくれた。でも、あなたの力を頼りにすることはできなかった......。僕は、本当はさっきの『ことば』で生きて来たんだ」

「そんな「目に見えない言葉」なんて、何の意味があるというのかしら」

「たぶんお母さんは、この言葉を聞いても、それは人間が弱い存在であることを証明するにすぎない言葉だと思うだろうね。僕自身が無力に見える言葉だから。いや、実際僕は無力だから、物心ついたときには既に心に刻まれていたこの言葉を、僕は頼りにしていたんだ」

「そう、それなら、私がここであなたをおしまいにしてあげるわ。あなたは私が育ててあげたんだから、私がおしまいにしてあげるよ」

 ナスターシャの怒りは、まるで衝動的な怒りで我を忘れた女のように般若の様相を見せ始めた。ジョナは睨まれたために体が動かなくなっていたが、次の瞬間般若の顔から龍に転じ始めたナスターシャの姿を見て、彼ははじかれたように摩天楼から逃げ去っていった。龍は、語り方を間違えてしまったことを悟り、動かなかった。

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