17 ボニンの谷の戦い(Fight in the Unmanned Circle ) 2
「友達を助けるんでしょ。急ぎましょ」
ナナはジョナの手を取り、街への道を急ぎ走り下った。その後ろでは、相対する怪物たちが、彼らの間の空気にプラズマを走らせながら徐々に近づき、戦端を開こうとしていた。プラズマは次第に集約され電撃となり始めた。それとともに、双方が相手に向けて砂の刃を放ち、または火炎弾を投げつけた。
その轟音を背に聞きながら、ジョナはナナの引っ張る方向へと走っていた。道は坂から階段となり、そして緩やかなスロープが続いた。その先には、中央広場があり、市庁舎の地下への入り口が待っていた。
轟音は谷あいの空を埋めるようになり、街の建物に反射して響いていた。それを聞きながら、今度はジョナはナナの手を引いて走りこんでいった。このままでは市庁舎の地上部分が全て、大軍勢同士の打ち合いに巻き込まれて破壊されてしまうと思われたからだった。
「ミラ、ミラ」
ジョナがそう叫びながら走りこむと、ミラとイワンが退避所となっている入り口から出て迎えてくれた。
「ジョナ、早くここへ」
彼らはジョナたちを中へ呼び込もうとした。
「ミラ、イワン、そしてみんな。ここにいると、再び戦いを始める奴らの巨体が落ちてきて、街のすべてが押しつぶされてしまう。今から、谷筋に沿って南へ逃れていかないと」
ジョナはそういうと、中に入らずに退避所にいる皆を立ち上がらせようとした。
「逃れる?」
中から出て来たベラはそういうと、ジョナの動きをとどめようとした。
「今、僕たちを守ってきた龍と僕の呼び出した味方の精たちが、敵と戦おうとしているんだぜ。僕が呼び出している味方の精たちは、今どんどん増えている最中なんだ」
この指摘は、ジョナを驚かせた。まさか、仲間の一人がこの戦いに当事者として参加しているなどとは思いたくなかった。
「でも、ここは危ないんだぞ」
「僕は、彼らを呼び出す権威をもっている。そして彼らの戦いを見守る必要がある。彼らは僕を守ってくれるはずだ。そして、僕の近くにいれば、みんなも守られるはずだ」
「君もこの戦いに参加しているのか」
ジョナは驚いて、ベラを見つめた。ベラは確信を持った目でジョナを見つめ返して応えた。
「参加している? 違う。僕はあの龍とともに戦いを導いているんだよ」
「あなた、戦いの導き手なの?」
横からナナが声を出した。突然の会話の傘下に、ジョナのみならずそこにいた皆が驚いてナナのほうを見つめた。
「あなたは覡の役目をしているんだね。いやこの辺りでは陰陽師と言ったほうがいいのかな」
「きみは、だれ? 確かに僕はその役割を持っているよ。だから、君もここにいれば安心だよ」
「あなたたちのもたらす平安? それが本当の平安だっていうのかい?。あなたたちの平安は、いわば寂静と言われるものじゃないの?」
「そうだよ」
「それは、人間をあきらめさせるものだよ。いまだにこんな思想が残っているなんて......。人間には本来自由闊達が与えられているのに......」
「誰がそれを与えているって? そんなものはこの世の理をわかっていない傲慢な自由だね」
ベラとナナの議論は、相手のもたらす平安が互いに間違っていると言いあう議論になっていた。それを遮るようにジョナは大声を上げた。
「やめてくれよ。今は安全な所に逃げるべき時だろうよ」
そう指摘をすると、ベラはジョナに向かって指摘した。
「ここにいれば安全だといったはずだよ」
これにナナが反論しつつ、ジョナの手をひっぱった。
「このまま、あなたはここにいるつもりなの? ここは神殿の近くだから破壊されるかもしれないよ。あなたがここに来たことで、ここであなたを見つけてしまった上空の彼は、あの龍と争わざるを得ないんだよ。そして、この戦いが始まった今は、あなたの周りのみんながここから逃げないと、危ないんだよ」
この言い合いの間に、ジョナたちの上空では、羅刹の大軍と天の大軍が互いを尻尾から食い尽くそうとする蛇のもつれのように渦を巻いており、赤黒い龍と山裾の白トカゲとが互いいまにもとびかかろうとする姿勢で相対していた。
「もうたくさんだ」
ジョナはまるで自棄になったようにして、空に向けて大声を上げた。
「ここでは止めてくれ。僕たちから離れてやればいいじゃないか」
不思議なことに、龍とトカゲ、そしてにらみ合う両軍はそこで動きが止まった。龍はジョナを見つめ、白トカゲもジョナを一瞥した。双方が動きを完全に止めた時、ジョナは言葉をつづけた。
「ここでは、やめてくれ」
この呼びかけに、驚いたことに両軍が答えていた。
「なぜだ? これはお前がこいつらを慕って追い続ける限り必然の戦いだぞ。お前はまだ悟っていないようだな。いや、悟ろうとしないのだろう。......お前が追ってきた龍たちが、ここで為していることが問題なのだ。お前が追い慕う者が龍であり、私はその龍とお前を追い続けてきた。そして、お前が追ってきた彼らと、彼らとお前を追ってきた私たちとの間では、互いの存在を認めることが出来ず、必然的にここで戦いが起きてしまうのだ。」
白トカゲはレビの口調で問いかけた。だが、ジョナは気づかないふりをした。
「僕は、戦いを起こそうと思ってここまで追ってきたわけじゃない。優しいお母さんを追っているだけだ。みんなを追ってきているだけだ。それなのに、それがいけないのかよ」
「それはお前が招いていることだ。お前はこの定めにあるんだ。逃げられまいぞ」
白トカゲの大声に、ジョナは絶望的な顔をした。
「僕は、それが嫌なんだ。僕を放っておいてくれよ」
ジョナの叫びは大声というより、叫びにならない、単なるかすれた小さな苦痛の声だった。それを聞いた龍は何も言わずにただジョナを睨むように見つめていた。他方、白トカゲはもう一度ジョナを一瞥した後、一切振り返らなかった。天の大軍はそれを合図に戦闘を再び開始しようとした、
「なんで聞いてくれないんだよ。わかったよ。僕がかかわる戦いなんだろ。僕はずっと言っているじゃないか、もう一度言うよ、戦いを止めてくれと言っているんだよ」
ジョナの声に、両軍は再び動きを止めた。だが、白トカゲはジョナに冷たく言い放った。
「お前には戦いをはじめ、終えることを選べない。それほどお前が偉いというのか。それは違うな......。確かに、お前は我々が目を留める存在だ。だが、いまだにお前は冷たくも熱くもない。ジョナよ。唾棄すべきはお前の姿勢、ただ逃げるだけの姿勢。今さえよければ、自分さえ良ければ良いというわがままな姿勢。それがお前の責められるべきところなのだろう。お前の母親もそう思っている筈だ」
その指摘に、トカゲの敵である龍までが頷くようなそぶりを見せた。その光景にジョナはショックを受けた。
「もう、誰も僕の味方じゃないんだね。わかっていたよ。それなら、責めるなら責めればいいだろう。だが、僕はそんなことを受け入れないから。この場所も、此処にいる者たちも、全て僕は認めない」
ジョナはそういうと、戦いが中断された中を、一人で去っていった。ジョナが立ち去ったことにより、白トカゲは龍たちに向かって対峙することを止めて引き揚げ始めた。相対していた龍たちも陣を解き、消えさってしまった。
残ったのは、ナナ、そしてベラ。ミラとイワン。彼らはしばらく立ち尽くしていた。
「僕は......ジョナを追うね」
ナナはそういうと、立ち去ったジョナを追って駆け去っていった。そしてミラとイワンもそのあとを追ったのだった。残されたベラは独り言を言いつつ、ゆっくりとそのあとを歩き始めた
「もうすでに戦いは始まっているんだ。みんながそれぞれ自分の立ち位置について白黒をはっきりさせなければならないことは、誰にもわかっていることだと思っていたんだが。ジョナはまた出鱈目なことを始めたね」
ジョナの向かったのは、避難していた地下構造の上に構築された市庁舎、彼らが避難していた地下以外は無人のはずの摩天楼だった。
「僕にどうしろというんだろう。僕はお母さんを探しにここまで来ただけなのに」
独り言を言いながら、ジョナは階段を上っていった。長い階段を上りつつ全ての階を探せば、そのどこかの階にはナスターシャの居室があるはずだった。母親の居室から見れば、町全体を見渡すことが出来るだろうし、遠くに避難した母親と彼女に同行する人々が見えるかもしれなかった。
11歳の子供が摩天楼の中を巡りつつ登りきるには、一日以上の時間を要した。彼は最上階でやっとナスターシャの居室を見つけると、そのリビングルームのソファの上で眠りに落ちていた。
しばらくたってから、ナナやミラ、イワンたちがジョナを追って摩天楼を登ってきた。イワンは、父親からナスターシャの居室の場所を聞いたことがあった。それを頼りに彼らはナスターシャの居室を付けると、ジョナを見出すことができた。安心し彼らは、やはりジョナのソファとその周囲で、疲れ切ったように眠りについてしまった。
次の夜、目が覚めたジョナは皆が眠りこけていることに気づいた。彼は、彼らを起こさないようにそっと起き上がり、街の様子と母の姿を探すために窓の外に広がる辺留賀茂の街を見下ろした。
窓の暗闇の下では存在していたはずのあるはずの神殿は消え去っていた。その代わりに黒い虚ろな空隙が生じており、明らかに地底の魑魅魍魎の世界から開いた門であることはわかった。しかも、いまだにいろいろな精たちが出現し続けていた。羅刹、鬼、阿修羅、百鬼夜行......様々な行状の異形たちは、飛び出した順に辺留賀茂の上空を満たしつつあった。それら魑魅魍魎を従えた龍が、ジョナが外を眺める摩天楼の上空に立っている姿が見えた。
ジョナは恐ろしくなって、イワンやナナたちが眠りこけるリビングルームに駆け込んで自分のねていたローブを頭からかぶった。そこに声をかけてきたのは、母ナスターシャだった
「ここで何をしているの?」