13 辺留加茂(Pergamo)の昇龍(Rising Dragon)
「夏なのに、ここは寒いね」
イワンが震えながらミラを意識しながら、声をかけた。
「ヤッケだけじゃここから先は無理よ」
辺留加茂の湖水で遊んで以来、イワンは幼馴染のミラを意識した。ミラもまんざらではない様子で、二人肩を並べて歩くことが多くなった。ここに登って風景を眺めているときも二人は肩を並べていた。
「うう、動いていないと寒いぜ」
「それなら、こうして二人でくっつけば......、ね」
ほかの少年たちは、休憩中も走り回っているためか、イワンとミラたち二人をかまうものはいなかった。
イワンとミラは、ジョナたちとともに先遣隊としてここまで来たのだが、やはり装備は不十分だった。
「何せ、雲の上だものね」
「雲ね。盆地は熱くなりやすいから、雲もないのね」
谷の底は盛夏だった。東側の崖を3000メートルは登ったのだが、それでも谷底の気温40度に比べて20度は低下していた。針葉樹林帯を越えてさらに上るには、それなりの準備が必要だ。子供たちはここまで来て、引き返さざるを得なかった。
次の日、子供たちは寒さ対策をした。大人たちは、10歳を超えた子供たちの訓練をただ見守るだけなのだが、酸素マスクやビバークカプセルなど必要な装備は貸し出してくれていた。そのうえで、彼らはもう一度上ってきた。だが、やはり2000メートルまで来るのには、一日を要した。さらに4000メートルを超えると気圧が減っていく。大人たちから教えられた知識では、8000メートルになると気圧は1000ミリヘクトパスカルほどに減少してしまうという。過去の人類であれば、その程度の圧力であれば呼吸は普通出来るということなのだが、気圧の高いところで生きてきた現在の人間にとっては、深呼吸をしなければならないほどの空気の薄さだった。
「ここまで来ると、空は青いばかり。雲の代わりに砂嵐が吹き荒れているだけなんだね」
夜になっても、高原を吹き荒れる寒風はおさまらなかった。
その夜、風の音に交じって、巨大な羽がはばたくような音が辺りに響いた。ジョナは気づいたのだが、ほかの子供たちは起きておらず、だれも気づいていないようにみえた。ジョナは一人でビバークカプセルから抜け出すと、真夜中の星ばかりの空を見上げ、先ほどの羽ばたきの音は何なのかを考えていた。
羽ばたきが聞こえたのは、谷の底の方からだった。正確には、ジョナが見たものは摩天楼の屋上から空を目指し飛びあがってきた赤黒い何かだった。そのうちに、その暗い影はぐんぐんと巨大になった。その姿は四つ足の獣に羽が生えた姿だった。「獣」、いや違う。それは「龍」と言うべき怪物だった。
なぜそのようなものが出てきたのだろうか。
「あれ、僕たちはいつも見ているんだ。龍だよ」
辺留加茂の少年ベラ・ニクラウスがいつの間にか隣に座って教えてくれた。
「そう、確かに龍だ」
現実に飛び回っている龍の大きさに圧倒されながら、ジョナはベラが教えてくれた単語を繰り返すことしかできなかった。
それに構わず、ベラは説明を加えてくれた。
「そう、あれは僕たちを守りに来てくれる龍、願いをかなえに来てくれる龍だよ。ずいぶん前からここに来てくれて、いつもああやって天に昇っては僕たちの周りを見回っているんだ」
「え、あれはいつから来ていたの?」
「僕たちが生まれる前かららしいよ。そのころはほんの時々来ていただけらしいんだけど、この半年ほどはもう毎日こうやって見回っているんだ」
半年前。と言うことは、ナスターシャたちクートゥ脱出のキャラバンがここに到達した頃だろうと推察された。
「あの龍が見回ってくれているの?」
「そう、僕もこんな近くで見るのは、初めてだけど......」
「守護の龍、天へ昇る守護の龍の姿ね......」
いつの間にか、ミラが来ていた。彼女は眠そうなイワンの手を引いて、星空を背に優雅に泳ぎ続ける龍を見に来ていたらしい。
「辺留加茂の人たちは守られているのね」
ミラはしみじみと言いながらイワンの腕に自分の腕を絡ませた。
「私のことは、あなたが守ってくれるのかしら?。たとえ黒い影が近づいても?」
早熟なミラはそう言いながら、イワンにミラ自身が見つめている空を見るように促した。その空の東から、黒い影が星空を消し始めていた。
高原の東の方から砂嵐が見えてきた。
「シムーン」
ジョナはその言葉を思い出したのだが どこの言葉なのだろうか。そんなことを考えながら砂嵐を眺めていたのだが、その砂嵐はこちらの方へと近づいてきた。いや、その砂嵐は、空へ登り弧を描いている龍にあきらかに近づいていた。
「ベラ、ミラ、イワン、みんな。急いでカプセルに戻ろう。このままだとあの砂嵐に吹きとばされてしまう」
イワンはミラを起こすのに手を貸したことが、戻るタイミングを遅らせた。すでに砂嵐は岩を叩き始めていた。
「いそごう。ミラ、君のカプセルは?」
「あれ、見当たらない。アンカーはあるのに、私のカプセルがない。ここにあったはずなのに」
彼女の指さしたところには、確かに彼女用のアンカーが残っていた。
「ミラ、危ないから僕のビバークカプセルに戻ろう。僕は岩の内側を選んで三重に固定されているから吹きとばされないと思う」
「でも、私と二人で? 入り切るの?」
「ダイジョブさ、僕は栄養失調で痩せているからね」
急いで透明なカプセルの中に身を横たえると、ミラがイワンの上に重なるようにして横たわった。透明なふたを閉めると同時に、外は砂のぶつかる轟音で満たされた。
二人がカプセルから外を見つめる、砂の舞うはるか頭上で、シムーンの本体が鋭い刃のような形状になった。それだけではなく、驚いたことに円弧を描いて飛びまわっていたはずの龍が、とぐろを巻きはじめた。とぐろがシムーンに近づくと、刃に見えた砂嵐はそのままとぐろへと打ち下ろされた。撃たれたとぐろはたちまちに形を崩して龍の姿となり、高原の岩場に激突した。怒り狂った龍はたちまちに上昇し砂の刃に食らいついた。だが、龍は再び砂の刃に叩きのめされ、地表に激突した。何回も何回も。
「守護の龍が、守り神の龍が.......このままではあの龍がやられてしまう」
ミラとイワンは外の光景に恐ろしさを感じながら、傷ついた龍を心配そうに見つめていた。
ジョナもビバークカプセルからその光景を見ていた。しかも彼が注目していたものはそれだけではなかった。ジョナは、砂嵐の刃を振り下ろす中心にスキンスーツの老人を見出した。そこには、見たことのある子どもの姿もあった。
「あれは?」
ジョナはイワンとミラが無線でジョナの声を聞いていることを忘れて、思わず声を上げた。彼らは明らかにレビとナナだった。声が伝わるはずもないのに、ナナもまたジョナに気づいていた。
「やっと見つけたわ。ジョナ」
頭の中に響くその声にレビも呼応しジョナを見つめた。だが、その隙を龍は見過ごさなかった。たちまちに龍の放った炎の玉は、レビとナナを吹き飛ばし、砂の刃は消えた。
「私たちの龍は強い」
ベラはそういうと、カプセルを抜け出して大声を上げた。ほかの子供たちも歓声を上げていた。ミラは外の歓声に目をやりながら、別のカプセルにいたジョナに質問をぶつけてきた。
「ジョナ、あなたは外の何を見ていたの? あんな砂嵐の中に? そこに誰かがいたの?」
「いや、よくわからない。誰かがいたような気がしたんだ。僕を見つめていたような気がして......」
ジョナはあいまいな答え方でごまかした。そうしなければいけないような気がしたからだが。
「ふうん、そうなのね」
ミラとイワンはカプセルの外へでていった。後に続くジョナも龍を見つめながら、この事態はどういうことなのだろうかと、考え続けた。