12 水晶玉の秘密
「これ、僕にくれる?」
ナナがそう言いながらレビを見た。
「それは、単なるおもちゃじゃないと思うが......」
「でも、この水晶玉は、僕がが触ると光るんだよ。僕のものだからでしょ?」
ナナが水晶玉に顔を近づけてみると、水晶玉は色彩豊かに光を発した。特に、赤い光にむかって蒼い光が次第に近づいていく動きは魅惑的だった。さらに、二つの赤と青の点が互いに近づくところから深い藍色の帯がうねり、その中に赤黒く光る点が揺らめいていた。ただ、やはり手許から水晶玉が少しでも離れてしまうと、それらは跡形もなく消えてしまう。それらの画像はレビから見ると単に赤い光と蒼い光が見えるだけで、それらの細かい動きを見て取ることはできなかった。そして、ナナがレビに説明することも、ナナの現在の知力では無理な相談だった。
「それは、君のものじゃあないよ」
「僕のだよ。だって、僕が触ると光るんだもの」
「何故そんなにそれを欲しがるのか?」
「綺麗なものは僕にふさわしいでしょ。さらに不思議な光り方をするのは、僕に問いかけているに違いないし......」
「たしかに君が持つと輝くけど。それだけでは………」
「僕への問いかけがあるのだから、僕のなの!」
「いやはや………これは、なんとかしなければ………」
レビは呆れて黙ってしまった。さらわれた後にどんな洗脳を受けたのだろうか。その巣窟から救い出してからのナナはあまりにも学がなく、でしゃばりで、控え目とはいえなかった。
レビが記憶していたナナの以前の姿勢は、成長した後も学ぶ謙虚さがあった。だが、レビの目の前で水晶玉に戯れるナナは、自己主張が強くなっていた。このままでは、自分勝手にどんどん進んでいってしまう。そう思ったレビだったが、ナナはレビの絶望した表情に構わずに、勝手な思い付きを話し続けていた。
「この青と赤の目は何かを見ているんだ」
「赤と青の光は、動物のオッドアイだと言いたいのかね?」
「藍色が表面を走っているわ。これは蛇の体だよ」
「つまり、藍色の大蛇がうねっていて、赤と青はそのオッドアイだと?」
「大蛇、深い藍の大蛇!」
「大蛇......。それでは、その目が見つめている視線の先に何かがある、とでも言いたいのか?」
「そう、赤は曼殊沙華、青は紫狐刀。曼殊沙華の赤は眼力で時の流れを竦ませ、紫狐刀の眼力でさらに未来の先の何かを探る。そんなことではないかなあ」
「それでは、赤と青のオッドアイが何を見つめているかを探ることが必要だ、と言いたいのか?」
「そうだよ。そして、これらのことは魔術? これに気づいた僕は、やっぱり魔法使いなのかな」
ナナは、アザゼルによってこの世界へさらわれる前に、確かに武術、魔術や結界術などを学んできた。しかし、その背景となるこの世界の知識を十分に学んだのだろうか。それとも、アザゼルに連れ去られ閉じ込められた時に、邪悪さに浸りきってしまったのだろうか。レビは、ナナを問いただして邪悪さや魔術への傾倒の度合いを確かめなければならなかった。
「魔法? 魔法使い? そんなものはアザゼルの使うわざだぞ。この世を滅ぼす傲慢の技......」
「そうなの? 魔法がいけないものなんて、聞いたことがない。この世の始まりからの秩序に通じる真刀と空刀のわざだって、魔法と見分けがつかないし」
「邪悪な力と、聖なる力とを混同すべきではないと思うがね。そして、オッドアイの蛇が水晶玉の表面上に見えるとして、なぜそのことが、君が魔法使いだということにつながるのかね?」
レビの厳しい表情に目を止めたナナは、驚いて口を閉じた。今までの独善的にみえる理屈は影を潜め、ナナの口はためらいを現した。
「わからない。....」
「突然の閃きか?」
「そう」
「世の中、ひらめきなどと言うものは、任意のものをでたらめに結びつけるときの使い古された屁理屈だね。荒唐無稽と言うべきかな」
「屁理屈? 荒唐無稽? 僕の今までの学びを侮辱するの?」
ナナは、明らかに謙虚さを失っていた。自分の学びによる知識によって、傲慢にさえなっていた。
「ではもう少し論理的に説明してもらいたいね」
「もうこの話はやめましょう」
ナナは目の前のレビに敵わないと感じたんだろう。彼女はそれ以上、自説を披歴することを止めた。結局この時、二人は水晶玉の正体はおろか、水晶玉の表面に描かれる図柄の意味を悟ることさえ出来なかった。
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しばらくたってから、ナナは、レビに一つ一つ同意を求めるようにして、水晶玉の輝く模様を分析することを始めた。それは、レビから見ても謙虚さを取り戻している一歩に見えた。レビの記憶の通りであれば、ナナは元来素直な子供のはずだった。
二人は、先を移動する赤の光点を青の光点が追って移動していることについて、議論を始めた。
「きっと青い光は僕だね」
ナナの指摘にレビは確認の意味で質問を返した。
「どんなことからその推定がでてくるのかね?」
「僕たちが探しているのは、ジョナでしょ? 僕たちが目指しているジョナはここで泊まっている赤光点ね。そして、彼を追っている僕たちが蒼の光点で......」
「だが、私たちはまだ動いていないぜ。なぜ動きつつある蒼い点が、動いていない私たちなんだね?」
「それは今まで動いてきた僕たちを示しているんだよ」
「だが、赤の点と青の点は非常に近づいているぜ」
「なら、それは未来の彼と僕たちだよ」
「どのくらい先の未来なんだね?」
「言い方が違う。たぶんこうしなさいよと言う指示なんだよ」
「『こうしなさい』とその水晶玉が指示しているというのかい。まあ、ありえないことではないが......だが、君の話は矛盾だらけだ。過去の動きも現在の動きも未来の動きも区別していないし、そして単純な未来なのか、すべきことなのかを区別していないように聞こえるね」
ナナは、レビの指摘を聞いて、もう一度自分の顔を水晶玉に近づけ、レビに近くで水晶玉を観察することを許した。レビはナナと水晶玉の様子をしばらく観察すると、彼女に語り掛けた。
「ナナ。ジョナの居場所が分かった気がする」
「え、どうしてわかったの?」
「その水晶玉の意味しているところが分かったような気がするからだ」
「へえ。僕は結局真実が分からなかったのに......」
「それって、この地上を模した物じゃないのか?」
「地表を? この水晶玉の中に見えるのかい?」
「いや、表面が大地そのものだよ」
「え、どういうこと?」
「だからその球は大地の地表を現すんだよ」
「地上を模したものだというの? こんな丸いものが? この大地は平坦なんだよ」
「大地が平たんであることは確かだが、それはミクロ的な見方だよ。マクロ的な見方をすれば、大地は丸いんだ」
「大地が丸い? そんなはずない」
「大地が丸いことを、学んだことはないのかい?」
ナナは、武術以外のまともな教育を一切受けたことが無かった。頭の中が筋肉でできているような父親を持ったせいもあるためだったろう。そして、変に自分に自信を持っていたことも、いまだに素直になることを邪魔していた。
「僕は自分でいろいろなことを学んできた。大地が火を噴くこと。その火が山を作り、谷を作り、その最たるものが火山であることも。火山と言うものから噴き出すこともあるし、地底門と呼ばれる大地に作られた口から噴き出していることもある。火を噴く大地の下では不思議な石ができるし、その石にはいろいろなものがあるんだ。僕はいろいろな石を見てきたの。あなたが僕を外に出してくれた時まで、僕は、あの番人がいろいろな石の様々な使い方をしていたのを、ずっと見てきたんだよ。あの番人は地底の国から地底門を通ってここに出てきた奴だってことも知っている。だから、僕もこんな石たちで出来ている大地のこともよく知っているんだ。そう、大地は平坦なんだよ」
レビはナナにもう一度説明した。大地が平たんではなく丸いこと、それに基づいて説明を繰り返したのだが、ナナは受け入れなかった。その後、何度も議論を重ねたのだが、ナナはそれ以上の議論を拒み、水晶玉をレビとともに観察することもやめてしまった。
「僕が持っているときにしか、この水晶玉は光らないんだよ!」
「たしかにそうだ」
「と言うことは、僕に理解できるように光っているということでしょ?」
ナナは素直でないうえに、思い込みが激しいようだった。レビはあきらめてはいけないと考えながら、確かめた。水晶玉はレビが扱ったのでは光を発することはおろか、反射することさえしなかった。あくまでナナが扱う時にだけ、何かの輝くパターンを発するのはたしかだった。だが、レビがその意味を解くのであれば、ナナが謙虚にレビを受け入れる必要があった。
「君が持っているから、君が理解できるように光る、と言いたいのかね?」
「そのはずだよ」
ナナはそう思いたがったのだが、水晶玉が輝くとき何を意味しているのか、ナナには明らかにわからなかった。レビは水上玉を手に入れた経緯をナナに思い出させた。
「その水晶玉を手に入れたのは、クートゥのラスコフフィールドの一角にある、ラスコフ家の別宅近くだ。私があの辺りを探っていた時、別宅では、ジョナと母親であるナスターシャ政治局員との間で親子喧嘩があった。その時に母親のナスターシャがジョナから奪って投げ捨てたのが、この水晶玉なんだぜ」
「じゃあ、ジョナの持ち物なの? でも、なぜ僕が持った時に光るのかな?」
「その理由はわからないが・・・・。君がジョナとの間に何かの縁があるのではないか?」
「僕は、ジョナのことを知らなかった」
「君にもわからないのであれば、答えはないね。ただ、君が持っていて光るのだろうから、確かに君への働きかけなのかもしれない。だが、君は理解できていないよね」
「ええ。そうだね」
ナナは、しばらく黙ってしまった。そして、ナナは観念してレビの手を取った。
「レビ。僕には結局難しいことはわからないのかもしれないね」
レビは、ようやくほほえみを浮かべた。この娘は信念が強いのだが、その裏返しで一つの思いを決意に似たものにして心に持ち続けてしまう。ナナは、ようやく素直さを取り戻したようにみえた。
「今までのあなたとのやり取りから、僕にわかったことがあるよ。つまり......僕には何もわからない。僕にわかることは何もない。僕はすべてが理解できていない。僕にはわからないんだよ」
ナナの言葉は、単にものを知らないことを告白しただけではなく、自らが役に立たないことを、いや、愚かであり、自らの生きる意味さえ見失っていることを告白していた。レビは、ナナの見違えるほどの成長を目にして、驚くばかりだった。
「ナナ、いこう。肝心なことは覚えておくんだ。大切なことは、ただ一つだと思う。その水晶玉は君が持たなければ輝きを現さないということだ。輝きがあれば、アバウトだが私にはジョナのいるところが分かる」
「ジョナのいる場所が分かるの?」
「そうだ」
「どういうことなの?」
「水晶玉に対する私の解釈の前提は、大地が球形であることだ。君が理解できないのは、基本的な前提が間違っているためだ。この藍色の謎の帯に沿って蒼い点が赤い光点へと近づいていく。たぶん、蒼い点がジョナだ。彼は赤い点、つまりクートゥの集団を追っているんだろう。」
確かに、レビが指摘した蒼い光点の動きは、ジョナの行動を示しているように思えた。そして、水晶玉そのものが地球儀であるとするのが妥当に思えた。
「ここはクートゥなのだろう。蒼い光点は、ここから沙流土を経て、いま赤い光点がある辺留加茂へ向かっているのだろう。ならば、今は辺留加茂へ向かおう」
「あなたは智慧を持っているの?」
「いや、智慧を持っているわけではない。私が得たこの結果は論理的な結論だ。今は、ジョナのところへ急ごう」