11 沙流土(Sard)にて、ジョナの残していった物
沙流土の集落の傍にある湖は、透き通った湖水の底に水没都市を見せていた。レビとナナは、そこに滞在しながら、ジョナの帰ってくることを期待していた。だが、結局彼は帰ってこなかった。
レビは、ジョナが沙流土の老女たちに語った鋭い指摘と啓典の主の物語とを思い出していた。だが、それを語ったジョナがなぜ立ち去ったのかは、理解できなかった。ただ、それ以上考えるのはやめていた。答えが出ない以上、待つしかなかった。それよりも、目の前のスキンスーツを使いこなす研究を進める必要があった。
スキンスーツは腰の曲がった老人が着用するには、姿勢が良すぎた。最初は木に立てかけたスキンスーツに両足を入れたのだが、その時のレビの姿勢のせいでスキンスーツは前のめりで倒れこんでしまった。
「う、動けぬ」
うつぶせのままようやく両足をスキンスーツから抜くことが出来たことから、レビはスキンスーツを草地の上に横たえて潜り込むことを試みた。その試みは成功し、両足はようやくスキンスーツの中へ納めることが出来た。
「汗をかいて何をしているのさ」
ナナはレビの七転八倒をしばらく眺めていたのだろうか。ナナは座り込んでいるレビを眺めながら、質問を投げかけてきた。
「見りゃあ分かるでしょ。スキンスーツを身に着ける努力だよ」
「それはジョナのものでしょ」
「でも、彼はこれを置いて行ってしまった」
「じゃあ、おじいさんがなぜそれを身に着けようとするの?」
「それは、ジョナが成長した時、彼にこのスキンスーツの使い方を教える必要があるからだよ」
「足は入ったみたいだけど、背中が曲がっているよ。スキンスーツは硬いし......」
「なんと...か、入ったよ」
確かに入り込むことはできた。ただし、顔はフェイスカバーに押し当てられ、吐く息があごの下に入り込んでいる。背中側は隙間が空いているけれども......。
「動けるの?」
「う、動けぬ」
その日、レビはスキンスーツを着られたものの、仰向けのまま動くことはかなわなかった。そして、出ることも。
「腕が回らぬ」
「腕が上がらぬ」
「顔が動かせぬ。頭が動かぬ」
「足が動かぬ」
次の日の朝までそのままの姿で寝たのがよくなかった。
「腰が痛い。膝が痛い」
そう言いだすとついに助けを求めたのだが......。運悪く、ナナは朝の食事を用意していた。彼女は昨日からしっかり食事をとっていたのだが、レビは空腹だった。食事の匂いが伝わってきたせいもあり、レビはイライラがつのって大声を上げていた。
「ナナ、助けてくれ、出してくれ」
「おーい」
ようやくナナが戻ってきたとき、レビはまだもがいていた。動けないなりに、だが……………。
「あ、大丈夫?」
「大丈夫じゃない! 顔が痛い」
「今の顔が? そうね、これはまずいね」
「顔がまずい、だと? そんなこと言っている暇があったら何とかしてくれ」
「そんなこと言っていないよ。要はこれを外せばいいんでしょ」
レビは出ることが出来たのだが、その日、彼は一日寝込んでしまった。
その後も、レビは老体に鞭打って、またナナの助けを得ながらスキンスーツの身に着け方、使い方を工夫し続けた。
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「この水晶玉はなぜ光っているのかな?」
ナナは、レビが拾った後に大切に持ち続けてきた水晶玉を手に取って、眺めながら独り言のように問いを口にした。光を発し始めたのは、ジョナが去った日からだった。傍のレビが教えたわけではないのだが、水晶玉の表面に走るきらめきと傷のような溝、そして、蒼い点、赤い点の揺らめきを眺めていると、それがとても大切な宝石に見えてきた。決して宝石ではないのだが、レビがいままで大切に荷物の中に仕舞いこんでいた様子を見て、何か怪しい光を放つ宝石ではないかと思えた。
水晶玉は、ただの宝石には見えなかった。レビが触っても一切光を発することはないのだが、ナナが触ると、何か決まったパターンで表面を光らせた。蒼い筋、赤い筋が光り、また表面に溝のような模様を浮かばせたり、と。ただ、その表面の輝きのパターンは、何かを意味するのかまでは、分からなかった。
レビは、ナナのその様子を後ろから眺めていた。
「それは君が持っているといろいろな輝きを見せるね」
最近、レビはようやく、スキンスーツの使い方になじんできた。その余裕もあって、レビはナナが水晶玉を扱う様子を観察してきた。
ナナの手許では、必ず水晶玉が輝いた。ただ、ナナの両手の一方がすこしでも離れてしまうと、水晶玉は輝きを止めてしまう。
「ナナ、私にも見せてくれるかい」
レビは顔を近づけるのに応じて、ナナはレビの近くへ水晶玉をよこしたのだが、その途端に水晶玉は光を失った。ナナがしっかり両手で持てば再び水晶玉は光るのだが......。その動作を何回も繰り返したのだが、レビに理解できたのは、赤い光と蒼い光とが再びとても近づいている様子だった。
「これって、占いの道具なのかな?」
「なぜそう考えた?」
「何かの本で見たことがあるんだ。僕だけがこの水晶玉を輝かせることが出来るんだよ。これは魔法だよ」
「魔法? 君が魔法使いだってことかい?」
「そうだけど......」
ナナはそう答えたのだが、自信はなかった。レビは懐疑的に水晶玉とナナとを眺めていた。
「つまり、君は未来が見えるのかい?」
「え、いや、そうじゃないんだけど......」
「じゃあ、何か他のことが分かるのかい?」
「それも無いみたい......」
「確かに、君が触った時だけ光るから、君が何かの力を持っているのかもしれないけど、少なくとも君がその水晶玉から何かを悟るというものではないね」
「じゃあ、単なるおもちゃだね?」
「どうして、そう思うんだね?」
「僕はこの世界で閉じ込められるか、大人たちの下で動くか、だけだったもの。友達はいないしね。つまり、僕は孤独なんだよ」
「何が言いたいんだね?」
「孤独な僕には何が必要だと思う?」
「何だというのかね?」
「パートナーだよ」
「パートナー......」
「パートナーを求めているなんて、ロマンチックでしょ。かっこいいでしょ」
「その水晶玉が、君のパートナーだといいたいのか?」
「そう、孤独で寂しい子供を慰めるペットみたいな......パートナー......なんていい響きなんでしょ」
「孤独で寂しい子供......つまり君は自分自身を美化しているにすぎないように見える」
「その言い方って、僕を馬鹿にしているね」
ナナが観察している水晶玉の様々な反応から、レビから見ると、ナナがその水晶玉の正体を推定できるように思えなかった。