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一冊の本

 やがて馬車は街の入口で止まり、少女は御者に礼を言って降りた。

 少女は街の東側に爪先を向け、その先にある城を見据えた。もう既に、城の背後には夜が覆い被さっており、金と銀の星が囁き始めていた。


 もう、少女に残されている時間はごく僅か。


 少女は奥に向かって少し斜面になっている街道を走り抜けた。



 少女が城へ辿り着いた頃には、夜が地上を覆い尽くしていた。

 リーンゴーンと本日最後の鐘が鳴り響いた。

「間に合わなかった」と少女は唇を噛み、最後に少年の口を使って少年に告げた。


「この身体の所有権は、これよりあなたへと戻ります。その後、戻るべき肉体のない私は地上に留まる事が出来ずに天へ還る事でしょう。どうか、それまでにあの人を見つけ出していただけませんか? 話せなくてもいい……一目姿を見る事が出来れば、私は満足です」


 少年がそれに答える間もなく、少年と少女の立場が入れ替わった。

 少年は自分の身体の所有権を取り戻し、少女は少年の中に留まった。少年は手足を動かし、自分の意思で身体が動く事を確かめて半ばホッとした。

 少年は街灯の陰から、頑丈な城門をじっと見つめた。

 閉じた城門の左右には鎧を纏った兵士が並び、石像の様にびくとも動かない。少女の目的を達成する為には、まずあの二人の間を通らなければならないのだ。

 少年は意を決して、陰から飛び出した。少年の姿を捉えた兵士達は、腰の剣の柄を握る。少年は彼らがそれを鞘から抜く前に、彼らに懇願した。


「すみません! 僕、どうしても会いたい人が居るんです!」

「会いたい人だと? 城内に居るというのか」


 少年はこくりと頷く。

 すると、今後はもう一人の兵士が冷たい声で答えた。


「だが、何があろうと日が暮れてからの訪問は禁じられている。明日にしろ」

「い、今じゃなくちゃ……今すぐじゃなくちゃ駄目なんです!」


 兵士達の元々厳つい顔が更に厳つくなって少年はたじろぐも、ここで引き下がる事は出来なかった。兵士達の腰から銀色の光が見えたが、少年は彼らから目を逸らさずに同じ言葉を繰り返した。


「クドい!」


 右の兵士が怒鳴り、鞘から抜き出した銀色を少年の喉笛に突きつけた。少年の身体は後ろに反り、翠玉の瞳は大きく見開かれた。

 少年はガクガクと震え、それが一体化している少女にも伝わり、少女は諦めた様に溜め息をついた。


『ごめんなさい。もう……いいです』

「も……もういいって……」


 少年は震えた声で、何とか声を搾り出す。幸いその声がか細かったおかげで、兵士達には聞こえていなかった。


『このままだと、あなたが…………』


「おい、何をしている。騒がしい」


 城門の向こうから低くて冷たい男の声がし、兵士達は剣を下げて慌てて振り返った。


「お、王子!」


 左の兵士が声を漏らし、王子と呼ばれた豪奢な身形の男は門を開いて外へ出て来た。

 兵士達は剣を鞘に収め、揃って青年の道を塞いだ。

 青年は眉根を寄せた。


「そこをどかないか」

「なりません! 王子をこんな何処の馬の骨とも分からない下民に近付ける訳には……」


 左の兵士が必死に訴え右の兵士が何度も頷くも、青年の鋭い眼光には勝てなかった。

 ガードが甘くなった兵士らの合間をスタスタと通り抜けた青年は少年の前に立った。少年一人を捉えた海色の瞳は、海神の逆鱗に触れた時の様に荒れ狂っていた。


「何だ、貴様は」

「えっと……僕は」


 少年は慄然として固まるも、青年の美しい顔立ちに見とれていた。別に、惚れた訳ではない。瞳の色といい、髪の色といい、雰囲気といい、彼を構成する全てが鳥籠の中に居たあの少女の姿と重なったのだ。

 少年が言葉を失っていると、脳内に少女の声が響く。急かす様な、喜んでいる様な、弾んだ声。


『嘘! やっぱり、彼だわ! 外見が前よりも、もっと大人っぽくなってるけど、間違いありません。やっと……会えた』

「え……この人が?」


 少女から聞いたイメージとは、全く正反対の様に思えた。この青年が優しく笑い掛けるなど、想像も出来なかった。


「おい、貴様。質問に答えろ!」


 青年はじれったそうにそう言い、少年の心臓が跳ねた。

 青年が少しずつ迫って来て、少年はごちゃごちゃになった脳内のモノをきっちり整頓して口にしたいモノだけを引っ張り出した。


「と、鳥籠の魔女の事……ご存知……ですよね?」


 青年の足が止まり、瞳は少年に釘付けになった。魔女が死んで以来、魔女の事を口にする者は誰一人として居なかった。皆、魔女の事に関心がなかった。忘れようとしていた。それにも関わらず、何故この少年がそんな事を口にするのだろう。そして、何故自分に魔女の事を訊ねるのだろう。青年の心は動いた。

 青年は視線を後ろの兵士達に投げた。“席を外せ”の意だ。兵士達は不安と不審を抱きながらも命令に従い、城門の向こうへと姿を消した。

 一対一になった途端、辺りに静けさが増した。

 少年の心臓が高鳴る。

 青年は少年の言葉を待っていた。

 少しして、少年は再び口を開く。


「あなたは魔女に会いに行っていたそうですね」

「誰からそれを?」

「えっと……う、噂で。…………魔女に会いに行っていたのはあなただけだったとも、聞きました。それで、あの……急に行かなくなったのは何故なんですか? 魔女も、きっとあなたに会いたかったと思います。寂しかったんだと思いますよ」

「ふ……その事か」


 青年は瞳を閉じて、また開く。


「死ぬと分かっていて、会いに行くまい?」

「はい?」

「…………私が殺した。ただ、それだけだ」


 その時の青年の瞳は氷の様で、少年はゾクッと震え上がった。

 青年は懐から、金色に輝く物を取り出した。懐中時計だった。少年の持っていたそれとよく似ているが、少年には別物の様に思えた。


「そろそろ時間だ」


 青年は時間を確認すると懐中時計を懐に戻し、赤いマントを翻した。

 歩き始める彼を、少年は呼び止める。


「待ってください! あの、話がよく分からないんですけど……」


 青年は立ち止まって振り返り、少年を睨みつけた。

 少年はこれ以上の言葉を紡ぐ事が出来ず、固まった。

 青年は溜め息をついた。


「……もう帰れ」


 その一言は何処か悲しげで……その瞳は揺れていて……。

 結局青年からそれ以上の事は訊き出せず、少年はその場に一人取り残された。


 少年は星空を見上げ、息を吐いた。息は白く、空気に溶けて消えていった。少年は自分の身体を両腕で抱えた。


「寒いなぁ……」


 それに答える声はなく、少年は寂しく思った。


「もう居なくなっちゃったかな」

『居ますけど』

「おおっ!?」


 脳内に響いた声に少年は驚き、安堵した。


「良かった。さっきから黙ってるから、もう消えちゃったかと。……ねえ、あの人の言葉気にしてる……よね? あれは多分、嘘だと思」

『いえ、本当の事ですよ』


 少女が間髪入れずにきっぱりと言い切った。


『私、何となく気が付いていました。そもそも、こんな得体の知れない魔女の所にお城の騎士様……いえ、王子様だったのですね。とにかくそんな地位の高い方が来るなんておかしいじゃないですか。それも毎日。食料なんか持って来て。だから、もう良いんです。彼の口から真実が聞けたのなら、私はもう満足です』

「何だよ……そんな寂しい事言わないでよ。だって、キミは本当は」

『これ以上……私の傷を深くしないで下さい。私が良いと言ったら、良いんです。ずっと夢見てた外の世界が見れた……幸せじゃないですか』


 少年は何も言う事が出来なかった。それは泣いていたからだ。

 温かいモノが、体から抜けてゆく。目に見えない何かが、天へと舞い上がった。

 少年は涙を拭い、空を見上げる。何もない、星だけが彩る空。それでも、少年は笑顔を作って手を振った。


「さよなら……」

『さよなら』


 もう聞こえる筈のない少女の声が聞こえた……気がした。








「さ、寒い……」


 全身がブルっと震え上がり、少年は目を覚ました。

 少年は仄暗い部屋のベッドの上に横たわっていた。まだ薄い掛け布団はベッドの脇に落ちていて、それを手繰り寄せようとすると、視界の端に白いものがはためいているのが映った。


「そう言えば、窓……開けっ放しだったな」


 少年はベッドから下り、窓を閉めに向かった。

 窓を閉めると、そよいでいた白いカーテンは静まった。少年は一安心して、ふと窓硝子に映った自分の姿を見た。――――焦げ茶色の短髪に黒い瞳、薄手のパーカー…………何の特徴もない、いつもの自分だった。

 あれは夢だったのかと少し残念に思うも、安心した。小さく息を吐き、カーテンを潜って、ベッドへ戻る。


 カサッ。


 何かを踏んだ感触を覚え、少年は足を止めて下を見る。


「何だ、これ」


 少年は自分の足の下敷きになっている白い紙を拾い上げ、表に返した。

 文字が書いてあったが、日本語ではなかった。中国語でもなければ韓国語でもない、英語でもない…………見た事もない、不思議な文字で真ん中に小さく一言書かれていた。

 読める筈はなかったが、少年は無意識に返事を呟いた。


「僕の方こそ……ありがとう」




 ――――そして、どうか天国では幸せに暮らして下さい。





 立ったまま動かない少年の目の前に細い線が入り、空間は右と左に分けられた。そして、それは線を堺に内側へと閉じてゆく。全てが重なり合った時、パタンと音がして空間は完全に閉じた。


「……面白かった」


 真っ暗な部屋。壁際に天蓋付きのベッドと、窓際に木の机と椅子だけが置かれているだけの必要以上に広い空間に、ブロンドの長髪の女が居た。

 彼女は青い瞳を閉じ、実に満たされた顔で席を立った。

 彼女が居た机の上には一冊の本が――――ボルドーの下地に、金色の文字で『GHOST WITCH』と書かれている本が、傍らの蝋燭の炎に照らされていたのだった。

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