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魔女と騎士

 森は外から見たよりも、もっと美しかった。果実の七色の輝きが地面に映り、角度によって様々な色へと変化していた。ざわめく風樹の音も、果実の様に透き通っていた。木々が一斉に風に揺れれば、美しい曲が完成する。そこに歌声を乗せたい所だったが、少女は口を開いてまた閉じた。この身体では満足のいく歌は歌えないと判断したのだ。


「あなた、肺活量がまるで駄目ですね」

『う……いきなりそんな事言われるなんて。いくら同化してても、僕はキミの考えている事が全く分からないよ』


 少年は項垂れ、少年の身体で歩いていく少女に身を任せた。


 川のせせらぎが聞こえた。

 この森を流れる川は森中の輝きを集め、それこそ宝石の様だと少女は聞いた事があった。少女がこの森を訪れて、一番見てみたかった景色だった。

 少女は音を頼りに、木々の間を潜り抜けていく。


「あった……!」


 森の輝きの下に、それは確かに存在した。

 悠々と流れてゆく水の色は七色に輝き、半透明で胴長の魚達が沢山泳いでいた。

 少女は川に走って近付いた。


「凄く綺麗!」


 少女は両手で川の水を掬い、手の中で輝くそれに見とれた。


『うん。綺麗だね。……って、飲むの!?』


 少年は水を口へ流し込んだ少女にギョッとした。

 少女は飲んだ後軽く息を吐き、ズボンで濡れた手を拭きながら小首を傾けた。


「川の水は普通飲むものでしょ?」

『え……だって、お腹壊しそうじゃん。こんなに綺麗な水でも、ピロリ菌? とか潜んでそうだし』

「なぁに? それ。お水でお腹を壊すって、あなたってどれだけ貧弱なんですか。ふふ、おかしい~」

『……その貧弱な身体を使ってるキミが言うなよ』


 少年は呆れて溜め息を吐いた。

 都会育ちの少年にとって川と言うものは汚れているもので、見るものでもなければ、飲むものでもなかった。ただそこに、流れているだけのものだったのだ。一度田舎の暮らしに憧れてまあまあ綺麗な川の水を飲んだ経験があるが、その後お腹を壊したが為にそれ以来飲まないと決めていたのだ。

 しかし、この場合、万が一お腹を壊したとしても少女の責任だ。少年自身は身体が傷付こうが、壊れようが、全く痛みを感じないので、結果として少女が全て味わう事になるだけ。少年はそう言う風に思う事にし、自分の中でこの話は完結させた。

 少女は両腕を天に伸ばして身体全体の筋肉を解し、踵を返す。


「そろそろ戻りましょうか」

『そうだね』


 少女は歩き出したが、数分もしないうちに立ち止まってしまった。少年は訳が分からず、少女に声を掛ける。


『ねえ、どうしたの? もしかしてお腹壊した?』

「いえ…………」


 少女の目付きは鋭く、何か獲物を発見した時の様な獣の顔をしていた。

 少女は拳を握り、静かに言った。


「来ます」

『何が――――って、うえぇっ!?』


 振り返った少女の中から見えた光景に、少年は絶叫した。

 黒い影の塊の様な猪に似た生物が一体、そこに居た。鼻息を荒くし、前足の蹄で地面をタンタンと蹴って助走を付けている。

 少女は眉を吊り上げ、右手を胸の前に持って来て手の平を天へ向けた。


「あれは魔物です。この様な美しい場所に相応しくない、邪悪で汚らわしい生物。人類の敵。ふふふ……ですが、この私の足下にも及びませんね。私は魔女、ですから」


 少女は目を伏せ、呪文を唱え始める。

 好戦的で一歩も引かないのが魔女。勝てる勝負と分かっているのなら尚更。おっとりとしている様に見える彼女も、やはり魔女なのだ。

 詠唱が半分ぐらいに達した所で、少年の声が脳内に響いた。少女の気が散り、詠唱は中断される。少女は眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締めて吠えた。


「邪魔をしないで下さい!」

『じゃ、邪魔をしないでって……キミ、魔法使えるの?』

「何を仰っているんですか。私は魔女ですよ? 実戦経験はありませんが」

『いや、だから……その身体は僕で、それにキミは最後の魔力を使って僕をこの世界へ導いたんだよね』

「あ……」

『だったら、魔法……使えなくない?』

「あ――――っ!!」


 少女は叫んだ。

 魔物は少女に迫る。絶望的な状況。

 少女は咄嗟に足下に落ちていた木の枝を拾い、剣の様に構えた。


「こうなったら、物理攻撃で撃退します!」


 迫る魔物に狙いを定め、枝を振り上げる。前に突き出た魔物の鼻に掠る。だが……


 ドンッ!


「きゃっ!」


 枝は弾かれ、少女は魔物に体当たりされた。

 軽い身体は吹き飛び、天高く舞い上がった。そして、森の外へと転落した。



 全身を強打し、少女は呻きながら起き上がる。


「いったた……もう! あなた、貧弱すぎです!」

『失礼な! 大体、キミが悪いんだろう? あんなおっかない奴に、正々堂々と勝負挑むなんて』

「そ、それが魔女の本能だもの! 仕方ないじゃないですか」

『……丁度お迎えが来たみたいだよ』

「お、お迎え!? 私、まだ……」


 少女が俯き、少年は少女が勘違いをした事に気が付いて明るく笑った。


『違う違う。ほら、馬車が来たよ』


 少女が顔を上げた先に、二頭の馬とおじさんの顔が見えた。御者はにこやかに手を振り、少女の横に馬車を止めた。


「どうしたんだい? そんな所に座り込んで。さ、乗りな」

「は、はい!」


 少女は立ち上がって、慌てて馬車に乗り込んだ。




 地上へ降りてくる太陽に向かって、馬車は走る。

 少女は開いた窓の縁に肘を掛け、移り変わってゆく景色をぼんやりと眺めていた。金髪が風に踊り、ジャボが翻る。

 街へ着く頃には、後ろから夜が迫って来るだろう。

 少女は肘を下ろし、姿勢を正した。表情は引き締まり、秘めていた決心を声に出した。


「私、最期にお城に行きたいです。会いたい人が居るんですよ」

『……お城? お城って、あの……王様が住んでるとこ?』

「ええ。でも、私が会いたいのは王様ではありません」

『じゃあ、王女様? それとも、王子様?』

「いいえ。そのどちらでもありません。私が会いたいと思っているのは、かつて私に外の世界の事を教えてくれた人物です……」



 ***



 城下街マルフォークの外れに、深い森があった。そこは昼間でも薄暗く不気味で、お腹を空かせた獣達が多く住み着く場所だった。その地下には魔法で創られた空間があり、そこに置かれた大きな鳥籠の中に魔女が捕らえられていた。

 誰も寄り付かぬ場所だった筈だが、ある時から一人の青年がやって来て少女の唯一の話し相手となった。

 青年は城の騎士だった。普段は全身に鎧を纏い、腰のレイピアを敵の鮮血で濡らす、少し冷血な彼。しかし、一度鎧を脱げば笑顔が良く似合う優しい好青年へと変貌をする。少女が知っている彼は後者だった。後者の彼が、彼女の初めて知った世界だった。

 少女は青年が訪れるのを、毎日楽しみにしていた。

 青年は、いつも少女への手土産を片手にやって来る。その日はイチゴジャムがたっぷり詰まったパンだった。

 少女は初めて見る、食べ物かどうかも分からないそれに小首を傾げ、青年が「美味しいよ。食べてみな」と笑顔で言うと、少女は嬉しそうに食べ始めた。

 食べ物以外にも青年は、少女が退屈しないようにと本を持ってきてくれた。

 言葉も文字も教わった事はなかったが、何故か少女は知っていた。

 本は少女を色んな世界へ連れて行ってくれた。

 あるところでは動物が人間のように言葉を話して国を築いていたり、またあるところでは人間が宇宙空間を自由に飛び回ったりしていた。

 魔法が当たり前なこの世界でも、それらの世界は人の頭の中でしか創造出来ない摩訶不思議な世界だった。

 次第に少女は色んな世界へ連れて行ってくれる本の向こう側、つまりは作家に興味を持ち始めた。

 この人達はどんな世界で生きているのだろう? そして、そこからどうやってこんな素敵な世界を生み出せたのだろう?

 不思議だった。

 ずっと囚われの身となっている少女には想像すら出来ないし、もっと言うならば想像する事自体を知らなかった。

 少女が外の世界の事を知りたがっている事を知った青年は自分達が生きている世界の事も、沢山少女に話してくれた。

 初めて知った現実世界は少女にとっては物語と同じでキラキラ輝いていた。

 胸は高鳴り、頬は熱くなる。

 大海原を滑る船、沢山の本が納められている図書館、宝石の様な輝きを放つ森、そして……青年が命を預けていると言うお城。

 少女は本の世界ではない現実世界にいつか行ってみたいと思った。



 ところが、そんなある日の事。

 いつもの様にパンを持って来た青年は悲しそうな顔をし、突然と少女に別れを告げた。少女には理解出来なかった。人と出会ったと言う事自体初めての事だったから、別れと言うものを知らなかったのだ。

 少女は青年が最後に持って来てくれたパンをゆっくりと噛み締め、階段を上っていく青年の背中を見送った。また、明日も青年が訪ねて来ると信じて――――。



 ***


「だけど、来なかったんです……何日も、何日も待ったけど。そうしている間に、私は死んだ……」


 少女の話を聞き、少年は暫く沈黙した後、明るく言った。


『その人も、きっとキミに会いに行きたかったかもしれないよ。でも、色んな事情で会いに行けなくて。だからさ、キミが会いに行けば喜ぶんじゃないかな。まあ……身体は僕、なんだけどさ』

「そう……ですかね。欲を言えば、少しお話をしてみたいです」

『少しと言わず、たっくさん話せばいいと思うよ』

「そ、そうですね」


 少女はにこりと笑った。少年の身体だが、その笑顔は少女そのものだった。

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