第一章6 列車当てゲーム
「さあ俊二君。そろそろ『アレ』しようか…。」
不意に夏芽が、にたらとした笑みを浮かべて話しかけてきた。夏芽の、洋酒を煮詰めたような息が僕の鼻にかかる。それに呼応して、反射的に僕もピクリと身構えしてしまう。
「さて、と。いつも通りルールは簡単。私たちが乗る予定の列車が、どの車両で来るかを当てるだけ。負けたほうは、勝ったほうの運賃を支払う事。もちろん、運用を読むのは失格よ。」
「あの切符、二人分買ったはずじゃなかったっけ。」
「誰が、『私が奢った』なんて言ったかしら。立て替えていただけよ。だから俊二君が負けた場合はきちんと二人分支払ってもらうわ。」
キシリと性格の悪い笑みを浮かべた夏芽を見て、なるほどそういうことかとすべてを察した。つまり夏芽の頭の中では、この賭けに勝つことで無料旅行を手に入れようという算段か。――それも、僕は小学校時代に給食の残り物を賭けたじゃんけんで一度も勝ったことがないくらいに賭け事に弱いという事を知っていて、だ。だからこそ夏芽は、旅行の度にこの勝負を仕掛けてくる。まったく学級委員長らしからぬ行為だ。――しかし。今回の旅行では、いくら何でも支払う金額が違う。――切符一枚につき二千円で五枚綴りなので、計一万円を支払うことになってしまうのだ。
「じゃあ僕は、2031系0番台だ。」
僕は夏芽よりも先に、次に来る列車を高らかに唱えた。作戦通り、だ。現在この路線には、2005系の0番台、5000番台と2009系500番台、2031系0番台と、ざっくり分けると四種類の車両が走っている。その中で最も数が多いのが、僕が予想した2031系0番台だ。これで夏芽は、残りの中から選ばなくてはいけなくなり、ほぼ確実にこの勝負は僕のものとなる、という寸法だ。
「それじゃあ私は、2005系0番台かな。」
僕の寸法通りだ。――僕の勝算は大いにある得る。この一瞬に、僕の貴重なバイト代が消えてしまうかどうかが懸かっているのだ。――そう思えば思うほど、合掌した両手を強く握りしめる。
気が付けば、モーター音が聞こえてきた。そして僕が瞬時に気が付いた。――この音は、絶対に2031系の音ではない。――終わった。僕の貴重なバイト代はこの瞬間、弾けるような夏芽の笑顔と引き換えに、無残にも消え去ってしまったのだ。
「俊二君、今回も残念だったね。あとで缶ジュースでも奢ってあげるから元気出して。」
僕に哀れみの声を掛ける夏芽の顔には、哀れみの表情など見えず、ただただ純粋に勝利を喜んでいた。その大きく見開いた眼が、笑い声交じりの言い方が、すべてを物語っていた。
こればかりは賭け事なので仕方がないと、僕は気持ちを切り替えて夏芽の右手を軽くつかんで到着した列車に乗り込んだ。僕たちが普段学校に行く時間であれば、溢れんばかりの人が車内に詰まっているだろう。しかし始業時間の軽く一時間前のこの時間の車内は、空気がいっぱいに詰まっている。そんな車内に目もやらずに、夏芽は一目散にロングシートの一番端に位置する席に勢いよく腰を下ろした。――彼女が座った後にあわてて、長い髪がひらひらと風に舞った。――続けて僕も、夏芽の隣にそっと腰を下ろした。ここが、僕たちの定位置だ。
十分ほど時代を感じる列車に揺られて、気が付けば終点の東京駅への接近放送が耳に入った。おそらく昨日の準備で疲れて、僕の肩に倒れてきた夏芽を優しく揺すり起こしてドアの前まで移動した。夏芽はまだ眠たそうで、トロリとした目を浮かべて僕の隣になった。ほのかに当たっている夏芽の手の生暖かさが、旅行前でドキドキと高鳴っている僕の心臓の脈拍をさらに高めた。
扉が開くと同時に、僕は夏芽の手を引いてプラットホームに躍り出た。そうしてそのまま、長い長いエスカレーターに揺られて改札階に出た。そこはあたかも教会のようであり、照明の設置間隔によって、より一層の緊張感を僕たち二人に与えた。――やはり、旅行の始まりはこの駅からだ。
そうして、僕たちの長い長い夏の旅行が、始まった。
今回は、私が実際に友人としていたゲームをもとにした話です。
もう五話なのに、まだ二人は関東にいます。つまり次回からようやく東北に行きます。
――旅行記って何だろう。
出だしの夏芽が意味深に聞こえてしまうのは仕様です。佐上夏芽とはそういう女なのです。