第一章12 仙台市内を行く
「ようやく着いたね、仙台。」
いわき駅での出来事を反省したのか、原ノ町駅もそうだか仙台駅でも、夏芽に背中を押されることはなかった。
そうだね、という僕の返答を無視して夏芽は、そのまま改札へと足を進めていった。
僕も軽く溜息を一つ吐き、上機嫌な夏芽の後姿を追いかけた。
しかしそのあとすぐに、夏芽は足を止めた。
どうしたのかと思い近づいてくると、僕の鼻に肉の焼ける美味しそうな匂いが入り込んできた。僕はもうすべてを察した。
「夏芽。お昼ご飯は食べたから牛タンはまた今度にしなさい。」
「えへへ、ごめん。」
夏芽は恥ずかしそうに頭を掻いた。
本当に彼女は反省していたのだろうか。僕が目を離したすきにすぐに食べ物に吸い寄せられるから困ったものだ。――佐上夏芽とはそういう女だ。
しかし僕としても、せっかく仙台に来たのだから牛タンを食べなくてどうする、という思いがあるのは確かだった。そこで自分の腹と相談してみたが、いわきにて たらふく天ぷら盛り合わせを食べた腹にはもう、たっぷりの牛タンを味わう隙間はなかった。
次に東北地方に来た時には、絶対に牛タンを食べる。僕はそう心に留めた。東北地方でやりたいことがまた一つ増えてしまった。
「それじゃあ、今度はギリギリにならないように、ここに十七時三十五分には戻ってこれるようにしましょうね。」
いわき駅にて走らされたことが堪えたのか、夏芽はいつもよりもやや強い口調でそう言った。そして確認を終えて、僕たちは歩き出した。
ふらふらと辺りを見渡している夏芽の横を、僕もふらふらと辺りを見渡しながら歩く。その姿は傍から見れば、観光客にしか見えないだろう。
――自由通路いっぱいに広がる駅ビルのショーケース。そしてすれ違う、スーツケースを持った人々。そうした場景は僕たちの「大きな駅に来たのだ」という気持ちを高めてくれる。
それには決して悪い気はしない。
駅から出て、それから少し歩いたあと。すぐに夏芽が足を止めた。その前に広がっていたのは、どこか昔ながらの雰囲気を残しているアーケードがある商店街だった。
夏芽の栗色の瞳が、いかにも「ここに行きたい」という様子でキラキラと輝きだす。
正直なところ仙台駅周辺について特に下調べをしてこなかった僕は、夏芽の誘いに乗ってやることにした。
どこか懐かしい雰囲気のする商店街。視界に広がるのは先ほどの駅と比べると小ぢんまりした商店ばかりだ。地元の雰囲気であふれる商店街。僕としては、そのほうがよっぽど旅情を感じることができるような気がする。
そのようにしみじみと感傷に浸る僕とは対照的な夏芽は、その長い髪をなびかせて商店街を舐めまわすように眺めながら歩いていた。――いや、これも彼女なりに、この商店街を味わっているのかもしれないな。――そして無邪気にはしゃぎまわる夏芽の姿をもう一度見て、僕はクスッと笑った。
「俊二君、こっちきて!」
急に夏芽が僕を呼びつけた。
僕は夏芽がいる店の看板を見た。それは少し汚れていて、その店がいつからここにあるのかということを、何も言わずとも物語っていた。
僕は夏芽のいる店まで少しだけ急ぎ足で向かった。
「ほら、かわいいオコジョだよ!」
満面の意味でそう言った夏芽の手には、日本国内の旅行先でどこにでも売っているオコジョのストラップが握られていた。
それを見た僕は、一瞬「やめておけ」と言おうかと思った。しかし忽然と僕の頭に、電撃の如き思考が駆け巡った。
――今の時代、日本国内のあらゆる土産物がネット通販で買えてしまうのだ。便利な時代になったと感心しつつも、旅先で知らない土産物に出会うという楽しみが減ってしまった。
ならばネット通販にはない、土産物屋独特の強みといえば「思い出」なのである。
「この場所に行って、これを買った」という付加価値を込めて土産物屋は売っているのだ。ならばどの商品を買っても同じなのではないのだろうか。
――僕はそんな結論を導きだした。
「まったく、夏芽は仕方ないな…。」
僕は一言だけそういうと、自分の分のオコジョを手に取った。そして夏芽の手からオコジョを取って、レジに進んだ。
ずっと来たかった街に来ることができて、僕は今最高に機嫌がよい。それをおすそ分けしようと、僕は買ってきたオコジョを夏芽に渡した。
オコジョを受け取った夏芽は一瞬不思議そうな顔をしたが、僕に何か考えがあるわけではなく善意で渡しただけなのだと気づくと、「ありがとう」という感謝の言葉に最高の笑顔を添えて返してくれた。
――それから腕時計を見たが、ちょうど十六時になるところだった。
残り時間はわずか一時間半だ。
どこか懐かしい商店街の雰囲気を全身で感じながら、僕たちは進んでいった。この商店街も、もしかしたら十年、二十年と経ったときにはなくなってしまうかもしれない。
僕はこの商店街の光景をしっかりと目に焼き付けた。
そこからの時間の流れは奇妙なほどに速く、もう十七時二十分になっていた。
子供のように抵抗する夏芽を連れて、僕たちは仙台駅へと戻った。
仙台駅には、なんとか元々決めていた時間には戻ってくることができた。
心の中の「もう少しこの街にいたい」という気持ちを知らない列車は、定刻通りにホームへと入線した。
ドアが開き、僕たちは車内へと足を踏み入れる。その反動で、真横にいる夏芽の手提げ鞄が揺れた。
その先には、さらに大きな弧を尻尾で描いているオコジョがいた。
「夏芽、それって…」
僕は思わずそう聞いてしまった。
「んー?せっかくもらったんだから、よく見えるところに付けておかないと意味が無いでしょ?」
そんな夏芽の言葉に呼応するかのように、僕の手提げ鞄に付けていた方のオコジョも揺れた。
――いつものように、先に席に座ってしまった夏芽を追いかける。
車内に差し込んだオレンジ色の光は、ボックスシートに座る僕たちを照らしてくれた。窓際に座ったおかげで、その光はより一層強く感じられた。どうしてかその光を浴びると、どこか悲しい気持ちになる。そしてそれが、もう少しでこの街を去るのだという、この状況と溶け合う。
日の入りが近づき薄暗くなった駅のホームを、名残惜しそうに見つめる夏芽の姿を見て、僕もまた別の物思いに耽った。やはり発車前のホームを見ると、色々な感情がこみ上げてくるものだ。
本当は、まだまだ行きたい場所は沢山ある。せっかく東北地方最大の都市に来たというのに、二時間ばかりで去ってしまうのはなんだか物足りない。
夏芽もそれは同じようで、その証拠にあからさまに頬を膨らませている。
――いつか絶対にもう一度、この街に来る。そしてその時にはきちんと宿をとって、この街のすべてを知り尽くしてやる。
そんな僕の心残りは、あの街に置いてきた。きっともう忘れ物センターに届けられたことだろう。
――どんな街に行った時でも心残りというやつはある。しかしそれを持っていては次の街を満足に楽しむことはできない。だから心残りというやつは前の街に残しておいて、次に同じ街に来た時に回収すればよい。
気が付けば、ホームが動き出していた。――いや、動いていたのは列車の方だった。次の目的地に行くというワクワク感と、最後の目的地に着くと旅行が終わってしまうのだという哀愁を乗せて、列車は走り出した。
オコジョって、声に出して読むと変な響きですよね。
オコジョのシーンを書いている時、頭の中で「オコジョ」という単語が繰り返されて変な気分になりました。




