第一章10 季節の魚と天ぷら盛り合わせ
席に戻ってみると、そこには何食わぬ顔の夏芽がいた。しかし心配性の僕は、夏芽に聞いた。
「本当に信用していいんだよね?」
「私が食べ物を粗末にするわけがないでしょ。」
夏芽の返答には、妙に説得力があった。
それからすぐに、店員さんが二人分の料理をお盆に載せて運ぶのが僕の目に見えた。――こちらに向かって一直線に流れる揚げ物の匂い。これは揚げ物なのだと即座にわかった。それからもう一つの匂いは…刺身だ。
それとともに僕は、旅行に行く前にこのお店のメニューについて入念に調べたことを思い出した。――スマン、夏芽。さっきはあれほど騒いだが、ここのメニューで僕が嫌いなものはないし、何ならメニューもほとんど覚えてしまっているのだ。どうしてこんな大事なことを忘れてしまっていたのだろうか。
僕は申し訳ないという気持ちを込めて、夏芽に向けて軽く合掌した。こういう時に限って勘の悪い夏芽は、怪訝な顔でこちらを見つめてきた。――やめろ、その顔。その顔を見ると、僕の胸が罪悪感でいっぱいになってしまう。
せめてもの償いとして、僕のものをいくつか夏芽に分けてやろうと心に誓った。
そんな平行線上のやり取りをしている間に、店員さんが僕たちの前に来た。彼が最初に取り出したのは、海老、まぐろの赤身、イカ、タイといった具材が絶妙な彩を醸し出している季節の魚介類盛り合わせだった。すると夏芽がそれを受け取り、自分のところにコトンと置いた。
その次に出てきたのは、山のように盛り付けられた天ぷら盛り合わせだった。海老、カボチャ、アジ、ナス…もう見ているだけでよだれが止まらなくなりそうだ。それを僕が受け取ってから、店員さんは戻っていった。
「言ったでしょ。私を信じなさいって。」
「ああ、さっきは悪かったな。」
僕が素直に謝ったことを逆に意外に思ったのか、夏芽はなんだかつまらなさそうな表情を浮かべた。
それから夏芽は、「はい」と割り箸を手渡してくれた。それを割ってからいよいよ、お待ちかねの時間だ。まずは「いただきます」と一言。それを言うタイミングが見事に夏芽と被ったことによる一体感。これで感謝の気持ちも倍増だ。
「そうだ、夏芽。さっき疑ったお詫びとして、この天ぷら盛り合わせの中からどれか一つ好きなものをあげるよ。」
「ホントに?ありがと!」
満面の笑みを浮かべた夏芽は、そのすべてを包みこむような笑みとは対照的な行為をした。なんと、容赦なく僕の好物――海老天を奪っていったのだ。確かに僕は、「どれか一つ好きなものを」と言ったが、それを平気で奪っていくだなんて、この女は悪魔だ。
夏芽の箸につままれて空を飛ぶ海老天。まだ僕が一度も使っていない天つゆにつけられた海老天。そしてそのまま夏芽の口に運ばれた海老天。そのままカリカリといい音を立てて、夏芽に食べられていく海老天。そして最後には尻尾だけが残った海老天。僕はそんな海老天の姿をただ眺めることしかできなかった。
「ありがとね、俊二君。」
そんな無邪気な夏芽の笑顔に対して、僕は無性に腹が立ったことは言うまでもないだろう。
しかしいつまでもこうして腹を立てていては仕方がない。僕は気を取り直して、海老天が奪われた後の天ぷら盛り合わせに集中することにした。――神経を研ぎ澄ませるほどに感じる香ばしさ。揚がってからあまり時間が経っていないことを物語る、もくもくと立ち上る白い湯気。そのすべてが、僕の食欲を際限なきまで引立ててる。――それらを僕が一通り楽しんでからのことだった。
「さっきは俊二君の好物を奪っちゃったから、お詫びに私の好物をあげるね。」
といって夏芽が、若干申し訳なさそうな表情を浮かべて、僕の天ぷら盛り合わせの頂上にまぐろの赤身を置いた。
そこにあった完璧さは、一切れのまぐろによって崩された。揚げたてのカリカリとした最高の食感は、もちろん刺身によってしっとりに変換されただろう。海老天を失ったあともかろうじて山を維持していた盛り合わせも、あろうことか崩れてしまった。
――違う夏芽。そうじゃない。
僕はひたすら、その言葉を頭の中で繰り返した。
それから僕は、諸悪の根源たるまぐろの赤身を醤油につけ、じっくりと噛み締めた。――美味しい。しかしその感情とともに、「これがなければ盛り合わせは完璧だったのに」という思いがこみ上げる。その複雑さはなんと表現すればよいのだろうか。
その次に頂いた天ぷら盛り合わせも、もちろん美味しかった。最初に頂いたのはアジの天ぷらだ。口の中に入れたとたんに広がる香ばしさ。そして白身魚ゆえのさっぱりとした味。それに絡み合う衣のハーモニー。――それを味わえば味わうほどに、夏芽に奪われた海老天はどれほど美味しかったのかと考えてしまう。
そんな悔しい思いをこめて、正面にいる少女を見た。しかしその少女の皿には、さっきの半分ほどの量しか残っていなかった。――これはまずい。
いつぞやの冷やし中華の時に、夏芽が言ったことが現実になりかねないと危惧した僕は、目の前の天ぷらを食べるペースを早めた。
しかし時はすでに遅かった。僕が自分の盛り合わせを半分ほど食べた時には、夏芽はもう自分の盛り合わせを食べ終わっていた。
まだ腹が満たされていない夏芽は、僕の天ぷら盛り合わせを、目を丸くして、猫のように見つめている。――僕は夏芽の食欲に恐怖した。
「俊二君、食べきれないなら私が食べてあげようか?」
「いいえ、結構です。」
身の危険を感じた僕は、夏芽の問いかけに対して冷酷に答えた。もちろん夏芽は、頬をムッと膨らませたてこちらをじっと見ている。――これは夏芽なりの心理戦なのだろうか。
それから、夏芽の圧になんとか耐えて食べきった僕は、夏芽と一緒に「ごちそうさま」と言ってから席を立った。それから会計を済ませるまでは早かった。今回は夏芽も文句を言わずに自分の分は自分できちんと支払ってくれた。
お腹と心を満たされた僕たちは、店の外に出た。――先ほどの店内とは違い、照りつける太陽。店に入る前とは比較にならないくらいに外は暑くなっていた。
そんな暑さだが、なんとか冷静な思考を保っていた僕は、左腕に着けた腕時計を覗き込んだ。
――時計の針は、ちょうど十二時を指すところだった。
「マズいよ夏芽!列車が出発するまであと十三分しかないよ!」
僕はもちろん慌てて叫んだ。
さっきまでの満腹感からくる幸せな気持ちに、カチカチと進んでいく時計の秒針に比例して、不安な気持ちが上書きされていく。僕の声に気づいた夏芽もまた同様に、動揺していた。
それから僕たちが、慣れない福島の地を全力疾走したことは言うまでもないだろう。
「冷やし中華」以来の食事回です。今回は若干食事シーンも書いてみました。これから練習して、食事シーンもしっかり書けるようにしていきます。(しかしそれは旅行記と呼べるのかどうか…)




