ひとりぐらし
レイがダンジョンで暮らし始めて、約一ヶ月が過ぎた。
この間レイは、ダンジョン内の探索や整備、そしてダンジョン外からの資源調達を進めていった。
最初は本当にダンジョンで生活なんてできるのかと不安に思うこともあったが、一ヶ月も暮らせばたとえダンジョンであっても慣れるものらしい。
今ではかつて農村で暮らしていた時のように、毎日同じような作業を繰り返す、穏やかな生活を送れるようになっていた。
今朝もレイは目を覚ますと手早く朝食を済ませ、毎朝の日課である畑仕事にとりかかる。
寝起きしている空間の日当たりの良い地面に、モロイモの小さな畑を作ったのだ。
片腕で畑を整えるのは多少時間がかかったが、もともと農村出身であるレイにとってはさほど難しい作業ではなかった。
最初は小規模に始めようと思ったので、今は数列の畝を作ってそこに種芋を植え、時々水をやったり雑草を抜いたりしている程度だ。
種芋には手持ちのモロイモを小さく切り分けたものを使った。
このように簡単に増やすことができるのが、モロイモの優れた点だ。
既に苗と呼べる程度の大きさには育ってきており、もう二週間もすれば地中に芋ができるだろう。
こうして畑を始めることができたのも、街を出る時に食料としてモロイモを持たせてもらったおかげである。
(マリアおばさんがモロイモを持たせてくれて、本当に助かった)
レイはもう二度と会えないであろう女性への感謝の気持ちを噛み締めながら、毎日せっせと畑の世話を行っていた。
また、メインの居住空間として使っている最初に目覚めた空間を【本宅】と呼ぶことにした。
自分以外に使う者などいない呼び名だが、ダンジョン内の整備が進んだら、【本宅】以外の空間も何かに使うようになるかもしれない。
そういった場合には部屋の名前があった方がわかりやすそうだと思ったのだ。
なにより自分だけの場所に名前をつけていくというのは、なんだかワクワクして楽しい。
こうしたささやかな楽しみも、この一人暮らしに潤いをもたらしてくれる貴重なものだ。
朝の畑仕事が終わると、次はダンジョンの外に出る準備をする。
薪などの生活に必要な資源や食料を調達するためだ。
多少備蓄はできてきたので本当は二、三日に一度の外出でも問題ないのだが、気分転換の散歩も兼ねているので毎日外に出るようにしている。
人に見つかる恐れがあるため、それほどダンジョンの入り口から離れた場所へは行けないのだが、外出も貴重な楽しみの一つだ。
「いってきまーす」
必要な装備を整えると、誰に言うともなく挨拶をして【本宅】を出た。
外に繋がる順路には灯りを作りつけようかとも考えたが、資源を多く消費しそうなのでひとまずやめておいた。
なので外出の際には常に灯りを持って出発する。
通路上には時折モンスターが現れたが、洞窟大虫のような小型のものしか出くわしたことはなかった。
ダンジョンのモンスターは数が増えるとより強いモンスターが発生しやすくなる、と聞いたことがあったので、見かけた時にはこまめに退治するようにしている。
最初に訪れた時から何度も見かけているスライムだけは特に害がなさそうなので、見かけても放置していた。
【本邸】から歩いて数分もしないうちに、ダンジョンの出口が見えてくる。
これほど早く出口に着けるのは、探索の結果ダンジョンの最奥から出口につながる近道を見つけることができたからだ。
簡単な地図を作りながら探索したところ、ふさがっていた通路を数カ所通れるようにするだけでかなりの近道ができることがわかったのだ。
なので以前に比べると格段に短い時間でダンジョンから出入りできるようになっていた。
ダンジョンから外に出ると、灯りを消して外の空気を胸いっぱいに吸い込む。
空気の通り道がうまく作られているのか、ダンジョン内は地下にしてはそれほど空気が澱んでいない。
だがやはり外の森の空気は格別だ。
「うん、今日もいい天気だ」
満足そうに空を軽く見上げてから、レイはいつものように薪拾いを始める。
薪の他にも食料になるような木の実やキノコを見つけたらそれも集めておく。
こういった森の恵みは、畑から安定した食料が得られるようになるまでの重要な生命線だ。
ダンジョンの入り口が森に覆われていたことは、発見されにくいという以外にも、こういった資源が手に入れやすいという点でもレイにとっては幸運だったと言える。
レイがせっせと薪や食べられそうな木の実を拾い集めていると、少し離れた場所の茂みが小さくカサリと音を立てる。
レイはそれに反応してピタリと動きを止め、あらかじめ拾っておいた手頃な大きさの石を腰の道具入れから取り出す。
そして石を左手に握り込んだまま、音の発生源が茂みから姿を現すのを待ち構える。
数秒後、茂みから現れたのはこの森で何度か見かけた角兎だった。
角兎はその名の通り額に角の生えたウサギ型モンスターで、普通のウサギより体が大きく気性も荒い。
基本的に群れることはないので、襲われても並の冒険者であれば苦労せず倒せる程度のモンスターだ。
好物である草の芽を食べるのに夢中らしく、こちらにはまだ気づいていないらしい。
レイは慎重に狙いを定めると、角兎が動きを止めるのを見計って、その頭を目がけて素早く石を投げつけた。
放たれた石は角兎の頭に命中し、角兎はギッ、という短い悲鳴を上げてその場に倒れた。
レイは角兎が動かなくなったのを確認して近くに駆け寄ると、その体を拾い上げて地面に叩きつけて手早く首の骨を折る。
片手で首を捻ったりするのは難しいので、とどめをさすのはいつもこの方法だ。
こうした投石による狩りをするようになってから、レイは暇さえあれば投石の練習をしていた。
最初は的にかすらせることすらできなかったが、練習する時間だけはあったので今ではかなりの精度だ。
更に紐や布で作った投石器を使わないという点も手伝って、狩りはかなりの成功率になっていた。
今のレイの腕力なら手投げでも十分な威力が出せたので、音も立てずにほとんど予備動作もなく素早い投石ができるのだ。
(これができれば、もうちょっと冒険者として活躍できたのかな)
街に戻ることのできない状況では妄想でしかないのだが、そんなことを考えてしまう。
狩りも終えて一通り物資を集め終わったので、レイは薪や仕留めた角兎をロープでまとめ、腰に下げたり肩に背負ったりして持ち運びやすくする。
左手と口だけで様々な作業をこなすのにもかなり慣れてきた。
こうしてまた【本邸】に戻り、昼食をとってから獲物の解体作業や投石の練習をする。
これがここ最近のレイの日常だ。
しかし、この日は少し違っていた。
「よし、準備完了っと……ん?」
遠くの方から何かが聞こえた気がして、レイは帰路につこうとしていた足を止めた。
また角兎か何かが近くに現れたのだろうか。
正体を確かめるべく、音の聞こえた方向に注意を向け耳をすます。
レイの耳に聞こえてきたのは、先程のような茂みが静かに揺れる音ではなかった。
聞こえてきたのは木の枝や下生えをかき分けながら移動する音と、必死で走る人の息づかい。
何かに怯えているようで、呼吸がひどく乱れているのが離れていても分かった。
そしてそれに続くように、バキバキと障害物を蹴散らしながら、重い四足の足音を響かせて走る音。
そして時折聞こえる、短く唸るように吼える大型の獣の声。
(もしかして、誰かがモンスターに襲われてる……!?)
気がつくとレイはまとめた荷物を放り出して、声の聞こえた方へと駆け出していた。