妥当な判断
「アレクセイ様、エレナです」
「ああ、お入りなさい」
ダンジョンから王都に戻った日の午後、エレナは王城内にある司教アレクセイの執務室を訪れていた。
部屋に入ると中にいるのはアレクセイだけではなく、執務机に座る彼の後ろには司教補佐が控えていた。
以前のように応接用の椅子にエレナを座らせ、アレクセイもその向かいに座った。
「今回もご苦労様でした。戻ったのは今日ですか?」
「はい。司祭の仕事も明日から再開できるかと」
「それはなによりです。それで、今回のアンデッド討伐はどうでした?」
「……司教様、そのことでお話が」
エレナはこれから話す内容の重大さを改めて感じて、声を固くする。
アレクセイもそれを感じ取ったらしく、居住まいを正してエレナの言葉を待つ。
「今回の討伐、私はアンデッドを討伐せずに戻ってまいりました」
「……ほう」
アレクセイの眉がピクリと動く。
表情は穏やかなままだが、雰囲気が変わったのがエレナにも伝わってくる。
しかしそれも当然かもしれない。
彼が上司になってから、討伐の報告でこのようなことを告げたのは初めてのことなのだから。
「それはどういった理由からでしょう、エレナ司祭。まさかあなたでも討伐できないほどの、強力なアンデッドであったと?」
「確かに強い力を持つアンデッドであったことは事実です。ですが私が討伐を中断したのは、強さが理由ではありません」
「……詳しく聞きましょう」
エレナは自分が見聞きしたこと、感じたことを全て正直に話した。
討伐対象の少年は心臓が止まっており、魔法による判別では間違いなくアンデッドであったということ。
今回の情報提供者の私怨による行動により危機に陥り、それを討伐対象である少年に救われたこと。
また、ルフィナの協力やメディス家による土地の買収についても、混乱を避けるための措置であったという説明をしておいた。
この点についてはルフィナに言われた通りに説明した形だが、自分としても納得の行く理屈ではあったので正直なまま話すことができた。
エレナの説明を一通り聞き終えると、アレクセイは背もたれに体を預けてため息を付いた。
「なんと、そのようなアンデッドが存在しようとは……」
「ええ、私も未だに信じられません」
さすがのアレクセイも驚きを隠せないようだった。
教会の長い歴史の中でも、そのようなアンデッドが存在したという記録は確認されていないはずだ。
ルフィナも言及していたが、今回の発見がどれだけ教会にとって衝撃的なものなのかは想像に難くない。
「事情はわかりました。分かっていると思いますが、これは教会全体の問題ともなり得ます。エレナ司祭、この件については当分の間他言を禁じます」
「はい、かしこまりました」
「今後の対応は私の方に任せておきなさい」
「はい。ですが司教様、その……」
「ああ、ご心配なく。そのアンデッドの危険性の確認や監視に人を派遣する必要はあるでしょうが、本当に平和的な存在だというのであれば悪いようにはしません」
「ありがとうございます」
その言葉を聞いて、エレナは心底ホッとした。
ルフィナは不安に思っていたようだが、やはり正直に相談して正解だったようだ。
「では今日はもう帰って休みなさい。明日からの司祭としての仕事に備えるように」
「はい。では、失礼いたします」
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エレナが執務室から退室し、そしてその足音が遠ざかる。
彼女がいる間はアレクセイの後ろで沈黙を守っていた司教補佐が、しばらくぶりに口を開く。
「嘘ですか?」
「ああ、嘘だよ。当然だ。私の担当地区内でアンデッドがのんびり暮らすのを容認しろと?どんな冗談だそれは」
アレクセイは先程よりもかなり乱暴な口調で即答する。
そして自分の執務机へと移動すると、やれやれといった表情でどっかりと椅子に深く座る。
「まったく、討伐しに行ったアンデッドに説得されて帰ってくるなど話にならん。今後彼女は閑職に回すべきかもしれんな」
「しかし王都の民にとって、彼女はアンデッド討伐の英雄のような存在です。扱いが悪いと信者の反感を買うのでは?」
「名前だけ立派な、権限のない適当な役職でも用意してやればいい。職務内容としては、適当な奉仕活動と低級アンデッドの掃除程度になるだろうがな」
「今回のことで彼女のアンデッド討伐の能力に陰りが出る、と?」
「否定できんだろう。今後会話ができるような奴を相手にするたびに、かのアンデッドのことが頭をよぎるかもしれん。そんな要員を重要な局面で使えるか」
「左様で」
上司であるアレクセイからすれば、アンデッドと戦うことに疑問を抱いてしまうような人間に、重要な討伐を任せるのはリスクでしかない。
他の人員への影響も考えると、今後は権限の状態にしておく方が都合が良い。
優秀なアンデッド討伐の人員が一人減るのは痛手だが、組織の上に立つものとしてそういったリスクは最小限にとどめておかなければならないのだ。
「そのアンデッドについてですが……本当に害がない存在だとしても、討伐はおやめにならないので?」
「やめるわけにもいかんだろう。本当に害がないか、というだけの問題ではない。今の彼女を見ればわかるだろう?『アンデッドにもいい奴がいる』なんて話が大衆に広まってみろ。アンデッド全体に対する危機意識が薄れる可能性もある」
「確かに。そのようなアンデッドがほぼ存在しないというのが事実である以上、それは危険でしかありません。」
「そういうことだ。それに我々がアンデッドの存在を容認したりすれば、教会の内部分裂だって起こるかもしれん。そんなゴタゴタが起これば、各地のアンデッド討伐が疎かになりかねん。知ってしまった以上は人々の安全のために、かの存在を討伐してしまうのが一番なのだよ」
「なるほど。……ちなみにもうすぐ各地区の担当司教を選出する投票があることは、一切無関係なので?」
アレクセイの動きがぴたっと止まる。
そしてふっと小さく笑うと、司教補佐に向かってため息まじりに文句を言う。
「やはり君は嫌なやつだ」
「お褒めに預かり光栄です」
司教補佐はしれっとした表情で言う。
アレクセイも彼のそんな態度には慣れているので、特に気にせず本音を話す。
「そうだ。彼女の語ったアンデッドが本当に無害か、そもそもアンデッドなのか。そんなことはどうでもいい。この時期に私が担当する地区でイレギュラーが発生すること、それ自体が問題なのだよ」
「王都地区担当の司教を続けるには、波風が立たないのが一番というわけですか」
「そういうことだ。……まぁ大衆の安全のためというのも、別に嘘ではないがな」
結局の所、アレクセイ司教にとって今回の件は真面目に対応するに値しないのだ。
わざわざ調査隊を派遣して、本当に無害かどうか協議して教会としての判断を下し、監視する体制を整え、内部の統制も維持する。
そんな労力を割いて、かつ自分の地位が危うくなるというリスクを冒してまで、なぜアンデッドの存在を容認しなければならないのか。
アンデッドである以上、討伐してしまっても世間的にはなんの差支えもない。
討伐してしまえばエレナが何を言おうと『アンデッドにも例外がいる』など誰も信じないだろうし、これまでの教会の歴史においてそんな存在は確認されていない以上、同じような存在がすぐにまた現れるとは考えにくい。
さっさと討伐して、最初からそんな特殊な存在はいなかったということにしてしまうのが、一番手っ取り早くて安全なのだ。
「ちなみに、討伐の部隊は?」
「討伐隊の中にいる私の子飼いの連中を使う。腕も立つし、私の言うことに忠実だ」
「それで、その後エレナ司祭にはなんと?」
「調査のために平和的な話し合いに赴いたが、突然攻撃されたためにやむなく応戦。結果的にアンデッドは死亡したとでも言えばいい」
「実にシンプルですな」
「だが同行させなければ、彼女が反論する余地はない。当日は適当な理由をつけて街から動けないようにしておこう。……さて、茶でももらおうかな」