襲撃
「はぁ、はぁ……。レイくーん、もう私動けませーん」
「えっと、じゃあ今日は終わりにしましょうか」
「さんせいでーす」
ルフィナは先程まで振るっていた木剣を地面に放り出し、手近な木陰でゴロンと横になる。
毎度のことだが、ここでの訓練の後は立っていられないほどに疲弊する。
レイが無尽蔵な体力の持ち主なせいで、自分に体力がついてきているのかよく分からない、というのも疲労感を助長させているような気がする。
(まぁでも、レイ君のためですからね……このくらいはやってやりますよ)
今日は珍しくルフィナが一人でレイのダンジョンを訪れていた。
リンやヘッケル卿はなにやら大規模な研究発表会に二人揃って参加するとのことだった。
ルキアーノは久々に主から仕事を任されたらしく、それに勇んででかけてったらしい。
その結果、久々にルフィナと二人だけで過ごすことになったのである。
最初こそお茶を楽しみながら色々と話していたのだが、せっかくなので毎回行っていた訓練を二人でもやろうという話になったのだ。
結局ルフィナはレイに一撃も入れることはできなかった。
別に怪我をさせたいわけではないのだが、これだけ見事にかわされるとなんだか余計に消耗する。
「も~無理です。ぜんっぜん当たる気しないです。レイ君ってもう、私一人相手じゃ訓練にならないんじゃないですか?」
「そ、そんなことは……あ、お水を持ってきますから、そのまま休んでてください」
「ありがとうございます~」
ルフィナはぐったりと横になったまま腕だけを起こし、ひらひらと手を振って礼を言う。
自分に比べてレイは全く疲れた様子もなく、軽い足取りでコップを取りにテーブルへと向かった。
これでも体力には自信があったのだが、今の彼と比べるとさすがに見劣りする。
体の構造が違うので当然といえば当然なのだが、年上の立場がなくなってしまう気がして、なんだかちょっとだけ悔しい。
「あ~、あっついです……」
「だいぶ季節的にも暖かくなって来ましたからね。体を動かすとなおさらです」
ルフィナが寝転がってぼやきながら汗を拭っているところに、レイが木のコップに川の水を汲んでルフィナのところに戻ってくる。
この川の水は流れが速く水がきれいなので、すぐに飲むことができるのがありがたい。
「ほんとですよー。もうすっごい汗かいちゃいました」
上半身を起こして汗で体に張り付いた服を軽くつまむ。
一人であれば服を脱いで川の水で体を拭いたりしたいところだが、さすがに彼がいる所でそのようなことはできない。
「そういえばヘッケル様に、ここにお風呂作れないかなって相談したんですよ」
「え、お風呂ですか?」
「はい。ルフィナさんやリンさんがまた泊まった時とかに、そういうものがあるといいかなって」
「ふむふむ……つまりレイ君は、私達と一緒にお風呂に入りたいと」
「なっ、ち、違いますよ!別に一緒にとかじゃなくて、その……」
ニヤニヤと笑いながら冗談を言うと、レイは赤くなって口ごもる。
彼はいつもこういった初々しい反応を見せてくれるので、ついからかいたくなってしまう。
「あはは、冗談ですよー」
「も、もう……」
レイは少しむくれながら、コップを渡そうと歩み寄って来る。
と、そこで地面から覗いていた樹の根に気づかずにつまづいてしまう。
「あっ!」
「え?きゃっ」
両手がふさがっていたためか、バランスを崩したレイにそのまま地面に押し倒されてしまった。
レイの顔が突然、触れてしまいそうなほどの距離まで近づく。
「あ、ご、ごめんなさい」
「い、いえ、私はその、大丈夫です」
思わぬ急接近に、ルフィナもレイも固まってしまう。
そのままぼんやりと見つめ合っているとーー
「へぁっ!?」
突然レイが、ルフィナの上から体を重ねるように覆いかぶさってくる。
ゆっくりとした動きではなく、ガバっと体を投げ出すような勢いだった。
レイの思いがけない行動に、今度はルフィナの方が顔を赤くして慌てふためいてしまう。
「レレレレイ君!?あの私、そういうことはもうちょっと仲良くなってからの方が、いえ嫌ってことじゃなくて、まずはその手を繋いだりとか順序がですね……!」
声を裏返らせて早口でまくしたてていたルフィナだったが、どうも様子がおかしいことに気づく。
レイは自分の上に倒れ込んだままだが、小さくうめくだけで返事がない。
「レイ君、どうしました?レイく……」
そのままレイの肩を持って体を軽く起こし、息を呑む。
レイの背中にが、一本のナイフが深々と突き刺さっていた。
「レイ君!!大丈夫ですか!?」
「う……」
刺さった時の衝撃がよほど強かったのか、レイは意識が朦朧としているようだ。
何事かと思っていると頭上から何かが割れるような音がして、少量の液体がルフィナの上のレイの背中に降り注ぐ。
「うわっ!?何ですかこれ、水?」
「……聖水に浄化反応を示さないとは。よほど耐性の強いアンデッドということでしょうか」
ルフィナが顔を上げると、いつの間にか修道女の服に見を包んだ女性が立っていた。
スリットから覗く右太腿に巻いたベルトから、レイの背中に刺さったものと同じナイフを取り出している。
鋭い目つきで油断なく観察しているその顔に、ルフィナは見覚えがあった。
「まさか、エレナ司祭様?」
予想だにしていなかった人物の登場に驚く。
王都で司祭を務めている人間が、なぜ今この場所にいるのか。
自分の呼びかけに、エレナ司祭は武器を構えたまま言葉を返してくる。
「そういうあなたは、確かメディス家のご令嬢ですね。なぜこのようなところに?」
「……それはこちらのセリフです。このダンジョンの入り口周辺は当家の私有地のはずですよ。まさか、無断で入ってこられたのですか?」
「アンデッドの目撃情報がありましたので。既に司教様の許可はいただいております」
眉一つ動かさずに答える彼女の様子からして、ハッタリなどではなさそうだ。
許可を出したというのがあの司教だというのであれば、ただ私有地に踏み込んだという事実だけで彼女を糾弾するのは難しいだろう。
メディス家としての権威が今この場では役に立たないことを悟り、ルフィナは内心で舌打ちをする。
「私はそのアンデッドを討伐しに来たのですが……さて、次はこちらの質問です。あなたはここで何をしているのです?」
「レイ君を、討伐に?」
腕に抱えたレイの体を引き寄せながら、ルフィナは嫌な汗が背中を伝っていくのを感じる。
迷いなくレイを攻撃したことから見て、彼がアンデッドであることは確信しているようだ。
恐らく自分の気づかないうちに、アンデッドを見分ける魔法で確認したのだろう。
「レイ、というのですか。生前の名なのかわかりませんが、なぜそのアンデッドの個体名をあなたが知っているかというのは気になるところです。まさか、そのアンデッドを匿っているというわけではないでしょうが」
「……もし、そうだとしたら?」
「大きな問題です。ダンジョンの入り口を私有地で囲ってその中でアンデッドを飼うなど、国の重鎮たる貴族にあるまじき行為です」
エレナの言っていることは正論だ。
人類の敵であるアンデッドを貴族が匿うなど、国家に対するテロ活動を企てていると疑われても文句は言えない。
「ですが私の知るあなたの人柄を考えれば、そのような真似をするとは思えません。そのアンデッドによって魅了か何かで操作されている可能性がありますね」
「べ、別に私はレイ君に操られたりなんてしていません!」
「それが本人にはわからないのが魅了というものです」
「ぐぬぬ……」
状況的にはルフィナが自分は正気だという証明するのは難しい。
解呪の魔法でも自分に行使させれば良いのだろうが、今のエレナを不用意に近づけるとレイに何をされるかわかったものではない。
どうしたものかと唸っていると、エレナの後ろから聞き覚えのある声がした。
「おい、その嬢ちゃんは魅了で操られてんだろ?そっちはとっととふんじばって、そこの化物にとどめを刺しとこうぜ」
「あなたは……」
姿を現したグランを見て、ルフィナはなぜこれほど早く教会の人間がここに辿り着いたのかを理解する。
前回ルキアーノをそそのかしてレイを襲わせた人間が、今度は教会の人間を利用してレイを亡きものにしようとやってきたのだ。
簡単には諦めないと思っていたが、教会の人間まで巻き込んで襲撃に来るとは予想していなかった。
「なるほど。あなたが教会にレイ君のことを伝えたわけですか。また面倒なことをしてくれましたね……」
「あなたを知っているような口ぶりですが、彼女と面識があるのですか?」
「いやぁ?俺みたいな貧しい庶民が、貴族のお嬢様なんぞに会ったことがあるわけねぇだろ?」
エレナの問いに、グランはいやらしい笑みを浮かべながら否定する。
あくまで知らぬ存ぜぬで押し通すつもりのようだ。
自分は偶然襲われたアンデッドの討伐を教会に依頼しただけ、という建前なのだろう。
「本当に、人をだまくらかすことにかけては頭が回るようですね。厄介な……」
「何を言ってるのかさっぱりわからねぇなぁ。おい、やっぱこいつ操られてんだぜ」
今のルフィナが何を言っても、魅了で操られているだけだと片付けられてしまう。
こうなってはエレナは聞く耳を持ってくれないだろう。
ルフィナはレイを守るために、自分に何ができるかを考える。
(さて、どうしましょう。こうなったら、私自身を人質にするしかないですかね……)
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レイはいつの間にか、自分が何か柔らかいものの上に横たわっていることに気がついた。
(あれ、僕、どうしたんだっけ……)
霧がかかったような頭で、今まで何をしていたのか思い出そうとする。
今日は確かルフィナと二人で、剣の訓練をしていたはずだ。
それが終わって、休んでいるルフィナに水を持っていって。
それを手渡そうとして、それからーー
「うっ……!」
鋭い痛みを感じて、レイの回想はそこで中断される。
強烈な異物感と痛みが、自分の背中から絶えず伝わってくる。
「レイ君!大丈夫ですか!?」
「ル、ルフィナ、さん?」
頭上から聞こえる緊迫した声に、なんとか返事をする。
どうやら自分は、彼女の上に横たわっているようだ。
「あんまり動かないでください!背中にナイフが刺さってるんですから」
「ナ、ナイフ?い、一体、何があったんですか?」
「……後ろ、見られますか?」
レイが首だけで後ろを振り向くと、そこには初めて見る修道服の女性が立っていた。
ナイフを構えているところを見ると、どうやら自分を攻撃してきたのは彼女のようだ。
自分と目が合うとなぜか一瞬たじろいた様子で目をそらしたが、またすぐさま鋭い視線でこちらを睨んでくる。
「ルフィナさん、あの人は?」
「彼女は王都の司祭です。レイ君の……その、討伐に来たそうです」
「し、司祭様?でもなんでここが……」
エレナの後ろでニヤニヤしながら立っているグランを見つけると、レイはその理由に察しが付いた。
またもやグランの企みによって、今度はアンデッドの討伐という名目で教会の人間を連れてきたのだろう。
とにかく攻撃されている以上は、戦う体制を整える必要がある。
「……ルフィナさん。これ、抜いてもらえますか?」
「だ、大丈夫なんですか?すっごい血が出たりしそうですけど」
「多分すぐ治りますから……お願いします」
「じゃ、い、いきますよ……えいっ!」
「うっ……!」
ルフィナが掛け声とともにナイフを引き抜くと、強い痛みと共に背中の異物感が消える。
傷口から血が流れていくのを感じたが、しばらくすると傷口がふさがったようで痛みも治まってきた。
「……なるほど、この再生能力は脅威ですね。聖水に対する耐性といい、これほど強力なアンデッドがなぜ今まで無名だったのか……」
「それはレイ君が優しい子だからです!この子は誰かを傷つけるような真似は絶対にしません!」
エレナの警戒したような言葉に、ルフィナが強く訴えかける。
「そんな戯言を私が信じるとでも?」
「いやまぁ、素直に信じるとは思ってませんけどね……」
エレナは今度はレイに視線を向けると、初めて直接話しかけてきた。
「会話ができるようなので、一応言っておきます。アンデッドよ、このまま大人しく討伐される気はありませんか?神の慈悲を受け入れ、その教えに背き続ける業から解放されるのです」
「よくもまぁ、勝手なことを……」
ルフィナが苦々しげに漏らす。
エレナの言う言葉は恐らく教会の総意であり、教えに忠実な言葉なのだろう。
この場をどうにか凌いだとしても、自分の存在が教会に知られてしまえば、また別の人間が次々と討伐にやってくるに違いない。
そうなってしまえば、ここで暮らしていくのは難しいだろう。
(でも、それでも)
ここで討伐されるわけにはいかない。
まだ自分は、まだルフィナに何も返せていないのだ。
彼女だけではない。
今の自分は、多くの人に助けられて生きている。
彼らに何も報いることができないまま消えるのは、嫌だった。
「すみません。僕はまだ、生きていたいです」
エレナの顔をまっすぐに見返して、レイは言葉を返す。
レイの返答にエレナは少し表情をこわばらせたが、すぐさま冷徹な表情に戻ると武器を構えた。
「……いいでしょう。では、討伐を開始します」




