レイの戦い方
「それでは、受けの練習はこのくらいにしておきましょうか」
「はい。ありがとうございました」
レイが左手に構えていた木剣を下ろし、向かい合っていたルキアーノに礼をする。
彼はこういった形で剣を誰かに教わったことが無かったらしいが、リンが見た限りではなかなか様になっている。
先日は色々とあって二人は本当に戦ったとルフィナから聞いたが、そこから剣を教わる間柄になるとはなんとも不思議な縁だと思う。
今日はルフィナ、ルキアーノ、リン、そしてヘッケル卿の四人でダンジョンを訪れている。
そして今は週に一度の恒例となっているらしい、剣の稽古をしているところだ。
リンはいつものように飼育されている角兎の確認や血液の採取をするためについて来たのだが、剣の稽古をしている最中は特にすることもないので、ヘッケル卿とテーブルに着いて紅茶を飲みながら稽古の様子をぼんやりと眺めていた。
「では次は、避けの練習を始めましょう。お嬢様?」
「私ですか?はーい」
隣に座っていたルフィナが立ち上がり、二人の傍まで歩いて行く。
「ではお嬢様、この木剣でレイ殿に打ちかかってください。レイ殿はそれを避け続ける訓練をしましょう」
「はい、お願いします!」
「うーん……訓練とはいえレイ君にこんなものを振り下ろすのは、ちょっと抵抗ありますね」
木剣を握りながらルフィナは少し難しい表情でレイの方をちらりと見る。
「手加減してはなりませんよ?ここでしっかり鍛えておくことが、レイ殿の身を守ることに繋がるのですから」
「う、わかってますよ。で、どのくらいやればいいんです?」
「お嬢様が剣を振れなくなるまでです。レイ殿はほとんど疲労しませんからね」
「おおう……なかなかハードそうですね。レイ君の訓練というより、私の体力づくりになりそうです」
「事実それも兼ねておりますので。では、始めてください」
「じゃあレイ君、いきますよ?」
ルフィナがレイに向かって踏み込んだのを見届けて、ルキアーノは二人から離れてテーブルへと近づいてくる。
「お疲れさん。で、どんな調子かね?」
「前回と比べても着実な成長が見られますな。才能は……まぁそこそこですが、彼は練習量が段違いのようですから」
ヘッケル卿の問いに、ルキアーノは席に座りながら答える。
「ふむ。それは彼の疲労しにくいという性質によるものかね?」
「それもあるでしょうが、本人の真面目さもあるでしょうな。私がいない間も、教えたことを相当練習しているようです」
「まぁそうじゃろうな。とはいえ、やはり疲れないというのは強いのう」
ヘッケル卿は訓練を続けているレイの方を見ながら、感心した様子で言う。
先程まで打ち合いをしていたルキアーノはかなり汗をかいており、リンから見ても少なからず疲労していることが分かる。
しかしその相手をしていたレイの方はというと、特に疲れた様子もなくひょいひょいと軽快な動きでルフィナの攻撃を避け続けていた。
「同感。スライムによる栄養の吸収さえ追いつけば疲労も怪我も治るなんて、ある意味反則」
「ええ。ですから今しているように鍛錬の相手が交代していけば、彼は延々と鍛錬を続けられるわけですな」
「私もあんな体があれば、寝ないでずっと研究してたい」
「彼も精神的には疲れるでしょうし、睡眠は必要だと思うのですが……。あまり無理をされると、ヘッケル様も心配されるのでは?」
リンの率直な感想に、ルキアーノは苦笑いしながら言う。
「そうじゃな。睡眠不足で全く伸びない身長が、これ以上縮まないか心配じゃ。見えなくなるまで小さくなったら探すのが大変じゃし」
「睡眠不足で身長は縮まない。というか人間は見えなくなるまで小さくなったりしない」
「そうかの?ふむ、そういう実験もしてみるか」
「……おじいさま?」
「どれ、お茶をもう一杯もらおうかの」
リンの声が剣呑な雰囲気になったのを感じ取ったらしく、ヘッケル卿はさっとテーブルから離れた。
リンは小さくため息をつくと、気になっていたことを思い出し、ルキアーノに尋ねてみることにする。
「ルキアーノ。レイに剣の稽古って、そもそも必要?」
「む?どういう意味でしょうか」
「疲れない体にあれだけの力があれば、剣なんか使わなくても大抵の相手には勝てそうだと思った」
ああ、と納得した表情でルキアーノは答える。
「ええ、おっしゃる通りです。言ってしまえば彼は既に、私くらい簡単に倒せる力を持っています。戦い方を選ばなければ、ですが」
「……そうなの?」
ルキアーノの言葉にリンは正直驚いていた。
レイが剣術を身に着けようと考え始めたのは、彼がルキアーノと戦った結果、自分を鍛えるべきだと感じたからだと聞いていた。
だからこそ、彼がルキアーノよりも強いという話は意外だった。
「戦い方を選ばなければって、どういう意味?」
「そうですな……レイ殿が本気で投石をするところを一度見せていただいたのですが、あれを使われれば私では勝てません」
リンも見せてもらったことがあるが、一人で延々と練習を続けていたらしい彼の投石は精度も威力も兵器と言って差し支えない程だと思った。
ルフィナがモンスターに襲われているところを助けてもらった時も、投石によってモンスターの集団を一瞬で倒してしまったそうだ。
「確かにあれはすごい。けど、ルキアーノなら避けられない?」
「一つや二つであれば、予備動作を見て避けることもできましょう。ですが複数同時に投げられたりすれば、私とて避けることは不可能です」
「……確かに、それは難しそう」
ルキアーノが相手の動作を見切ることに長けているとはいえ、それは相手の攻撃を必ず避けられるということではない。
どのような攻撃が来るかわかっていたとしても、それを避けられるだけの動きができなければどうしようもないのだ。
「最初からそういった手を使われていたならば、私も無事では済まなかったでしょう。そもそもあれだけ手足の力が強いのであれば、他にも相手を倒す方法はいくらでもあります」
「じゃあ剣を使わずに、そういった戦い方をすればいいのでは?」
「ええ、それが普通かもしれませんな。……ですがレイ殿は、そういう戦い方をしようとしないでしょう」
「まぁそうじゃろうな。その戦い方をするには、あの子は優しすぎる」
いつの間にかお茶をいれ直してテーブルに戻ってきたヘッケル卿が、ルキアーノの言葉を肯定する。
「どういうこと?身を守るためなのだから、勝てる方法があるなら使えばいい」
「そのやり方では、相手を殺してしまう可能性が高いんじゃよ。偽善と笑う者もおるかもしれんが、レイ君に人を殺す覚悟ができておらん以上は仕方ないのう」
「ええ。だから彼はああして、剣術を身につけるべく努力しているのですよ。相手を殺さないように、自分の身を守る術を身につけるために」
「……」
リンは二人の言葉を聞いて、考え込む。
モンスターが相手であれば、恐らく投石などの手段を使っても問題ないのだろう。
実際に彼は投石で角兎の狩りを行っているらしい。
だが、人間が相手ではそうはいかない。
彼にとって人を殺すということは、自分の身を危険に晒すかもしれないと分かっていても避けたいことなのだ。
「まぁあの歳でそんな覚悟ができておる人間なんぞ、今時はそう多くないじゃろう。それに普通は訓練によって技術を身に着けて行く過程で、そういった覚悟も身に着けていくものじゃからの」
「……つまりレイは人を簡単に殺せてしまうほどの力を、訓練ではない方法で身に着けてしまったから、逆に後付けで相手を殺さないための訓練が必要になっている?」
「そういった理解で正しいかと。まぁレイ殿の場合、人を殺す覚悟を身につける日など当分来ないように思いますが」
リンは軽く混乱してしまう。
つまり彼は相手を倒すためではなく、手加減をするために剣術を身に着けようとしているということだ。
殺す技術であるはずの剣術を殺さないために学ぶなど、酷く矛盾した話に聞こえる。
だが素の身体能力が高すぎる彼には、相手を殺さないように戦うために技術が必要なのだそうだ。
相手を殺してしまうよりも殺さずに制圧するほうが難しいということは、単純な狩りよりも生け捕りのほうが難しいということを考えれば理解できる。
しかしリンには、なぜわざわざそのようなことをしなければならないのか、という点が納得できなかった。
「……少し、わからない。レイは戦う相手を殺すのではなく、生かすために努力しているということ?たとえそれが、自分を殺そうとしている相手でも?」
「ええ、そうです。それだけ聞けば理解に苦しむ人もいるでしょう。ですがレイ殿のお人柄に触れますと……なんといいましょうか、それを手助けしたくなってしまうのですよ」
ルキアーノは微笑みながらリンに言う。
リンはその言葉を聞きながら、訓練に励むレイの姿をじっと見ていた。
他人のためにしなくてもよい苦労をしようとしている、変わった体をした少年の姿を。
「自分を殺そうとする相手を、殺さずに制圧する……そんなこと、本当に可能?」
「非常に困難ではありますが、彼の身体能力を活かせばできないことではありません。戦い方を考えておく必要はあるでしょうが」
「参考までに、戦略を聞いてもいい?」
ルキアーノは、これが必ずしも正解というわけではありませんが、と前置きして話し始める。
「先程も申しましたが、レイ殿には肉体的疲労がほとんどありません。つまり防御に徹して持久戦を続ければ、相手がアンデッドでも無い限りは相手が先に疲労します。そうなれば、あとは逃げるなり相手の武器を落とすなりすればよいのです。一番簡単な方法はこれですな」
「ふむ。それで防御や回避で自分の身を守ることを中心に教えておるわけじゃな」
訓練を続けている二人を眺めながら、ヘッケル卿が言う。
ルキアーノの言う通りレイは相変わらず汗もかいておらず、対するルフィナの方は剣を振り続けてだいぶへばってきているようだ。
「その通りでございます。まぁ彼の場合、守りたいものが自分の身だけではないようですが」
「?」
ルキアーノがにこやかな表情で言うが、リンはその言葉の意味がわからずキョトンとした顔をしてしまう。
一方ヘッケル卿はその意図を理解したようで、愉快そうに笑った。
「ほっほっほ。なるほどのう、レイ君も男の子というわけじゃ。これは楽しみじゃのう」
「ええ、まったく楽しみです」
「しかしその場合、最終的にはおぬしの主人と対峙することになるのではないかのう?」
「その時に死なないようにするためにも、レイ殿を鍛え続ける意味はあるかと」
「やれやれ……。あやつの子煩悩ぶりは本当にどうしようもない」
「それも我が主の良いところであると、私は心得ておりますので」
二人がそんな会話をしていると、へばり始めていたルフィナがとうとう木剣を下ろしてしまった。
体力的にかなりきつくなってきたようで、肩で息をしながらレイに話しかける。
「はぁ、はぁ……。レイ君、全っ然、当たる気配、ないんですけど、はぁ、これ、訓練に、なってます?」
「えっと、なってる、と思いますよ?多分」
きつくなってきている様子のルフィナに対して、レイは余裕そうだ。
その様子を見ていたルキアーノがもう一本の木剣を取り出して言う。
「ふむ、もうお嬢様の剣を避けるのはさほど難しくないようで。ではレイ殿、今度は二人同時にやってみましょうか」
「え!?ルキアーノさん相手だと、一人でも避けきれないですけど……」
「なに、お嬢様と同程度に抑えますので。同レベルの人間を二人相手にする想定の訓練と思ってください」
そう言いながらルキアーノを木剣を片手に構えながら、ルフィナの隣に並ぶ。
ルフィナの方はというとまだ体力が回復していないようで、かなりぐったりしている。
「うー……。ルキアーノさん、私まだやんなきゃダメですか?」
「体力づくりだと思って、もうひと頑張りお願いいたします。レイ殿のためでもありますから」
「……レイ君のためって言われると断れないって、知ってて言ってますよね?」
「さて、どうでしょうな。ではレイ殿、参りましょうか」
「は、はい!お願いします!」
二人を相手に訓練を続けるレイを、リンは先程の話の内容を反芻しながらじっと見る。
肉体的な疲労がほとんど無いと言っても、時間と労力をかけていることには間違いない。
それも、ルキアーノによれば一人でいる間も相当な時間を訓練に当てているようだ。
「いくら理由があっても、他人のためにあそこまで?……ちょっと、わからない」
「ふむ、まぁあまり合理的ではないかもしれんな。しかし彼は殺す覚悟ができないが故に、殺さない覚悟を固めつつあるのじゃよ。儂はそれはそれで格好いいと思うんじゃがな、ローザリンデ?」
「カッコいい、とかはわからない。……けど、嫌いじゃない」
孫娘の正直な感想を聞き、ヘッケル卿はふっと息を吐いて小さく微笑む。
そして、誰に言うともなく静かにつぶやいた。
「儂もな、信じてみたくなるのじゃよ。あの少年の優しさが、きっと良い結果をもたらしてくれる、と」